●98-1-1第2頁です。             ◆第1頁に戻る場合はここをクリックしてください

田無祖父一周忌の法事.

甲府・円光陰に全員集合

 
 祖父は96年の11月15日に89才の生涯を閉じたが、一周忌は都合で97年11月24日になった。
 祝日とあって法事が多く、30分刻みの流れ作業のよう。流れ作業は結婚式ばかりではない。僧の読経は15分ほどだがこのごろでは遺族への説教も7分ほど加えられる。左の写真をよく見てみよう。――誰だ?変なモノを祖父にプレゼントした奴は。
とにかく当日は大阪から駆けつけた毅君や茨城県からやっと間に合った道彦夫妻も入れて15名の大集合となった。それにしても祖父は見晴らしのいいところを手に入れたものだ。眼下に甲府の町並み、その遙か向こうには雪をかぶったアルプスの連山が長く連なる。そしてこの天気。来るときの中央高速からは未だかつてないほど美しい、くっきりとそびえる富士が眺望できた。祖母がやや不自由な足をゆっくり動かしながら、墓石に水をかけ、束になった線香に火を付けると目を開けておれないほどの煙が墓石に掛かる。祖父の魂が我々を歓迎してお膳立てをしてくれているようなまれにしか見られない秋晴れであった。
 
 余談だがスペースが余ったので書くが、健夫・悦子と乙彦・俊子の両方の仲人である須田夫人が、まさにこの11/24に亡くなられた。29日に新宿のお宅にお焼香に出かけたら、ご主人が一人ぽつんとおられた。病院での行き違いで不愉快な経験をされたことを話されたが、奥さんとの生前の約束で、遺体をそのままご主人が火葬場へ運ばれ、お骨を持ち帰ってテーブルに置かれていた。葬式らしい葬式も行わず、香典やお花も一切断られて、ひっそりとお骨と別れを惜しんでおられたのが印象的だった。死という不可解なものに直面したとき、物や金でごまかすことをしないで、本当に苦楽をともにした人間同士が心の交流を持つ時間をきちんと持つ勇気と決断が光っていた。
















和子の夫・大津家の
全員集合忘年会


 ところかわって、こちらは暮れも近づいた12月13日、渋谷は天厨菜館。殿上人の厨房という名前に負けない天下一品の中国料理の優雅なことにびっくりの店。日立金属商事の専務を定年退職されて悠々自適の毎日をおくられている。上の写真の額の前に座っておられる方がこの会の発案者でもあり、大津家の大黒柱の大津浄氏。この右の写真の人物が、大津浄氏の長女佳代さんの夫本間俊之氏のご両親だ。父の本間行雄氏はNTT関連会社のJCOS株式会社のやはり取締役なので、総会屋の締め出しの問題ではお二人ともいろいろ関心がおありの様子。
この左の写真が本間俊之・佳代夫妻。和子の結婚の1ヶ月前の4月に結婚でまだ新婚ホヤホヤ。俊之氏は清水建設勤務だが近く中国へ長期出張とか。毅と同窓で都立大出身。佳代さんは上智大法学部の出で浩の先輩に当たる方、目下法律事務所勤務。この下の写真の後列の右から4人目の方が大津浄氏の京子夫人。生け花と茶道の師範をされておられる。親戚ではあってもめったに顔をあわせる機会もないので紙上紹介をかねて報告させていただきました。


●1頁目に戻ります(ここをクリックしてください)


このページの一番上に移動(この文字をクリックしてください)