長崎被爆生存者と米大統領が図らずも一致!
クリスチャン・ネグロニ
長崎の生存者でもある東京の教師、相沢健夫氏も、多くの他の日本人と同様、広島平和記念公園でのオバマ大統領のスピーチを生中継で見ることはなかった。77才でも、若者のように予定がぎっしりで、生まれたばかりの孫との対面や差し迫る同窓会関連のことなど他のことに関わらなければならなかったのだ。
しかしオバマ大統領が数日前に日本へ来ることになった行事のことは大抵の日本人よりも彼の記憶に残っている。彼はその時代を生き抜いてきたからだ。
長崎の彼の住まいから30キロのところに原爆が投下されたとき、彼は6才の小学校の生徒だった。「私は原爆の深刻な被害には会っていません。だから生き延びて、今このようにお話できるのです」と彼は言った。しかし彼もその仲間も空襲警報が鳴り、人が金切声を出す中を、学校から逃げ帰り、家族で掘った防空壕に隠れて空襲を逃れた。1945年8月6日に、いかに多数の死者、重症者が出たかの記憶は彼を離れない。「実際、毎日がひどい惨状でした」と彼は言う。
私は、2010年以来彼を知るようになった。日本を訪れる外国人をボランティアとして援助する外国語の堪能な日本人ガイドの取材をしたときに彼をインタビューした。多方面に興味の旺盛な元英語教師の彼には、これは退職後の活動としてピッタリだ。またこの数年、他のことでも彼は私を助けてくれている。つまり今度間もなく出版される本を書くに際して、その資料の調査協力者でもあった。
昨夏彼と弟の道彦氏がコネティカットの我が家を訪ねてくれた。私の隣人とも交流し、教会のミサへも参加し、私の友人のデイビッド・パクア氏のご厚意で小型機の操縦まで初体験してもらった。
彼ら兄弟が長崎の原爆生存者であるのを知ったのはしばらく経ってからだ。彼は全く思いがけない場面で、それを語った。日米の2人が友人になれるということを、とても気持ちを抑えた調子で、説明しようとしていた時だった。
戦争のあと、アメリカ軍兵士たちは日本人に食料を与え、それで彼の家族も生き延びられた。このアメリカ人たちの親切な行為が元になって、この少年に英語を学びたいという強い憧れが生まれ、大人になっても彼は世界を広い視野から見る機会を得たのだ。
この何年間か、彼は28か国からの訪問者をガイドしたが、会うたびごとに自分の中の何かが変わると言う。「これだけの人に会うと、世界の人は皆同じだと分かります。みな同じ共通の感情を持ち、同じ同情心、親切心、それに、弱さも共有しています」と彼は言う。
5月27日の演説で、オバマ大統領は同じ葛藤に言及した。つまり彼が「人間の根本的な二面性」と呼ぶものだ。
「これまで、このような機会に多くのスピーチが行われてきたが、オバマさんのスピーチは人間性を正直に捉えた点で、最も優れたものの1つでしょう」と、原爆問題には人よりもなじんでいる彼は言う。
「こういうことから、世界の人々がもっと直接に触れ合う手段を持つべきだと感じています。そうすれば、平和は実現するし、違った人種に対する偏見も溶けるはずです」と彼は述べる。
この戦禍に苦しんだ日本の少年の人生に劇的な影響を与えた兵士たちの例が示すように、兵士が残したものは破壊だけではない。
アメリカでは、偏見や恐怖心から広い心が持てなくなっているように見えるこの時期に、引退間際の大統領と長崎の原爆生存者の言葉は重み
持つべきだと思う。
But he remembers better than most,
the events that brought Obama to Japan a few days
ago, because Takeo Aizawa
lived through them.
Aizawa was a six-year-old student attending
class when the bomb dropped on
I have known Takeo
since 2010, when I interviewed him for a story about Goodwill Guides, a corps
of multilingual Japanese who volunteer to assist as guides to people visiting
their country. A former English teacher with a curiosity about many things, Takeo is well-suited to this post-retirement activity. And
over the years, he has also helped me on other stories and as a researcher for
my soon-to-be-published book.
Last summer Takeo
and his brother Michihiko visited me in Connecticut, meeting my neighbors,
attending a service at my church and through the generosity of my friend David Paqua, taking their first-ever flight in a small airplane.
I did not learn for a few years that Takeo and Michihiko were
After the bombs, American soldiers
provided food that kept his family alive. This act of kindness inspired the boy
to learn to English. And as a man, that skill gave Takeo
the opportunity to see the world from a broader perspective.
Over the years, Takeo
has spent time guiding people from 28 different countries. Each encounter has
changed him in some way. "I now know that people of the whole world are
the same, they have common feelings and share the same compassion, kindness and
weaknesses."
During his speech on May 27,
President Obama alluded to the same conflict, what
the president called "humanity's core contradiction."
"Many speeches have been made so
far," said Takeo, who is more attuned to the
subject than most, but Obama's address and its honest
appraisal of human nature "is one of the greatest," Takeo said.
''This gives me the impression that
we should have some means of getting to know each other more directly," Takeo suggested. "Then we have more peace and resolve
prejudice against different people."
The legacy of soldiers
is not always and only destruction, as evidenced by those who so dramatically
influenced the life of a boy in war torn