おめでとうございます。 

 今年もどうぞお元気で!

テキスト ボックス: ひとこと:#

1.この1年から (下線の文字をクリックすると関係頁へ飛びます)

20051

2004年は1日も日本から出ませんでした。代わりにカナダで3年前にお世話になった夫婦を3週間我が家でお世話することになり、一時は外国旅行よりずっと英語の生活になりました。 当然ですが、玄関で靴を脱ぐことからパスネットとスイカの使い分けまで、彼らには大変で新鮮(?)な経験のようでした。そのとき彼が撮ったビデオを私のと合わせて編集したものが右の欄のビデオ1です。お互いの生活環境を思い浮かべながら、彼らとはその後もSkypeというインターネットのタダ電話で長話をしています。時差で昼と夜が反対なのを注意しなければなりませんが、マイクつきのヘッドフォンで話すと音質もよく両手が自由で、言葉の抵抗にも拘らず、目の前に座って応接間でくつろいでいるような錯覚を覚えます。

話題になったMichael Moore「華氏911は考えさせられました。アメリカ企業のエゴと「自由」のために、イラクをアメリカの属国にする仕事に「雇用」されて戦死したアメリカ人の多くがアメリカの貧民層で、この戦争で米国社会の二極化がさらに進んだようです。日本を含めて世界中で次々に敵対関係が作られていく様子を見て、環境が破壊され異常気象の中にいると、「地球最後の日」が遠くない感じさえします。

9/26はラフカディオ・ハーンが亡くなって100年目の命日でした。彼が100年以上前に予言した通りの歴史をそのまま日本は歩みました。原文でハーンがそのまま読めるページを私のサイトに作ってみました。その同じ100年目の命日に、一昨年からハーンを読んでいた講読会の仲間の1人が亡くなりました。元教師の彼女は、「死ぬ前の最後の願いとして学校を一目見たい!」と言って死んでいく明治時代の病弱学生の話に感嘆の声を上げていたのを思い出します。

↑箱根にて。一目瞭然ですが左2人が地球の反対側の夫婦です

 

 末息子、浩も長期出向になり、後半のほとんどを仙台のホテルから市内の会社に出勤していて、庭の離れで一人で暮らしている90歳の母を含めてそれぞれが独立の「自給自足」(?)の生活でした。おかげ様でみな元気です。

 8月末には仙台の息子が誘ってくれて、彼の休暇がとれたので家内と3人で「奥の舗装(ほそ)みち」をたどってみました。50年前に太宰治が「本州の袋小路」と呼んだ津軽半島の竜飛崎は、意外にも青い海と空に囲まれたギリシャの明るい岬のようで、海外ばかり目を向けずに近くからという気になりました。

 11月には中学を卒業して50年目の会が下関であり、当時の友人宅にお世話になって、60ぶりに、戦時中に5才で疎開していた島原の田舎と、高1まで居た下関の田舎とを歩いてみました。島原では住所も分からなかったのに、当時お世話になった大家さんの息子さんが分かり、お会いして記憶を確かめあいました。つかの間の「若返り」でした。今年もE-Mail賀状で失礼しました。 

↑我が家の2階からデジカメの望遠で撮った富士山。前景にあった太い電柱と電線を消した修正写真です。

テキスト ボックス: ここにはそれぞれの個人に宛てたメッセージが入ります。

   沢 健

試作ビデオ・コーナー

(画面が出ても始まらない場合はWindows Media 9をクリックしてアップグレード必要です。WM10OK

2.家族のことなど (下線部分の青い文字をクリックすると関係頁へ飛びます)

テキスト ボックス: アニメーションX’masカードと賀状です。
下をクリックすると「セキュリティの警告」がでますが、ウィルスは入っていませんので「実行」してください。音楽(BGM)も流れます。開いた画面左下のQUITをクリックすると終了します。  
 ★Merry Christmas
 ★Happy New Year

azw@palette.plala.or.jp

この天使をクリックして英語カラオケ(?)でもどうぞ。(開いた画面下の▲をクリックすると歌声が付きます)

●メイルソフトによっては絵がみだれます。その場合はメイルください

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