10/6(月)
道路の周辺には、牧場のような緑に囲まれた居住地帯が広がる。小さな町にも古い民家の並ぶ狭い路地になった部分があり、抜けるのに気を使う。トイレはガソリンスタンドが便利だが、ガソリンを入れない場合は、そのまま使うのは悪いので、必需品である「水」の小さなボトルなどを買って気持ちよく使う。しかしガソリン・スタンドのウラにあるトイレでも、入口に案内人のような人間がいるところは、要注意。随分親切だなと思うのは浅はかで、「私設のトイレ管理者」であり、0.5ユーロくらいのチップを取る。オーストリアは小さな国だが、高速道路はところによって最高速度が130キロまで認められているところもあるが、皆それ以上に飛ばす。しかしところどころに隠しカメラが置かれていて監視している。だが我がカーナビさんは、隠しカメラが置かれている場所を、常に更新されたオンラインのページからインプットしてあるので、その場所に近づくと警告音とともにその地点で落とすべき速度まで表示して、指示してくれる親切なしろものだ。しかも、オーストリアのどんな小さな町から出発しても、このザルツブルグ・ミュンヘンを結ぶ高速線を乗ったとたん、あっという間にザルツブルグに近づいてしまう。途中大きな湖Cheamsee湖畔に降り立ち、静かに深呼吸して高速道路のあわただしさを忘れる。 ザツルブルグから東南の方向にあるザルツカマーグート(Salzkammergut) 地方はオーストリア随一の「湖水地方」。アルプスの山並みの中に、かなり大きい湖が点在し、昔「塩」で栄えた美しい小さな町並みが湖畔を埋める。その中でも最も美しく神秘的といわれるハルシュタット(Hallstatt)を目指す。直接の鉄道もなく、湖の対岸に小さな駅があり、そこから小さな連絡船で渡るだけで、バスも入れない陸の孤島のような場所。車で近づくと直前にかなり長いトンネルがあり、トンネルの出口を出たら眼前に湖水が広がる。横に目を向けると、湖に面した山の斜面から湖水のすぐ近くまで重なるように小さな集落が見える。湖と山が接するところに湖岸に沿って細い道が続き、町の中心へと入っていく。道の入口に通じるゲートをノロノロとおっかなびっくりそのまま車で突入。両側に古い建物の壁がそそり立つ間の細い石畳の道をやっとの思いで抜けると、湖岸に駐車場らしいのが現れた。ヤレヤレ。インターネットで予約しておいた、すぐ近くのGasthof Simonyという小さなホテルへ。湖水に面した部屋を希望しておいたのに、カウンターの女性は申し訳なさそうに、取れなかったと詫びる。それでも町の中心広場に面している部屋なので、窓の外には目の前に花に飾られたゲストハウスが並び、山の斜面にはカトリック教会、すぐ横にはプロテスタントの教会の塔がせまり、悪い部屋ではない。ホテルを出て湖水のすぐ側の道を歩いてみる。すでに陽は傾き、西の山並みの間から細く差し込むだけ。遥かかなたの湖畔に並ぶ大きなイチョウだけがその陽を浴びて、鮮やかな黄色に輝いている。まわりの山肌と湖面はすでに真っ黒で、スポットライトに照らし出されたような巨大な黄色。その黒い湖水の上を白いスワンがゆっくり進む。静かだ。湖のそばの野外にテーブルと椅子を並べたレストランがある。5時ではまだ1人の客も入っていない。夕食は5時半にならないと準備ができないという。とりあえず、ビールとワインで乾杯しようと、O君と湖水まで足を伸ばせば届きそうな席に座る。向こうに居たカモの一団が水の上を挨拶にやってくる。人間様のエサもまだ準備できていないのに、ムリだよ。でも、自分達で突きあって、追いかけっこを楽しみ始めた。静かな水面に柔らかい波が出来る。あたりが暗くなり始めると、寒さもジワジワと近づいてくる感じ。対岸にそびえる山々も大きな黒い影になる。空には少し白けたところがのこり、神秘的な風景だ。ただ座っているだけで周りの霊気が身体にしみ込んでくるような感じ。大げさに言えば、大自然の懐に抱かれた大きな安堵感、大自然との心の交流、対話を楽しむとでも言うのだろうか。まだあたりには我々2人以外のお客はいない。注文していたトラウトとグラーシュ(シチュー)が来る。ビールとワインが口の中で料理を引き立たせてくれる。 身も心も満ち足りて、宿に戻る。戻ってみてヒーターが機能しないのに気がついた。ゲストハウスなので、電話もない。カウンターのある1階に下りてみるが、誰も居ない。確かに古い部屋で、ロッキング・チェアやクラシックな4本柱と天蓋のある大きなベッドなどが置かれて、どこか少し貧しい王宮の寝室のようだが、テレビ、電話、インターネットなど現代文明をわざと切り離した世界。この静寂と神秘の世界に引きこもりに来る人々には邪魔なしろものなのだ。ヒーターも昔のスチーム暖房のようだ。2重窓だし、それほど寒くはないがシャツを1枚余計に着て寝た。それでも満室のようで1室95ユーロ。 |
10/7(火) 外に出ると先ほどまでかかっていた霧はなくなり、少しだけ小さな雲が山の中腹や湖上に浮かんでいる。向こうの山の中腹には野外のレストランが見える。上からハルシュタットの町と湖を見下ろす絶景の場所。早速そちらに急ぎ、野外の絶壁の脇にあるテーブルでオムレツやスパゲッティで昼食。湖上のほとんど目の高さのところに、小さな雲が浮かぶ。 上から眺めていても、ハルシュタットは高い山々の間に埋まるようにしてひっそりと存在するのが分かる。湖岸まで山が迫っているので、家を建てるだけのスペースもないほどの場所に、自然に手を加えないようにして、何とか身を寄せ合った感じで集落がある。
山の中腹にあるカトリック教会に寄ってみる。岩塩鉱山の工夫の守り神であるSt. Barbaraがちゃんと祭られている。しかし墓地は山の中腹を少し平らにして作られた狭い場所。ここでも細い屋根をかぶった十字架がきれいに飾られて並んでいる。しかしその背後にあるチャペルには狭いところに600もあるといわれる頭蓋骨と手足の骨が隙間なく並べてある。どの骸骨にも名前と死亡日が書かれ、額の周囲には男性は月桂樹の葉、女性はバラの模様が描かれている。土地が狭いので、お墓に安住しておれるのも12年間だけ。その後は掘り出されて、新しい死者の「安住」の地となる。そして掘り出された頭蓋骨が装飾されてうしろのチャペルへ「収容」されていた…というわけだった。しかし1960年からはやっと火葬が認められて、この窮屈なお墓事情は解消されたとか…。だが名前入りできれいに装飾された頭蓋骨を眺めていると、この死者の人どなりやこの筆に込められた遺族の愛情が伝わってくる。生前の名前まで奪われ、強制火葬で頭蓋骨が残るどころか、ゴミのようにコナゴナのお骨を壷に入れるだけの東京の葬式が機械的で空虚な儀式にみえて仕方がない。たまたま我々が夕食を取っていた地元のレストランStrand Cafeに、黒い衣に身を包んだ地元の人たち40人くらいが押しかけ、隣の大きな部屋でパーティを始めた。地元の葬式を終えた人たちの予約が入っていると聞いていたので、ドアのガラス越しに様子を伺っていた。葬式そのものは厳粛に行われるのだろうが、そのパーティは皆大声で談笑していた。1000人足らずの閑散とした町で40人が集まるのだから、故人との別れはやはり大切な行事なのだろう。そう言えば、先ほど町の小さな広場には、やはり黒装束なのに手に手に楽器をもった人たちが集まっていた。多分葬送行進曲か何かやって葬儀を終えて、再度集合したのかもしれない。 |