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97/10/6(月)

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アイリッシュ
Tony O'Connor君 田無

 
 前回にご報告したのアイルランドの旅で自分の農場生活を披露してくれたゴールウェイのアナ・オコーナーさんの息子さんのトニー君が、去る9月7日田無を訪れた。見ての通り、さすが西部劇のジョン・フォード監督の生まれ故郷出身だけあって、スティーブ・マックィーンにそっくりの彼だが、俳優ではない。ゴーウェイの大学で歴史と地理を専攻し、卒業と同時に、知人の紹介で来日し、そのまま横浜国立大学と高校で教鞭を執っている秀才のアイルランド人。もう日本には7年もいるらしく29才の好男子である。あと2年くらいいて、帰国し日本との交流事業の関係の仕事を始めたいという。
  タントのホームページにお母さんの写真が出ていると言って見せたら、すっかり感激して、早速コンピュータを持っている兄弟の所に連絡して、見せてやるんだと張り切っていた。さすが平和で静かなアイルランドから来た人らしく、この7年間ほとんど東京に出てくることはなかったそうで、横浜の田舎に隠っているとか。
 今回は突然の訪問だったので、次回はクリスマスころに再び、田無で食事でもと考えている。興味のある方は英会話の練習のつもりでも結構だし、そのころ田無へお出かけください。




ヒイ祖父さんは
11人の子持ちだった!


・・・・除籍簿から判明

 田無の登記の必要から除籍簿を取り寄せた。父小二郎の14才以前からのすべての戸籍関係の書類が必要だという。2千数百円の手数料を添えて甲府市役所に要請した。その結果、江戸時代末期の天保2年に誕生した相沢久兵衛が遠藤生満という1才上の女性と結婚し、相沢高穀(嘉永5年生まれ)という子供を生み、彼が穂坂津弥(安政3年生まれ)との間に何と11人の子供を生んだことが明らかになった。その長男の相沢慶重氏が田無の父小二郎の父であった。その慶重氏は息子2人、娘3人をもうけたが、父は次男であったので外へ出ることになったようだ。
 11人の子供のうち三男、七男、長女は死産だったようで戸籍にはない。今のように産まれた子がほとんど育つような環境ではなかったようだ。六男の享氏は朝鮮平安北道へ行ってそこに居を構え三人の子供を生んだようだ。
 これは父方のルートだが母方のルートも調べてみると面白いかもしれない。



        
 

お彼岸の墓参ラッシュ

1周忌は11月24日に!

 

0月1日は都民の日で健夫が休日になったので母と照子、悦子とで甲府の墓参に出かけた。ご存じのように、墓地墓石の周りには父が植えた銀杏や、槇の木が枝と葉を伸ばし始めて、隣に迷惑になりかかったり前が通りにくくなり掛かったので、母が気を利かして鋏を持っていって剪定をした。鋸が必要なくらいの幹の成長なので、11月にはもう少しさっぱりさせる準備をして出かけたい。 すでに兄弟の全部が9月中に墓参を済ませていて、かなり手入れも進んでいたが、それでもゴミ捨て場がいっぱいになるほどの枝を切り落とさなければならないほどだった。
 



人の祈りの姿だけ撮っていて不謹慎なと思われるかもしれないけど、般若心経を全部そらですらすら出てくるおばあちゃんと照子が、全部を唱え終わるにはかなりの時間がかかり、このあとで加わっても十分にお祈りできる状況であった。


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