●国高入学後の50周年を期して2004年に集まって3年、今回は「卒業後」50年目の会でした。50年前に別れた49名中23名の出席で47%です。すでに男性5名女性1名が亡くなり3名の方の消息が分かりませんし、横塚さんはテキサス在住なので、出席可能な方39名中の23名の出席はほぼ6割の出席率になります。50年前の写真を見ながら、年輪の刻まれた姿の中に昔の面影を探して談笑のひと時を共にするというのは実現出来ましたでしょうか。
「半世紀の間別々の人生を歩んだ我々も、今や肩書きやシガラミもほとんどなくなり、再び学生時代のような人間関係に戻っています」と案内状に書きましたが、その言葉に共感したとおっしゃって、小林君が50年ぶりに姿を見せてくれました。親友、錦織君との再会の喜びは周りで見ていても感動的でした。もう1人、石川さんも50年ぶり(?)の出席予定で、会場も下見されたそうですが、土壇場で体調をくずされ参加できず、残念でした。次回を期したいと思います。 たまたま店の計らいで、優勝力士が飲むような特大の朱塗りの杯で、ほとんど全員が祝杯を回しのみしました。18の春には想像もできなかった半世紀後まで生き延びて再会できたことを祝うのにはうってつけのお膳立てでした。回し飲みの写真で50の文字を作ったページをご覧ください。 2ヶ月くらい前に、佐藤(将)、立川の両氏と私とで、このクラス会の打ち合わせをしました。往復はがきの文面原稿に「小林先生は植物状態です」と私が書いたのを見て、立川君が「『植物状態』というのはちょっときつ過ぎるんじゃないの?」というので、「面会は不可能です」と書き直しました。実際3年前のクラス会の時点より前に、「面会不可能」の状態になられていたので、今回電話でお話した娘さんも、「娘だと分かってもらえないで何年も介護するのは、辛いものがある」とおっしゃっていたのが印象的でした。しかし、我々も68才。平均寿命は男性が78才ですので、あと10年も経てば平均的には、男性のほとんどはこの世からおさらばです。女性もその数年後ですが、われらが担任小林先生を見るとおり、次第に身体と頭脳の自由を失いながらの人生ですから厳しさに大きな違いはなさそうです。 でも、若い時期に身に付けた技術が簡単には失われることがないように、この世界の中で偶然にも、若い時代を同じ場所で生き抜いて築かれた絆は、意外にも強く残っているものだということを、実感させられます。何か説明しないでもお互いに理解しあえる基盤があるのは不思議なことです。 しかし、この年になると、お酒の量も身体と相談して加減されている方、断絶した方もおられるようです。それに、夜出るのもおっくうだという声も聞こえてきますので、次回からは昼間に気軽に、お茶・コーヒーとお菓子をもとに500円~1000円くらいで1次会をやり、飲む人は2次会をやって飲む…というのはいかがでしょうか? 次回は神代植物公園散策を含めての会を計画中のようですが…。 それに往復葉書は時間もかかる上に、郵便代が4000円もかかってしまい、電話やメイルの方がはるかに効率がいいので、連絡方法も再考の余地がありそうです。 今回のクラス会の写真の類も、私のホームページの中の3年F組のところ(www.aizawa.2y.net/3f2007/ )に追加しますので、興味のある向きは、数日後に開いてご覧ください。私自身の近況もスペースの関係でwww.aizawa.2y.net に譲りたいと思います。 (相沢 健夫)
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■ 腰痛で階段の上り下りもままならず、残念ですが欠席させていただきます。パソコンなどを楽しんでいます。みなさまによろしく。 |