天皇誕生日いや「緑の日」の4月29日、3年ぶり62才の新世紀を迎えた顔合わせであった。まずは立川氏の呼びかけで有志が国分寺の南口すぐのところにある「殿ケ谷戸庭園」に参集。当日12時に顔を見せたのはこの写真の左から、折原(松田)、加藤、迎(峯尾)、出口(石島)、立川の諸氏にこの私、相沢の6人。あとで柴田、佐藤(将)、長(榊原)の3人が加わり全部で9人。「緑の日」の特典でこの日だけは入場料はなしとのこと。皆にタダで入ってもらおうと考えていた配慮深い立川氏のもくろみは図らずもおじゃん。
 でも「みどりの日」よろしく、あたりの木々、草木、どこに目をやっても、緑一色。その中で、野草がかわいい花を咲かせている。奥の竹林のタケノコの勢いにすっかり圧倒された墨彩画の大家、迎さん、立川氏にカメラマンを依頼して注文を付ける。
 やがてどこからともなく現れたカップル、近づいてみると長、佐藤(社長)のコンビではないか。少し遅れて到着したようで、まだ見ていないという。悪戯っ子にそそのかされて、カップルで再度ワン、ラウンドしてくる。「自分は自分を見れないから良いんだよな」とは社長の弁。その心は如何に。この間のハイクで「よう、随分ばばあになったなあ」とS君から受けたKさん「何言ってんのよ、爺さん」と反逆。この経験をS君に想起させるきっかけとなった。
 国分寺のこのあたりは、地層が落ち込んでいて、その層の間から、清水が湧き出ている。それがこの庭園の中を小さな滝となり、川を作り、飛び石の間をぬって、鯉の泳ぐ静かな池へと続いていく。この清水は冷たく透き通っていて、築山の上に建てられた大きな茶室の茶の湯になり、その脇の「鹿おどし」の竹筒が創り出す快い音を生み出す。
 もと岩崎邸の庭園であったというこの「殿ケ谷戸庭園」は、駅から石を投げれば届く距離なのに、その喧噪から完全に遮断された別世界だ。こんなところにこんな風流を楽しめる場所を作れる財閥の金力に感心させられる一方で、道ばたの草花にも愛着を注ぎ、孟宗竹の風流な盆栽にする心は面白いと思う。30分で十分に一巡りできるといわれていたが、気が付いてみると、もう1時間半近くが過ぎようとしていた。これは我々が年をとったための興味の変化を象徴しているのではというのが一行の一致した感想であった。
 小林先生は2年前に奥様を亡くされた。その悲しみの中で、この1年に3度も脳梗塞の発作に倒れられた。でもさすが、言語中枢や記憶力は抜群で、半世紀の時の経過はほとんど関係なく、皆の顔と名前が一致されたのは本当に驚きであった。でも足元は不如意で、杖を付いたり、何かにつかまって身を動かされることが多かった。そのような状態にも関わらず、自宅からタクシーで駆けつけて下さり、皆感激して拍手を送った。
 「梅の花」は我々の年齢に相応で、豆腐と湯葉と寿司の店。「殿ケ谷戸庭園」のすぐ近くのビルの17階にあるが宴会場からは外が見えない。写真手前こちら向きの右中村晏造氏と迎(峯尾)さん。その後ろの列、後ろ向きだが、右から藤田、組村(鷲尾)、篠崎、加藤、氏家、佐藤(義博)、その正面こちら向きの3人が左から小杉、山脇、出口(石島)の各氏。
 下の写真は角度を変えて、上の写真の、後ろ向きの人たちを写したもの。手前左から、藤田、組村(鷲尾)、篠崎、加藤の面々と、その後ろに後ろ向きなのが阿曽氏。白い紙を見ているのが幹事の佐藤(社長)。左上の女性は長(榊原)さん。彼女は気を利かせて先生の介添え役を。
 しばらくぶりで参加した中村晏造氏の希望もあり、皆で自己紹介をする。足元にやや不自由を感じておられる小林先生は一段上の椅子からご挨拶。やはりお身体で苦労をなさっておられる様子。10年くらい前まで元気に生徒をテニスで鍛えておられた様子からは想像することが難しい。下の写真の左側ピンクのシャツの米林氏もこの会では先生を同じハイチェアの身分。ちょっとしたことでギックリ腰の憂き目にあったとか。でもまだ現役で仕事に執心。左前のたばこの人は柴田氏。青梅の大御所。会社の重役であった物腰と社長の佐藤氏との当意即妙の受け答えは一同を沸かす。
 時を忘れた歓談の中で、時は文字通り矢のごとく流れて、たちまちお開きの時間。さあお手を拝借という段になって、指名された柴田氏、先ほどの名セリフが消えて、どういう訳か立ち往生。みなちょっと拍子抜けの一幕。でもそれが却って笑いをかもし出す。
 ゴールデンウィークの2日目、家族の計画が優先しがちな一日を、昔の友と過ごすことに当てた面々、それぞれには何か同世代だけに分かち合える何とも言えない気持ちを共有していることを確認した。それぞれの顔には何か緊張の解けた満足の表情がみえた。もうあれからほとんど半世紀がたったんだ。この間に3人がすでにあの世に行った。あと半世紀後にはほぼ全員が天国に行き、そこでクラス会をやっているかも。そんな風に人生は過ぎて行くんだということをふと感じさせてくれたひとときでもあった。

男子
◆ クラス会の案内を戴きありがとうございました。御嶽ハイクではお世話になりました。当日は海外旅行が入っており、誠に残念ですが、欠席させていただきます。定年退職しまして早くも2年経過、趣味三昧の悠々自適名暮らしに慣れてきたところです。    (石井 十四正)
◆ 昨年9月からエルダー会社で、定年退職者(元の会社)の再雇用の世話をしています。OBが50人ほどの会社です。お陰様で元気に過ごしています。   (氏家 堯司)
◆ 昨年3月でリタイアしました。東海道を歩いています。   (片山  功)
◆ 只今人生下山中。でも元気です。 (小林 貞昭)
◆ 残念ですが今回は欠席させていただきます。次回を楽しみにしております。       (佐々木 胤郎)
◆ 子育て真っ最中?? 青春そのもの?? すべて昔のいやLong long ago. すべて青春は月の彼方へ。老いの世界という意識よりも"老益"というプラス思考で! (佐藤  将)
◆ 2月初めに我が家に子犬がやって来て毎日が犬中心の生活になっております。3番目の息子として育児に明け暮れておりますが、子育てがこんなに大変だったのかと、今更ながら家内の努力に敬服している次第です。再会を楽しみにしております。 (佐藤 義博)
◆ 昨年9月より入院し11月末に「あご」の手術を受け、現在通院中です。皆様、自分の健康状態には常に注意を払ってください.(塩野和夫)
◆ ご無沙汰しています。55才で銀行を退職後、すぐに自治会役員(無償)になり、1年後から、自治会連合会の事務局(有給)となり、現在に至っています。「会社人」から「社会人」になりました。今は自治会の仕事にドップリとつかり、忙しさを楽しんでいます。マゴも7人いて、今のところ五体満足です。(篠崎 好男)
◆ いろいろとご苦労様です。(柴田 昌孝)
◆ 平成11年3月に都水道局を定年退職し、4月から関連の第3セクターで第2の勤めをしています。皆様によろしくお伝えください。(霜鳥 昌一)
◆ 半年余り以前から予定が入っていたため、欠席させていただきます。まだ現役で教壇に立っています。あと3年で停年となります。晩婚だったため、大学生2人(息子)と高2(娘)の3人の面倒を見ており、停年間近であっても、まだ先のことのようで切実感が希薄です。ご連絡をありがとうございました。当日の盛会を祈念します。  (十見  毅)
◆ 皆さんと久しぶりにお会いできるのが楽しみです。ひょんな事から「がんばれ三宅島」という事でチャリティショーの事務局を引き受け連日チケット販売に飛びまわっています。 サラリーマン生活から離れ何でも興味をもって毎日が日曜日と共に面白いです。
(立川正義)
◆ クラス会の計画、連絡をありがとうございます。定年退職後、嘱託3年目に入りました。中学校で体育を担当し41年目、週9時間の授業をしています。中学校野球の関係では、相変わらず毎年全国各地をまわり、多忙です。
(中根 靖二)
◆ 30年余、勤めた日産自動車を2年前に退職し、以来昼間は菜園、庭の手入れをし、初孫を愛で、両親を看、夜と休日は自治会活動で社会奉仕とストレス解消を計っています。身体は丈夫のようで、好きな山歩きを楽しんでいます。
(中村 晏造)
◆ 元気にやっております。田島君の仏前には行けず、申し訳ございませんでした。お祈りをいたしました。クラス会楽しみにしております。幹事、大変ですが宜しくお願いします。
 (中村 陽一)
◆ いつも御案内賜りありがとうございます。小生元気で相変わらずサラリーマンを続けております。なお名簿の住所に転居致しました。よろしくお願い申しあげます.(錦織 徹雄)
◆ 昨年夏に手術をしまして、1ヶ月半程入院していました。回復の訓練中ですので欠席させていただきます。皆様に宜しくお伝えください。(彦坂 満洲男)
◆ いつも御苦労様です。E-Mail: yama@deneb.freemail.ne.jp
(山脇 繁男)
◆ 停年後の暇つぶしにと地元のビル管理会社(設備管理)に再就職し、週2〜3回勤務しています。元気なうちは出来るだけ長くと考えています。(週2〜3回の仕事は適当にのんびり出来ていいですよ、お勧めします。)幹事の方々には毎回お世話をいただきお礼申し上げます。今回も都合が悪く、欠席させていただきます。 (吉崎 一雄)
◆ 幹事役ご苦労様です。感謝してます。昨秋より働き始めました。電気工事屋です。といっても私が電気工事をするのではなく、私はその会社の経理とか、雑務をしています。大変健康的な生活で、平日は6時には起床して会社へ行きます。それだけに休日が楽しみです。皆さんに会えるのを楽しみにしています。  (米林 伸恭)   
◆ 昨年12月11日に田島君が癌であの世へ行きました。実は今年になるまで、クラスメイトの誰もこのことを知りませんでした。年賀状の返事が来ないと不思議がっていた人たちに、1月半ばすぎてから、奥様から訃報が届いた折りに、連絡できる人たちで1月20日にご焼香に行ってきました。前回のクラス会では、ハンディを背負って生きながら日本のパラリンピックで優勝した彼の努力と元気に皆が感嘆したことでした。今回のクラス会は、そのご焼香のときに飛び出した企画です。いわば彼の置きみやげのような会です。冥福を祈りたいと思います。
 小林先生も2年前に奥様を亡くされて失意の生活の中で、この1年に3回も脳梗塞で倒れられたそうで、足元が不如意の中を、この集まりのために自宅からタクシーで駆けつけて下さるとのこと、感激いたしました。先生に担任をしていただいていたときの、我々17、8の若造も今や62の老廃ならぬ老輩。となれば当時新婚32才の我らの恩師も21世紀の今年は喜寿の77才。どうぞお大事になさってください。
前回98年4月の直後、3Fのホームページを作りました。今回の会の様子も入れておきたいと思います。アドレスを変更しました。http://www6.plala.or.jp/azw/3f/です。お暇のときに開いてみて下さい。(相沢 健夫)
女子◆ ご無沙汰申し上げております。4月29日、どうしても都合がつかず、残念ながら欠席いたします。皆様にどうぞよろしく。年相応に年をとり、年相応の暮らしをしております。 (福岡<天野> 菊枝)
◆ 幹事を引き受けて下さった方々有り難うございます。今度こそ出席したいと思っていましたが、日時が都合悪く残念です。現在も犬の美容師を続けており、土日はほとんど予約が入っています。(2〜3,4,5週間に1回の客が3分の2くらい。)ちなみに水、木曜日が休日です。小林先生、皆様方によろしくお伝え下さい。       (石川 香子)
◆ 3Fクラス会のお知らせありがとうございました。昨夏実家の父を亡くし、何となく気もめいる時を過ごしています。年にとって不足はないと分かっていても、いざとなると変なものです。前回のクラス会、桜がきれいな時でしたね。今回も出来たら、殿ケ谷戸庭園を散策したいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。楽しみにしています。
(松田<折原> 幸枝)
◆ 幹事さん御苦労様です。主人と二人の生活も板につきました。時々訪れる孫を楽しみにしています。北九州からこの春東京に戻る三男一家を心待ちにしています。 (鷲尾<組村> 和子)

◆ すっかりご無沙汰申し上げております。御連絡をありがとうございました。幹事の方々御苦労様です。私事、絵画の仕事を致しており、北海道から九州までお教室を持ち、出張やイベント、実演と東奔西走の毎日です。あいにく当日も予定が入っており、残念ながら伺うことが出来ません。ご出席の皆様方によろしくお伝え下さいませ。小林先生のお嬢様も御身大きくなられたことでしょうね。先生のご新婚の頃、私共担任して頂いたと思います。(P.S. FMラジオ3/31 4:00-5:00A.M.に数分間某教室の宣伝インタビュー有。本人も熟睡中で聞けないかもしれません。)
(多田<小谷> 光子)
◆ 今年は残念ながら伺うことが出来ません。次回を楽しみにしております。静岡へお越しの折りは、是非声をかけて下さい。  (近藤<桜間> 満里弥)
◆ クラス会のご案内をいただきまして、とてもうれしく思いました。また幹事様には色々お手数をありがとうございます。皆様にお会いしたいのですが、母(88才)の身の回りのことがあり、どうしても参加できなく残念です。次回かその次くらいには出席させていただきます。幹事様どうぞよろしく、またご企画お願いします。皆様にお会いできる日を楽しみに生きてゆきます。
(石井<田上> 敦子)
◆ 40年になる教職を終わり、これからの人生を楽しみにしています。よろしくお願いいたします。  (榊原<長> 紀子)
◆ 先日の田島さんのお悔やみに伺えず、大変失礼いたしました。前回のクラス会も直前にキャンセルで何か因縁を感じております。今回は是が非でもと思っております。久しぶりに皆様にお逢いできることを楽しみにいたしております。お役目ご苦労様です。ありがとうございます。      (石島<出口> 郁子)
◆ ご連絡ありがとうございました。申し訳ありませんが、4月29日の3連休、前からの予定があり、残念に思っております。皆様もご健康ですごされますよう祈念しております。     (野俣 美佐緒)
◆ 介護、子守り、趣味、時々の仕事等忙しい毎日ですが、70才までに旅行を楽しむことにしています。さすが60を過ぎると免疫が少なくなりますね。1年に3回以上重い風邪にかかります。またカルシウム不足ですかしら、歯とか腰とか、ひざが悪くなり、医療費の割合が家計費の3分の1以上となりました。
(藤田 和子)
◆ 返事が遅れてごめんなさい。急に娘が結婚するというので、何かと忙しくしております。出席の予定でしたが、どうしても行かれなくなりました。どうぞ皆様によろしくお伝え下さい。次回は必ず出席させていただきます。
(古川<宮崎> 京子)
◆ 3月14日〜24日まで上野・都美術館にて「日本南画院展」で、忙しくしています。お時間がありましたら、御高覧ください。クラス会楽しみにしております。    (峯尾<迎> 伶子)
◆ 相変わらす、月に1〜2回山歩きを楽しんでいます。(稲葉<村松> かう子)
◆ 相沢 様 3月末にクラス会のお知らせを頂きましたが、直にお返事をしなかったまま今日に至ってしまい申し訳ありませんでした。 人生も先の保証が少なくなってきましたので、これからは楽しみながら過ごそうと思っていますと、今年はあまり良い出だしでは有りませんで、 先ず、楽しみにしていた春休みのイヴォン達とのパリ行きで、かっぱらいに狙われて、一人ならば好きではないので行かないポンピドーセンターの前で、手にしたお金をかっぱらわれるとはこのようなことかとゆうような、今迄に無い嫌な経験をさせられてしまいました。 若い人達は、しっかり見物、見学、買い物をさっさと楽しんで、ジャズクラブやこれは観光客だけですが、ムーラン・ルージュのショーを私も始めて観ることでした。 しかし、冬場は日曜日しか公開していないアレクサンドル・デュマの館には一人で郊外電車に乗って行ってみましたが、春浅すぎて今は周囲が普通の住宅地になっているので草木の合間に現実が写って見えるので初夏、初秋、初冬の方が趣があるかもしれないと思ったことです。 何しろ、デュマの小説は気持ちの沈んでいる時にはとても面白いので今でも読み返しているのです。 最近、ヒューストン日本商工会の図書館と日本人子女の補習校図書館が合併になり、その際、沢山の日本の書物がセールに出ましたので、340冊入手しましたから、私の小さなアパートはどの部屋も本棚で図書室です。 昔、1970-73年までインディアナ州のノートルダム大学にお勤めしていた頃は日本から持って来た本に加えて留学生の人達が帰国の際、置いていった本が沢山あったのですが、テネシー州でやはりテネシー大学に勤めていましたから、学者さんや学生さんの奥さん方の慰めにもなっていたあれらの本は家を売ってテネシーを出る時に近くの日本人に置いてきて、今ではどんな本をどのくらい持っていたのかも確かでは有りません。 あれから又、少しづつ日本へ行った時に持ち帰った本やロスやニューヨークで入手したものにこの340冊を加えると死ぬまでに読み切れるかと思いますが、夏の暑い時や嵐の時に読もうと思っています。 しかし、停電になったら絶対絶命で、この暑いヒューストンではエアコン無しではとても生きていられません。 とにかく、暑いですから、私達はエアコンからエアコンに移動して生きているのです。 ですから、今年の夏のエネルギーは大変なことになるでしょう。 そこへこの株式暴落でミューチャルファンドも401Kは無くなる一方ですので毎日まだしっかり働いています。
 この夏はこの暑いヒューストンにテネシーに1975-82年まで母親をガンで亡くした私の姪が6年生から高校卒業まで日本から来ていました(11-17歳)、そして今、その人達の男の子(5歳)をサマースクールに入れたいとのことで、六月からはにぎやかになるようです。 近況ということでしたが、とりとめのないことをぎりぎりの27日になって書きました。 小林先生をはじめ皆様にどうぞ宜しくお伝え下さい。  (Feece<横塚> 章子)    afeece@jetro.go.jp