<新聞の全文訳>オハイオ州クリーブランドのNews Herald紙 2015年6月19日発行
<写真説明>1930年にアメリカへ渡った大岡明の甥、相沢健夫さんは、伯父が夏を過ごしたウィロウィックの湖畔の家を訪れた。写真は相沢さんが伯父の日記を持っているところ。後ろの左側に見えるのがジェイン・レイノルズさんで右がリンダ・メリクルさん。2人は昨年の12月に亡くなるまでこの家に住んでいたジェネビエーブ・ケネディ・コールさんの娘たちです。
1930年代に伯父を歓待したウィロウィックの家族をつきとめた甥
リンゼイ・オブライエン記者(News Herald)
ほぼ4年前、強烈な地震(津波)が東京を襲って相沢健夫さんの書籍を本棚から四散させた。これがきっかけになって、相沢さんは、アメリカで2年を過ごした彼の伯父・大岡明の日記や手紙を見つけた。そしてそこに書かれたものの多くが、エリー湖を見渡すこのウィロウィックの家で過ごした時の懐かしい思い出だった。
大岡氏は1930年にインディアナ大学で1年間学び、学部の学位を取ったが、そのとき彼の指導をし、良き相談相手になったのがジョン・C・ケネディ教授で、大岡氏を夏にウィロウィックの自宅に招いたのであった。
更に大岡氏はニューヨーク大学で、やはり1年で、修士(MBA)の学位を取り、ウィロウィックへ最後の旅で戻ってくるが、その1ヶ月後に急性肺炎で急死する。
一方、東京で、大地震から何年も経たない時期に、この近くシェイカー・ハイツに住むマーク・モレスキー夫妻と相沢さんの運命的な出会いがあり、ケネディ一家を辿る探索が始まった。その結果、何と85年前ウィロウィックで歓待を受けた大岡氏のことがいろいろ分かってきた。
相沢さんは、「ウィロウィック歴史愛好クラブ」の協力を得て、 (ケネディ教授の妹の)ジェネビエーブさんが、伯父が夏を過ごしたウィロウィックの同じ家にまだ住んでいることをつきとめた。彼女は、彼のことを愛称でホーキィと呼ぶほど伯父のことを懐かしく覚えていた。
ところが、不運にも彼女は昨年の暮れ96才で逝去し、相沢さんは彼女に会う機会を失った。しかし彼女の娘たちジェインやリンダが、ウィロウィックの家を訪れるように彼を招いたのだった。
6月16日、彼はジェインやリンダばかりか、ケネディ教授の娘たちエミリーやロザリンドにも迎えられた。ウィロウィックのケネディ一家の家は4世代に渡って受け継がれ、大岡氏が夏を過ごしたころと少しも変ったようには見えなかった。
この家は博物館みたいなものよ...とジェインは言う。「あなたの伯父が居た頃も、これらの柳の椅子はここにあって、こんな風に緑に塗ったのも伯父さんなのよ」とジェイン。食器棚には伯父の父が贈っていた日本の茶器が沢山ある。伯父がジェインの祖母に贈った茶器を指して、この茶器の緑にマッチするように彼は椅子を緑に塗ったのよ...と言う。
食堂のテーブルには大岡の家族が1932年にジェネビエーブに送った遺稿集「夕映」が置かれている。この1冊は長年の年月の経過にも拘らず完璧な状態。しかし「私が持っている本はもう『バラバラに崩壊』している」と相沢さん。
この92年を経た家は豊かな歴史をもち続け、何千マイルも離れた東京と結びついているのだ。
このウィロウィックへの旅は実に驚くべきものだったと、気持ちの高まりを感じて相沢さんは言う。 伯父の生活を丹念に調べてケネディ家の足跡を辿り、ついに彼は伯父が心から愛した故郷に戻って来ていたのだ。