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Clevelandに行く前の3日間、New Yorkで過ごした。6/12午前1045JFKに着いた我々を、直前にMiamiからJFKに戻って来たNew York Times記者のChristineんが出迎えてくれた。一緒にバスでマンハッタンへ。バスは外から見ると一面にペイントで文字や絵が描かれていて窓がないように見える。しかし中から見ると、窓の部分は網戸のような細く黒い格子状の網が入っていて、薄暗い。窓も事実上開かないのと同じで、蒸し暑いのに冷房もない。バスの運ちゃんも黒人でかなり乱暴な運転。安いので文句も言えないようだ。東京では考えられない状況。1時間も乗ったかなと思う頃、やっとグランドセントラル駅へ。梅雨のないNew York]は降りても焼け付く太陽とムシムシする湿度。

 時差ボケを解消するために1泊したホテルは、Grand Central Stationの近く40th StreetにあるSeton Hotelという比較的小さな小奇麗なホテル。地元のChristineさんの推薦だけに、便利で融通がきく。まだチェックインの時間ではないが、気持ちよく入れてくれる。しかし便利な場所だけに2人で税込295ドルと高い。でもマンハッタンの中心部としては安い方らしい。今度は冷房のよく効いた静かな部屋で3時間仮眠したら気分が良くなったので、世界貿易センタービル跡地のグランド・ゼロへ行ってみる。アメリカのプリペイドSIM日本から持ち込んだiPad-miniに挿して使う。どこでもすぐにネットにつながる。iPadは電話機能がないが、マイクもスピーカーも内蔵で、Skype電話は可能。月490円で電話着信番号もくれるサービスがSkypeにあり、SIMを挿すタイプだと世界中どこに居てもiPadで電話発着信にも安く対応出来る。外を歩くときもグーグルマップを使うとそのままルート案内してくれるし、付近のレストランなども値段付で現れるので便利。だが、地下鉄の中ではうまく機能しなくて、方向を間違えてブルックリンへ出てしまう。再度切符を買い直して、ウォール街へ。でも65以上は地下鉄も割引料金だと切符売り場で教えられる。iPadは鎖でベストに留めていたが、NYの路上で広げているのはひったくられる危険があるとChristineさんに注意されていたので、街路の片隅で道彦と囲うようにしてiPadの地図を検索。次第に慣れて方向を間違えなくなる。

 ご存じの方も多いが、世界貿易センタービルの2つのタワー跡(Ground Zero)は、そのまま四角の深い穴のプールになっていて、四方から滝のような水が壁伝いに流れ込む。それを取り囲む石枠には3千人の犠牲者の名前が彫り込まれている。

6/13()
7時前に目が覚める。今日はChristineさんの家を訪ね、コネティカット州を案内してもらう予定。快晴。ホテル近くのグランド・セントラル駅から北行きの電車に乗る。1時間ほどで緑の豊かな郊外の町Old Greenwich駅に着く。BMWChristineさんが迎えに来てくれる。駅のすぐ近くだが、海にも近く、緑の中に余裕を持って大きな家が立ち並ぶ高級住宅地。New York Times編集局に勤めるご主人のJimさんが元気に迎えてくれる。応接間が3つもある大きな家。今日は2人で1泊させてもらうが、4人居た子供がみな独立し、2階の部屋が空いて、どこでもどうぞ...という感じ。早速1部屋に落ち着く。まず近所を散歩でも...と言っているときに、飛行場に居るDavid Paquaから電話がかかる。今日は彼が作った小型機に乗せてもらうことになっている。「用意が出来ているので、すぐに始めたい」とのこと。早速Christineさんと30分くらい先のWestconn飛行場へ。Davidは、飛行機や旅行関係の記事を担当するChristineさんの長年の友人で、私たちが興味を示すとタダで試乗させてあげると言ってくれていた。快晴で風もない絶好の飛行日和。小型機専用の小さな飛行場。彼は本来はガラスの建築技師だが、この飛行場や自宅の作業場で小型機を作り始め、5年かけてこの単発複葉機を完成させたという。アクロバット飛行士に頼まれて製作中の単発単葉機が格納庫の片隅にもう1機見える。

 前後に並んだ席がある2人乗り機で後ろに彼が乗りコントロールするので、お客は1人だけ。Who is the first victim?と彼が笑いながら言うので、私が立候補。主翼の付け根部分の指定されたところに足を載せて前の席にもぐりこむ。飛行中はプロペラの音で会話は不可能なので、ヘッドフォンで話す。客が乗る前席には速度計と高度計の他は操縦桿が足元から上に伸びているだけ。エンジンが意外に大きく、背の低い私には前の視界がかなり遮られている。コックピットを覆う透明なフードが下ろされると、後のDavidがエンジンをスタートさせ、目の前のプロペラが回り始める。自動車のエンジン始動と同じような感じ。小さな飛行場なので、やがて動き出したと思ったらすぐに滑走路の端に着く。インターコムからは何も聞こえてこないが、管制塔と連絡は取っているようだ。そのまますぐにエンジンの回転数をあげて100mも走ったかと思ったら、もう離陸していた。重いジェット機と違って、小さな鳥が飛び立つような感じ。速度も130km/hくらいだし、高度も500-1000m程度なので、地上の景色はすばらしい。コネティカットの緑の中に大小の湖が点在する風景は、これがニューヨークの繁華街のすぐ北にある場所とは思えない大自然。ハドソン河がその緑の中をくねって進む。森の中に綺麗な住宅街が散在する。高度を落とすと建築中の柱もはっきり見える。機体を傾けながら河に沿って急に曲がる。目の前に蛇行する河が迫る。機体の浮沈もかなりあるが、こんなものだろう。後ろのDavidがインターコムを通じて「操縦桿を動かしてみないか」と言う。76才にして初めて握る操縦桿。前後に動かすと機体はすぐに反応し、上昇、下降する。左右に動かすと方向が変わる。とても敏感に反応するので愉快。前方に小さな飛行場が見える。「あの飛行場の方角にコントロールしてみないか?」とDavidが言うので、少し高度を下げて左右の方向を調整してみる。車と違って、信号機もなければ、対向車もないので、そんなに難しい操作ではない。空は本当に広いし、自由だ。飛行機の「無免許運転」を取り締まる警官もいない!! かなり近づいたところで再度Davidにバトンタッチ。そのまましばらくハドソン川にそって遊覧飛行をうまく操縦してくれて、気が付いたら、出発した飛行場の上に居た。1回転してきれいに着陸。これも鳥が地面に滑り降りるような感じ。このあと道彦が次のvictim? 彼は海の方まで出たという。お礼に日本から持って行った日本酒を渡す。片隅のテーブルを囲んで、Christineさんが気を利かせて用意してくれたサラダとクラッカーとケーキでランチ。

 まだ時差ボケが解消されないので、家に戻って昼寝をさせてもらい、夕方、近所を歩く。近くの不動産屋の看板を見ると1億円から2億円もする住宅が普通で、ゆとりをもって並ぶ高級住宅地。イギリス人の植民した地域の名残りか、古い石垣が残る。それにしても、どの家も前の芝生の管理が行き届いている。雑草も生えるだろうし、芝生も上に伸びるはずなのに、同じ高さでどこも艶がよく、枯れたものも見かけない。不思議だ。垣根がないので、近隣の一種の「共有財産」のような感じで、管理を怠ると周りから文句が出て、罰金も取られるので、皆芝生には神経をとがらせるとChrsitineさん。そう言えば、彼女の前庭には土がむき出しで花壇になっているところが多く、芝の部分はわずかなのだが、全く例外的。忙しい彼女の合理的な考え方が分かる。あとで泊めてもらったOhio州のMoreskyさんのお宅では、家の前後に広い芝生があり、職人を2人も入れてエンジン付きの芝刈り機で整備させていた。それも1週間に1度は芝を刈るのだそうで、人を雇って行うのは大変なことだと思う。国旗がよく出されているがもちろん自由意思で純粋な愛着心だろう。妙な形で国旗に苦しめられた歴史がない国民にはわだかまりがない。

 裏の家のAbe(=Abraham)さんが、「私はアベだよ」と笑いながら、裏庭のディナーに加わる。我々が来たので、呼ばれたようだ。初孫が生まれたとかで、自分でCosmopolitanというカクテルを作ってご馳走してくれる。やっと初孫に恵まれたAbeは日本の若者の結婚事情について聞いてくる。Jimは今は編集者だがNew York TimesMen's Worldというコラムを継続担当していたと言う。若者の3倍も給料をとるので、会社は追い出したがっていると半分ジョーク。戸外でかなりの暑さの中なのに、不思議に蚊がいない。分厚い身の鮭のバーベキュがうまい。Abeはキューバからの移民で、アメリカにたどり着いたときの苦労話をしてくれる。

 かなり暗くなったので、室内のソファに移って雑談の続き。ウクライナ情勢への懸念。アラブの混乱。でもアメリカ人はいずれ何とかなると思っている様子。「世界の将来を楽観視しているか?」と聞かれるので、「No」と答えると意外だという感じ。「民主主義は確かにすばらしい制度かもしれないが、世界のどの地域にも適応できるとは思わない」と控えめに言うが皆沈黙。やはりアメリカ人は皆民主主義信奉者のようだ。政治の話はしない方が良いのかもしれないが、聞かれたら答えないわけにいかない。
 

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6/14日)
7時に起きる。Christineさんが近くの海岸の散歩道へ連れて行ってくれる。車で5分といかないところに近くの人たちだけが入れる海岸がある。見渡すと海の向こうにマンハッタンの摩天楼のギザギザが小さく見える。左側にはロングアイランドが対岸として連なる。挟まれた海は波もなく静かだからか、Long Island Soundと呼ばれる。朝のジョギングをしている人たちに盛んにすれ違う。彼女は、知ってか知らずか、気さくにHalloと話しかける。この地区の大部分は緑に囲まれた動植物の宝庫。シラサギや日本では鵜飼にしか見ない「ウ」が野生のまま生きて自分のエサを食べている。スイカズラの花が匂う。実は彼女が住まいをここに決めたのは、この素晴らしい場所が近くにあったからだそうだ。そのとき案内してくれた不動産屋はまずここに連れて来て、わざと車の中の見えるところにカバンを残して行き、戻ってきてそのままあるのを見せて、安全な場所であることをデモしたので、Christineさんは買う気になり、「作戦に引っかかった」と笑った。

 今日はこれから船でロングアイランドに渡り、道彦の昔の友人David Milne氏宅に向かう予定なので、朝食後、荷物を積んでフェリーの出るBridgeport港まで送ってもらうことになっていた。途中、彼女がよく行く、近くの教会へ行き、日曜礼拝に参加。プロテスタントの長老派教会(Presbyterian)で、教会は大きな魚の形をした石造りの建物。前には気の利いたデザインの鐘楼もある。鐘は自動ではなく、人が上がって鐘を弾いて音楽を作るそうだ。説教は皆を笑わせながら和やかに進む。Christineさんも一員だったという聖歌隊の音楽もきれい。みなで歌う場面になると彼女が譜面のページを開けて、渡してくれる。メロディは単純なので、1度聞けばすぐに歌える。

 一通り終わると別室に飲み物とスナックが用意されていて、簡単なランチが出る。そこでまた「日本からの来客」はいろいろな人に紹介される。でも多すぎてすぐに忘れる。一応何人かに名刺は渡す。船の時間が迫ってくるので、急いでBridgeportのフェリー乗り場へ。対岸のロングアイランドPort Jeffersonまで1時間、60才以上は15ドル(普通は18ドル)Christineさんが別れ際にチキンやサラダのランチをパックして渡してくれる。全く至れり尽くせりだ。

 波もなく快晴で、順調に進み、予定通りPort Jeffersonに到着。Davidが迎えに来てくれている。道彦とはもう20年来会ってないそうだが、親しみ深く迎えてくれた。彼の住家はロングアイランド島の東のはずれのEast Hampton。もともと帆掛け船クルーズが趣味の彼は、海がすぐ側のその場所に別荘を建てたが、退職近くにそこを2倍の広さに建て替え、本拠として移動した。森の中の1軒屋の雰囲気で、実に美しい豪邸。Davidによると、アメリカがヨーロッパの植民地になるとき、マンハッタンはオランダ人が入植、ここロングアイランドはイギリス人が気に入って入植したという。オランダ人は通商で稼ぎまくり、マンハッタンを商業地に一変させた一方で、ロングアイランド東部はイギリス人がノンビリくらす高級別荘地に発展。今でも金持ちの別荘地だ。マンハッタンに近い島の西部は人口過密で、通勤圏だが、マンハッタンへは個人の車を使わなかったら、古い、当てにされない鉄道か路線バスしかない。冬が長く、4月までは雪に閉ざされるというが、自然の中で生きるのが好きなのだろう。彼がセイリングを楽しむ静かな湾に案内してくれる。のどかに白い帆掛け船が通るが、ほとんどエンジン付き。風が凪いだときや逆風のときに必要
だそうだ。浜辺はきれいな細かい砂。しかし泳ぐ人も見当たらない。目の前の
Long Island Sound自体が大きな湾になっていて湖のような静かな海。そこから更に入り江で入り込んだ所にヨットのたまり場がある。ここが世界一の大都市の近郊とは思えない不思議な場所。でも野生の鹿が庭のアジサイを食べてしまうので、木の柵を作って防御している。巨大な犬を飼っているが、鹿の相手にはならない。

Davidの息子もDavid, 祖父もDavid3世代同じ名前なので、息子はDavid the 3rdと呼ばれる。彼はマンハッタンの南のGreenwich Village付近のIT会社に通って、学校関係のソフトを制作している。マンハッタンに下宿していて週末にしか帰宅しないが、我々のために姿を現してくれた。手先が器用で、見事な幾何学模様モザイクのテーブルを作ったといって見せてくれる。大きさも変えられる機能的なもので、とても素人ワザではない。母親のMaryも芸術家。種々の色のガラスが溶けた状態の時に、それらを組み合わせて模様や風景を作り1枚のガラス板に仕上げてしまう。時にはそれらをさらに貼りあわせて厚みのあるものにして、深みと変化のある美しいガラスの固まりにも仕上げる。だから1枚のガラス板の絵になり壁にかけることもできるし、分厚い置物にもなる。その工房がの一角にあり、もちろん炉もある。

 息子のDavidが作ったテーブルが1階のベランダに置かれ果物の入った大きな器を挟んで、道彦と父のDavidが昔話をする。ビル全体を冷やす大型冷凍機がアメリカでは電力を使うのが普通だった30年くらい前、道彦が「日立」で安価なガス・エネルギーを使う方式を開発して、Davidと一緒にアメリカに500台くらい売り込んだのが縁の始まりだそうだ。Davidが深度を細かく記した帆船用の海図を見せてくれる。帆船は錘が船底から下に伸びてバランスを取るので、海の深度は最も重要な点。海図で彼のお気に入りのコースを説明してくれる。応接間に移動して焼き貝柱の前菜。ボリュームがあり、これだけでお腹が出来てしまいそう。でも、息子のDavidが炭火で焼いてくれた自慢のビーフを是非と言われて少し賞味。奥さんお手製の巨大なスポンジケーキもデザートで待ち受ける。

6/15()
雨の音で目が覚める。薄暗い庭の樹木が濡れている。天井の明り取りのガラスに打ち付ける雨音が普通ではない。ホールに行くとDavidはすでに起きていて、「これまでの数日晴れていたので、これから2-3日は雨が降るかも...」と幸先が良くない。突然巨大な愛犬Pierceが飛びかかってきて挨拶。皆で朝食の卓へ。色とりどりのフルーツパフェ、丁寧に味付けしてきれいに焼いた肉。ティーとコーヒーはDavidの担当。

食事中、道彦は、自分の誕生日でもある(2001年)911日の朝、アメリカ同時多発テロの時間に、たまたまワシントンDCへ向かう飛行機に乗っていてデトロイトの上空に居たので、その顛末記Davidに聞かせる。この彼の経験は、この度の旅行中にいろいろなところで聞かれ、彼もその度に詳細に答えていた。

 East Hamptonからマンハッタン行きのバス停があるAmagansettまでDavidが車で送ってくれる。着いたら土砂降りで、車の中で待機。やがて豪華なバスが来る。ゆとりのある座席にはテーブルもあり、熱いコーヒーやお菓子がタダで配られ、WiFiも利用出来て、飛行機の機内のようだ。バスがやや遅れ気味なので、マンハッタンで待ってくれているChristineさんにiPadSkype電話で到着時間を連絡。バスがグランドセントラル駅近くに到着したころには雨はほとんど上がっている。East Hamptonを出て2時間余りで、約束した3rd Avenue39th Streetの交差点Christineさんと会う。我々の大きな荷物を見て、彼女が向かったのが、3日前に泊まった近くのSeton Hotel。受付の女性に3日前に利用したことを告げて、「また利用するから、好意でこの2つのトランクを預かってくれないか」と頼みながら、用意して来たチョコレートの袋を渡す。あたりに大きな荷物を預けるロッカーなどはないので、どうしたものかと思っていたが、このような融通のつけ方はすごい知恵だと思う。さすがNY Timesの旅行関係の記者だ。

 すぐに彼女の夫のJimが待ち受けているNew York Times本社の見学に向かう。昔は、その名が示すようにタイムズ・スクウェアの角にあった本社は、今は数ブロック西に移動している。世界一の報道機関だけあって、セキュリティは厳しい。見学はあまり認めていないせいか、チェックを受けるゲートは2つだけ。抜けるとエレベータが並ぶスペースへ。1台めのエレベータ・ボタンを押すと番号が出て、その番号のエレベータへ移動し、それで2階へ。そこでJimが待っていてくれる。

 すぐに広い編集室へ。新聞社の編集室というのは書類や書籍に埋まっているという先入観があったが、今ではパソコンが並ぶ普通の会社と変わらない。ただ、昔のやり方を維持しながらパソコンを編集などに導入した部門と、最初から完全デジタルだけで全てをこなす部門とは分けてある。しかもiPhoneでの記事配信に特化した技術を開発している部門まである。Jimが国際部門にデスクを構える田淵晴子さんのところへ案内し紹介してくれる。東京からの日本経済、ビズネス、科学技術などの情報を担当。彼女もJim同様、ピューリッツァ賞を取ったことがあるNew York Times記者だ。Book Review関係の記事を編集する中心人物にも紹介されたが、年配のベテラン女性だった。廊下には今までのピューリッツァ賞を受けた社員の写真が並ぶ。ものすごい数。3階には、編集会議室。毎日20人くらいの編集トップが集まり、トップ記事を何にするかなどを決めるそうだ。更に4階にはインタビュー・ルーム。大テーブルを囲んで30人くらいは座れそうな部屋だが、今までこの部屋でインタビューを受けた世界の著名人の顔写真が四方の壁を埋め尽くす。チャーチル、ゴルバチョフ、蒋介石、ケネディ、マンデラなどと並んで、現天皇皇后の皇太子(妃)時代の写真が目についた。200人くらいの世界の著名人の中で唯一の日本人だった。社員カードだけを支払い手段として認める社内のカフェテリアで食事。Jimが自分のカードで精算してくれる。Jimは仕事を中断して我々の案内をしてくれたので、ここで仕事に戻る。マンハッタンの摩天楼が周りにそびえたつのを見ながらChristineとしばし歓談。外はまだ雨模様だが、セントラルパークを横切り、MET(メトロポリタン美術館)に行こうと出発。

 このあと私と道彦は夜8時にNewark飛行場からClevelandへ発つ予定があり、それに合わせたバスの時間まで、そう余裕はない。美術館についた時点で、展示物を見る時間は30分程度しかないことが分かった。メトロポリタン美術館の入場料は一応25ドル(シニア17ドル)になっているが強制ではない。そこでChristineさんは「時間のことを考えると15ドル程度寄付する形で良いよ」と言う。杓子定規でないこの融通性がおもしろい。実際、気持ちよく5ドルを受け取ってもらい、胸に貼る通行証をもらう。全ての展示が見られるというので、たまたまやっていた「日本伝統美術展」へ。全部がアメリカ人のコレクターからの出品なので、日本では見られない面白いものがある。日本では浮世絵と言えば、歌舞伎役者か風景画、町人の風俗画などだが、何と黒船来航で混乱する港の風景やアメリカへ渡った画家が見たものが浮世絵になっている。また日本に来た外国人の風俗なども浮世絵になっているのは初めてみた。

 Christineさんと別れて路線バスでNewark空港へ。マンハッタンの混雑を抜けて、ハドソン川を渡るとNew Jersey。意外に早く着いたので、喜んでいたら、間もな我々のフライトが2時間半遅れと表示が出る。我々の便だけではない。全体を見ても4分の3くらいの便は1時間くらいの遅れ。特に事故があったわけでもなく、過密ダイヤの無理が夕方の便にしわ寄せされるようだ。あわててClevelandのホテルやレンタカーに遅れの連絡。しかし空港内のスピーカーの騒音はひどいし、電話の音声状況も最悪で、大変苦労する。8時発のはずの飛行機が飛んだのは何と11303時間半の遅れ。でも1時間後の1230にはClevelandに着いた。フライトがキャンセルにならなくて良かった。
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