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10/6(月)
 今日も快晴。豊かな朝食。自家製のマーマレードもある。お茶が種類が多いので、選ぶのが大変。ドイツ語表示のティーバッグなので、細かい種類が全く判読できない。適当なハーブを選んだら、日本茶に似たものが出来た。モーツァルト時代の「遺物」が廊下やロビーにうまく配置されていて、写真の恰好の標的になる。我々の寝室の屋根裏部屋(?)も天井の垂木が露出しているが、日本では普通の柱などに使われている太さのものだ。7時近くになると近くの教会の鐘がいっせいに鳴り始めた。ベランダに出てみると朝の澄んだ空気が快い。目の前に見える教会の尖塔から響き渡る澄んだ音は雪が凍りついた周りの山に乱反射しているようで、音の洪水。
 インスブルックの朝も活気がある。巨大なゴミ収集車が組み込みの小さなクレーンでゴミ箱ごと持ち上げて、荷台にひっくり返す。散水車もすでに走り回っていて路上のホコリを沈めている。駅前のレンタカー事務所へ行って借りる手続き。2人の運転者登録、欧州ではまれなオートマ車(ベンツ)、車両事故や盗難の保険を免責なしで付けると19000くらいにはなるが、2人で割れば14500円。でもまだ1000キロしか走っていないピカピカのベンツ小型車を貸してくれた。店の前で、借りた車の点検をしていると、近くを通りかかった老人が、前輪のホイールキャップが1つ付いていないのに気がついてくれて、「事務所に行ったほうがいいよ」とアドバイスをしてくれる。現地の人なのに異邦人のことに気を使ってくれるのに感心する。

 道路の周辺には、牧場のような緑に囲まれた居住地帯が広がる。小さな町にも古い民家の並ぶ狭い路地になった部分があり、抜けるのに気を使う。トイレはガソリンスタンドが便利だが、ガソリンを入れない場合は、そのまま使うのは悪いので、必需品である「水」の小さなボトルなどを買って持ちよく使う。しかしガソリン・スタンドのウラにあるトイレでも、入口に案内人のような人間がいるところは、要注意。随分親切だなと思うのは浅はかで、「私設のトイレ管理者」であり、0.5ユーロくらいのチップを取る。オーストリアは小さな国だが、高速道路はところによって最高速度が130キロまで認められているところもあるが、皆それ以上に飛ばす。しかしところどころに隠しカメラが置かれていて監視している。だが我がカーナビさんは、隠しカメラが置かれている場所を、常に更新されたオンラインのページからインプットしてあるので、その場所に近づくと警告音とともにその地点で落とすべき速度まで表示して、指示してくれる親切なしろものだ。しかも、オーストリアのどんな小さな町から出発しても、このザルツブルグ・ミュンヘンを結ぶ高速線を乗ったとたん、あっという間にザルツブルグに近づいてしまう。途中大きな湖Cheamsee湖畔に降り立ち、静かに深呼吸して高速道路のあわただしさを忘れる。
 ザルツブルグから南へ6キロのところにあるヘルブルン(Hellbrunn)宮殿に行ってみる。もともと貴重な塩で裕福になったザルツブルグの大僧正兼プリンスであった人が気晴らしに作ったという別荘宮殿。堅苦しい戒律に従う身分の者が、同じ立場に置かれたお客を招いて気分転換をしたらしい。「他では絶対にないような気晴らしを実現させる」のが目的で作られたとか。噴水のトリックが庭中に隠されていて、ガイドが説明しながら、スイッチを操作するとトンでもないところから突然噴水が噴き出し、観光客は悲鳴を上げて逃げまどうという妙な宮殿。従って皆、びっくりすることを体験したくて来る若者が多い。それでも乳母車を引いた若夫婦などもいる。そういうときは、「大丈夫だったですか?」と声を掛け、出来るだけ水がかからないようにガイドも気を使っているのが分かる。観光客にとって困るのは、いかにカメラを水から守るかということ。例えば、野外に小さな人形劇の舞台があり、人形が踊るのに見とれていると、突然目の前の柵の下から細い水流が観光客めがけて襲いかかる。後ろに逃げると、今度は後の階段の下から。といった具合で、かなりの人が、1000円以上の入場料を払ってビショヌレを楽しんでいた。でも庭園の広大な緑と広がりは見事。

ザツルブルグから東南の方向にあるザルツカマーグート(Salzkammergut) 地方はオーストリア随一の「湖水地方」。アルプスの山並みの中に、かなり大きい湖が点在し、昔「塩」で栄えた美しい小さな町並みが湖畔を埋める。その中でも最も美しく神秘的といわれるハルシュタット(Hallstatt)を目指す。直接の鉄道もなく、湖の対岸に小さな駅があり、そこから小さな連絡船で渡るだけで、バスも入れない陸の孤島のような場所。車で近づくと直前にかなり長いトンネルがあり、トンネルの出口を出たら眼前に湖水が広がる。横に目を向けると、湖に面した山の斜面から湖水のすぐ近くまで重なるように小さな集落が見える。湖と山が接するところに湖岸に沿って細い道が続き、町の中心へと入っていく。道の入口に通じるゲートをノロノロとおっかなびっくりそのまま車で突入。両側に古い建物の壁がそそり立つ間の細い石畳の道をやっとの思いで抜けると、湖岸に駐車場らしいのが現れた。ヤレヤレ。インターネットで予約しておいた、すぐ近くのGasthof Simonyという小さなホテルへ。湖水に面した部屋を希望しておいたのに、カウンターの女性は申し訳なさそうに、取れなかったと詫びる。それでも町の中心広場に面している部屋なので、窓の外には目の前に花に飾られたゲストハウスが並び、山の斜面にはカトリック教会、すぐ横にはプロテスタントの教会の塔がせまり、悪い部屋ではない。ホテルを出て湖水のすぐ側の道を歩いてみる。すでに陽は傾き、西の山並みの間から細く差し込むだけ。遥かかなたの湖畔に並ぶ大きなイチョウだけがその陽を浴びて、鮮やかな黄色に輝いている。まわりの山肌と湖面はすでに真っ黒で、スポットライトに照らし出されたような巨大な黄色。その黒い湖水の上を白いスワンがゆっくり進む。静かだ。湖のそばの野外にテーブルと椅子を並べたレストランがある。5時ではまだ1人の客も入っていない。夕食は5時半にならないと準備ができないという。とりあえず、ビールとワインで乾杯しようと、O君と湖水まで足を伸ばせば届きそうな席に座る。向こうに居たカモの一団が水の上を挨拶にやってくる。人間様のエサもまだ準備できていないのに、ムリだよ。でも、自分達で突きあって、追いかけっこを楽しみ始めた。静かな水面に柔らかい波が出来る。あたりが暗くなり始めると、寒さもジワジワと近づいてくる感じ。対岸にそびえる山々も大きな黒い影になる。空には少し白けたところがのこり、神秘的な風景だ。ただ座っているだけで周りの霊気が身体にしみ込んでくるような感じ。大げさに言えば、大自然の懐に抱かれた大きな安堵感、大自然との心の交流、対話を楽しむとでも言うのだろうか。まだあたりには我々2人以外のお客はいない。注文していたトラウトとグラーシュ(シチュー)が来る。ビールとワインが口の中で料理を引き立たせてくれる。

身も心も満ち足りて、宿に戻る。戻ってみてヒーターが機能しないのに気がついた。ゲストハウスなので、電話もない。カウンターのある1階に下りてみるが、誰も居ない。確かに古い部屋で、ロッキング・チェアやクラシックな4本柱と天蓋のある大きなベッドなどが置かれて、どこか少し貧しい王宮の寝室のようだが、テレビ、電話、インターネットなど現代文明をわざと切り離した世界。この静寂と神秘の世界に引きこもりに来る人々には邪魔なしろものなのだ。ヒーターも昔のスチーム暖房のようだ。2重窓だし、それほど寒くはないがシャツを1枚余計に着て寝た。それでも満室のようで195ユーロ。

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10/7(火) 
 朝食でGood Morningといったら、シアトルのアメリカ老婦人Goodではないという。「昨日はベッドが硬くて1分しか寝れなかった。お前はどうだったか?」というから、「ベッドは良かったが、寒くて厚着して寝たよ」と言ったらいろいろ話しかけてきた。Sharon Teckさんといって、東京の3ヶ所で同時に英会話の教師をやっていて、高田馬場、池袋、霞ヶ関を渡り歩いたとのこと。任天堂の重役の英語会話で苦労したこと。佐渡へ行ったら全部旅館がうまっていて、ユースホステルの納戸に布団を引いてもらって寝たこと...などをトクトクと話し始めた。彼女も英語がしばらくぶりに話せたようで、堰を切ったように次々に話題が飛んで、ゆっくりと食事も出来ないほどだったが、何とかお腹をいっぱいにして、別れた。その後、宿の人に暖房が壊れているので、部屋を代えてほしいと要請したが、「満員で空いた部屋はない」という。やむなくヒーターを何とかするように言って外に出る。
 まず岩塩の鉱山に出かけてみようということになり、ケーブルカーの乗り場へ。狭い坑道を歩くので作業着のようなカラフルな上着とズボンに着替える。トロッコのレールの敷かれた狭い坑道をまず350mほどもくもくと歩く。原色の妙な作業着の団体が道具ももたずに、軌道の中に引かれた板の道を進むのが観光ツアーなのだ。ときどきガイドが説明してくれるがほとんどはドイツ語で、ちょっと付け足すような英語の説明を最後に添える。それもドイツ語なまりで、たとえば「キリスト」はクライストとならず、クリストと聞こえる。何しろここハルシュタットの岩塩鉱山は世界最古のもので、7000年くらいの歴史があるという。確かに鉱山はかなり深くまで掘られていて、ずっと奥は大きな空洞になっていて、濃い塩水が溜まり、地上近くは太い材木で頑丈な枠が作られ、それにも塩の結晶がこびりついている。しかし塩を掘っただけの洞窟だから、変化に乏しく、観光客の注意を引こうとさまざまの工夫がある。行動の壁にその地点の大きな地殻構造の模型を設置して、それを動かしながらガイドに説明させたり、大きな洞窟の空間があるところでは、その壁に映画を映写して臨場感の中で納得させるようにしてある。大きな岩塩の原石の中に電灯を入れたきれいなイルミネーションなども配置してある。しかし説明は単調で、観客の反応はほとんどない。途中に木製の長い滑り台(chute)2ヶ所あり、下の層の坑道へと移動するようになっている。実際に昔から工夫が使っていたもので、かなりの急傾斜。おっかなびっくりでスリルがある。センサーで測定した個々人の下降時速をプリントした写真が知らぬ間に写されていて、私は時速14キロ程度だったが、早い人は30キロ以上にもなり、皆歓声をあげて大人用の滑り台を楽しんでいた。最後にトロッコに馬乗りにさせられてかなりのスピードでいっきに外まで運び出される。人間がやっと一人通過できる程度の大きさの穴の中を風を切って進むので、手足を不用意に出すと切れてなくなってしまいそうなスリルがある。

外に出ると先ほどまでかかっていた霧はなくなり、少しだけ小さな雲が山の中腹や湖上に浮かんでいる。向こうの山の中腹には野外のレストランが見える。上からハルシュタットの町と湖を見下ろす絶景の場所。早速そちらに急ぎ、野外の絶壁の脇にあるテーブルでオムレツやスパゲッティで昼食。湖上のほとんど目の高さのところに、小さな雲が浮かぶ。

上から眺めていても、ハルシュタットは高い山々の間に埋まるようにしてひっそりと存在するのが分かる。湖岸まで山が迫っているので、家を建てるだけのスペースもないほどの場所に、自然に手を加えないようにして、何とか身を寄せ合った感じで集落がある。

山の中腹にあるカトリック教会に寄ってみる。岩塩鉱山の工夫の守り神であるSt. Barbaraがちゃんと祭られている。しかし墓地は山の中腹を少し平らにして作られた狭い場所。ここでも細い屋根をかぶった十字架がきれいに飾られて並んでいる。しかしその背後にあるチャペルには狭いところに600もあるといわれる頭蓋骨と手足の骨が隙間なく並べてある。どの骸骨にも名前と死亡日が書かれ、額の周囲には男性は月桂樹の葉、女性はバラの模様が描かれている。土地が狭いので、お墓に安住しておれるのも12年間だけ。その後は掘り出されて、新しい死者の「安住」の地となる。そして掘り出された頭蓋骨が装飾されてうしろのチャペルへ「収容」されていたというわけだった。しかし1960年からはやっと火葬が認められて、この窮屈なお墓事情は解消されたとか。だが名前入りできれいに装飾された頭蓋骨を眺めていると、この死者の人どなりやこの筆に込められた遺族の愛情が伝わってくる。生前の名前まで奪われ、強制火葬で頭蓋骨が残るどころか、ゴミのようにコナゴナのお骨を壷に入れるだけの東京の葬式が機械的で空虚な儀式にみえて仕方がない。たまたま我々が夕食を取っていた地元のレストランStrand Cafeに、黒い衣に身を包んだ地元の人たち40人くらいが押しかけ、隣の大きな部屋でパーティを始めた。地元の葬式を終えた人たちの予約が入っていると聞いていたので、ドアのガラス越しに様子を伺っていた。葬式そのものは厳粛に行われるのだろうが、そのパーティは皆大声で談笑していた。1000人足らずの閑散とした町で40人が集まるのだから、故人との別れはやはり大切な行事なのだろう。そう言えば、先ほど町の小さな広場には、やはり黒装束なのに手に手に楽器をもった人たちが集まっていた。多分葬送行進曲か何かやって葬儀を終えて、再度集合したのかもしれない。
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