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今年も原稿をよろしく!
昨年4月にホームページを作ってすでに8号目になりました。4人の兄弟妹が新家庭を持ち始めて、田無、青戸、武蔵小山、綱島、に分家(?)したのを機会にその頭文字をつづり合わせた家族新聞を作ったのは1970年にさかのぼります。これをパイプとして情報を「タント」交換しているうちに30年近くの年月が過ぎたので、そろそろ世代交代の年かなと考えています。我こそはという人は名乗り出てください。
「タント」は小さな家族新聞ですが、親しい知人友人にはホームページのアドレスを知らせてくださっていいと思います。 この間田無にみえたアイルランド人のTony
O'Connerさんはこのホームページに載せた彼の母Annaさんの写真のことを祖国の兄弟に知らせて見せたと言っています。私の国立高で教えた卒業生でカナダのサスカチャワン州に在住のT君はカナダに持ち込んだ日本製のパソコンで読んで、私の「教育論」への感想をe-mailで寄せてくれました。たまたま彼のカナダ人の奥さんがアイルランド系の方で、私たちのアイルランド旅行のアルバムを見て親しみを覚えた様子も彼女の流れるような筆跡でクリスマスカードに書かれています。
この右の絵は何だと思いますか?T君と彼の奥さんから送られたクリスマスカードの表紙の絵です。雪だるまが融けてゆったりと暖かい空気が伝わってくるようです。こんな絵がクリスマスカードに姿を変える国民性が面白くて載せてみました。この20年毎年クリスマスカードをくれるシアトルのアメリカ人も昨年はアイルランドのカードをくれて、我が家はアイルランドの1年でした。
●旅行業務取扱者主任者試験合格
――浩君
旅行斡旋業に興味を持ちだした浩君は昨年度の運輸省の国家試験の一つ「国内旅行業務取扱主任者試験」に合格した。大学に通う一方で、そのための予備校への学資をアルバイトで稼いで勉強した。旅行業法という法律で、旅行斡旋業を行う店には必ずこの主任者試験に合格した者が少なくとも1人は居なければならない規定があるようでJTBなどの就職には有利だとか。ただ海外旅行も守備範囲に含めるには「一般旅行業務取扱主任者試験」というのがあるそうで、来年はそれに挑戦すると張り切っている。もし旅行業に進んだらよろしくご支援ください。
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Tony O'Conner氏を交えた
英語歓談のクリスマス
10月5日号でお知らせしたTony氏を交えてのクリスマス会は結局12月29日正午から道彦叔父と和久・和子夫妻と近所の中学生一人も加わって行った。どういう訳か来日7年にもなるTony君も初めてだというお屠蘇から始まった。薬のようだと言いながら手巻き寿司と一緒に味わいつつも、連日の忘年会でアルコールが抜ける暇のない彼はウォーターで乾杯。浩も大学の英会話の授業の延長のような様子でコミュニケイション。道彦叔父も度々のアメリカ出張で鍛えた英語を機関銃のように解き放っているようにみえた。和久・和子夫妻も職業柄日頃鍛えた英語が口をつき、彼が現れてから門を出るまでの7時間近く間断なく英語の歓談が続いた。
ゴールウェイ大学で地理と歴史を専攻した経歴の持ち主なので前回の約束でその日は武蔵野郷土館を案内することになっていた。快晴で暖かい日だったのでワンちゃんも連れて、往復2時間の散歩をすることにした。最初は写真のように
お互いにおっかなびっくりだった1人と1匹も直ぐに慣れた。やや冷たい風を受けながら歩く間も英語は続く。アイルランドの夏の朝を思い出させる天気だという。言われてみれば旅行でアイルランド西海岸のBBで朝起きると窓一面に露がついていて、外に出てみるとひんやりした風が冷たく感じられたのを思い出す。我々は慣れさせられている日本の物価の高さにも新鮮な驚きを表す。不動産屋に入って35,000円とあるのでreasonableな家賃だと思ってきくと何とこれが一ヶ月の駐車料だと分かってショックを受けたこと。天窓を付けるように改造を頼もうとしたら200万だと言われたという話をきいたこと。アイルランドだとこの十分の一程度で改装しつつ何世代も同じ家を使っていくのに30年くらいで作り替えなければならない家を作るのは詐欺のような感じがすること。外人は教師として永年勤めても、正規の教員として採用されることはなく、退職金もないので将来は保障されていないので、ここで結婚して本気で教育に打ち込むことは不可能であることの矛盾もにおわす。残念ながら郷土館は年末で閉館していたが、皇太子の
住居だった建物を移築しただけに風格が残っていて印象に残ったようだった。上の写真は途中の公園の中で、一番右に立っている人がTonyさん。
その内容は:
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