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アメリカは南部ジョージア州のColumbus州立大学で演劇専攻の学生14人と付添の教授3人の総勢17人の大部隊。Columbusは群馬県の桐生と姉妹都市関係にあって、季節的な交換学生交流をやっている。今回は演劇専攻の3年生が中心で、最初の1週間は桐生に滞在し、市の無形文化財である神楽や織物、藍染、和紙製造などを体験するのが主な目的。その後、京都、奈良、大阪を見学して東京で2日過ごし、帰国するという旅程。6/9の東京初日を私がガイドして、6/10は横山さんが担当されることになっていた。

9時少し前、上野から歩いてホテル近くの稲荷町の交差点で信号待ちをしていると、そばに2人の外人が立っている。見ると大学のサイトで見た顔に似ている。もしかして...と思って声をかけると、まさに引率のB教授(44)M教授(38)だった。そのままホテルへ向かうと、すでに狭いロビーには数人の学生が待っていた。今日の予定は、原宿と国立博物館、江戸東京博物館なので、学生割引で博物館に入るために学生証を持参するように呼びかける。あわてて部屋へ取りに行くものもいる。今日も全員のJRパスの有効期間なので、全ての行程でJRを使うことにする。たまたま父がデルタ航空の幹部でタダで飛んできて今日から加わった同じ大学の男子学生が1人加わる。

まず国立博物館へ向かって、稲荷町の仏壇店を説明しながら歩く。上野公園の青葉の桜並木を歩きながら、琵琶湖に見立てた不忍池、京都・清水寺のコピーの清水観音堂など、京都にコンプレックスを持っていた徳川将軍たちの気弱さを辿る。ついでに大仏の顔のことをB教授に言うと興味を示したので全員を案内。教授が説明しかかったが、私にやれというので交代。「顔以外の部分は溶かされて弾丸になり、申し訳ないけど、太平洋戦争でアメリカ軍に向けられた」というと笑いが起った。公園の中央広場ではアイス・フェスティバルというのをやっていて、大きな氷の固まりを砕いて小さな雪原を作っていた。学生の一人がどこからかコブシ大の氷を手に入れてきて、皆の腕にこすり付けて回る。真夏の暑さの中で気持ちが良い。

国立博物館では入口で中の本館内、東洋館、法隆寺宝物館などの配置を説明して、案内パンフを渡し、1時間の自由時間で各自回って見てもらう。私も巡回しながら学生や教授に会うと話しかけて行く。演劇や芸術関係の学生や教授たちなので、浮世絵や歌舞伎・能などの衣装や道具などに興味があるようだ。B教授は昨年も来日して、水墨画の研修に参加して実際に描いた経験があり、その関係の展示も丁寧に見る。彼女はお茶や華道にも詳しい。私は前もってFacebookなどで検索し、学生の顔も何人か分かっていたので、声をかける。Travisという名の学生に声をかけたら、日本でトラヴィスと呼ばれたのは初めてだと妙なことを言う。聞くと日本人からは大抵トラスと呼ばれるという。1か月ごとに展示の変わる国宝展示室では一遍上人の絵巻が展示されている。以前源氏物語絵巻が展示されていたことがあったというと源氏物語にも興味を示すBさんは残念がる。

が落ち合うことになっている館外の木蔭のベンチで待っていると集合時間には全員がそろう。炎天の中を原宿へ。電車の中では、私のiPhoneWiFiルーターにしてそれぞれの携帯をネットにつなぎ、メイルのチェックをする人もいる。日曜の原宿はかなりの混雑。Hungryと訴える学生も出てきたので、まずは明治神宮参道途中の文化館の軽食コーナーへ急ぐ。小麦などの「グルテン過敏症」や肉食ダメな学生がいると前もって聞かされていたので、ここでは中華丼などもあり、何とかなるのでは...と思って選んだ。前もってネットで検索し、「そば」もgluten-freeだという情報をつかんで彼らに伝えたが、彼らはbuckwheatwheatが文字として入っているせいか小麦の一種だと思うらしく、納得しない。仕方がないので、その場でiPhoneで検索し英語のページを見せると、その張本人までが「全く知らなかった」と言う。でも「情報ありがとう」ということで、皆が無事に「食」にありついた。もともと軽食ということもあり、かなりの人が1人前では足りないらしく、Cokeなどとともに2食注文した。やはり異国に来ても食習慣を変えるのは難しい。文化館ではBGMで雅楽が流れていた。K教授(34)は気に入ったらしく聞き惚れていて、2,200円のCDを買った。以前鎌倉を案内したアメリカ人が八幡宮の前の舞台で進行中の結婚式で流れる雅楽を聞いて「あの異様な雑音は何か?」と言ったのを思い出し、人によって違うものだと思った。

大安の日曜日とあって本殿前では結婚式の行列が続く。先生方は興味を示すが、学生はあまり興味を示さず、早く竹下通りへ行こうと言う。そのまま神宮橋まで戻って、1時間自由行動にする。一応竹下通りの入口までは皆を誘導する。学生はそれぞれ散っていき、先生方と歩くが、そのうち気が付くとM教授だけと歩いていた。来年の同じ企画の責任者なので、彼と動き回ることにする。まだ38才で若いが、アイルランド系でジョージアの田舎で育った教授は、騒々しいのが苦手のようで、竹下通りでは頭が痛くなるという。そこで原宿通りへ入り、現代彫刻やデザイン専攻なのを思い出して、素人芸術家の展示室Design Festaへ案内する。そこではとても興味を持って作品をゆっくり見る。店の裏を抜けて表参道に出る。表参道ヒルズの中をを一目見て、出ようとすると入口の高級チョコレート店、ジャン・ポール・エヴァンに引っかかる。奥さんがチョコレートに目がなく、おみやげを買いたいという。小さな箱が40005000円もするがいざ注文して聞くと、アメリカまでの期間の保冷が大変だと分かり断念。しかし彼が提案して、小さな一粒の四角いカケラを試食。これが何と1315円。一口だが気のせいか絶妙な味がした。タダのエスプレッソが飲めるNespressoへ案内しようとしたが、合時間に遅れそうなので断念。

学生は集合時間をきちんと守り、買い物袋を提げて戻ってくる。最後に江戸東京博物館へ。両国へ着くと、切符売り場の上に掲げられた路線図を見ながら学生に上野への帰り方を説明。博物館に入ったら一応1時間後に入口に集まることにはするが、学生の中には博物館を早く切り上げて帰りたいものもいるので、各自ホテルに帰れるようにするためだ。実際、多くの学生は博物館などにはもう食傷気味のようで、1時間後に集合場所へ戻った学生は45人だった。従って入口から入るときが事実上のお別れになる学生も多いので、学生の代表が

アメリカから持ってきたリボンの付いたお菓子を私にプレゼントしてくれて、ありがとう...となった。しかし館内ではまだ何人かの学生と話す。特に浮世絵の制作過程が詳しく展示されているコーナーでは、大阪で実際に実習したとのことで、シャッターを切る学生が多い。

またこの博物館は2度目だというB教授は参勤交代なども知っているが、英語には訳されていない11代将軍の家斉は55人の実子をもうけたことなどの記述にはビックリする。彼女は演劇専攻だけあって行動的で、駕籠には乗るし、肥樽も担ぐし、中村座や越後屋の人形の仕草にも強い興味を示す。特に昔の畳間の体験コーナーでは神棚に興味を示し、特にしめ縄と御幣の説明を求め、面白がる。そのうち集合時間が来たので、急いで3階の広場へ。時間に現れた45人の学生と教授たち3人で両国駅へ向かい、そこで別れた。

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イギリスはウェールズの南海岸の景勝地Swansea出身、32才のイギリス人教師。故郷のSwansea大学を出て地元の中等学校で4年間教師をしたあとで、上海の学校に移り、すでに3年間歴史と経済学を教えている。たまたま父がマレーシアに勤務したこともあり東アジアに興味を持って転職した。今回は学期が終わり休みに入ったのを機会に空気汚染のひどい上海を脱出して初めて日本を訪れた。

京王新線の幡ヶ谷駅近くの外人向けの安いホテルの食堂兼ロビーのような場所で時間通りに会う。詳しい希望は聞いていなかったので、こちらで提案。午前中は曇りということだったので新宿と原宿を回り、午後は雨ということで上野の博物館と江戸東京博物館へ行くことにする。しかし外に出ると既に小雨。そのまま幡ヶ谷の駅へ行き、パスモを買ってもらって新宿へ。彼の英語は少しコックニーの訛りがあり、todayto dieのように聞こえたりするが全体としては聞きやすい。都庁展望台への地下道を歩きながら雑談。中国では一人っ子政策で一人の子供に投資をして外国留学をさせたがる親が多いという。700人の生徒を抱える彼の学校でも様々の国籍の外人教師が、全教師の半数にあたる30人近くもいて、彼も全て英語で教える。歴史といっても西洋史で、経済学といっても欧米の大学で求められる経済学の基礎を教える。親も必ずしも富裕層ばかりではなく、無理をして子供を送り込む中流家庭も出てきて、子供への期待感から来るプレッシャーはかなりものだという。従って子供は好奇心が育てられることもないので自発性はなく、義務として試験に勝つだけのために勉強するのが問題だと彼は言う。

庁展望台へのエレベータ前には待っている人もなく、広いエレベータの中も2人だけで上がる。上海だと高層ビルがどこまでも遠くまで並んでいるのに東京は高層ビルは都庁の周りだけで、その先は低いビルが広がるのはなぜ? というので技術革新とともに変化した地震対応の基準の経緯を言う。しかし「ビル酔い」などの副産物には笑う。またビルの上に突き出る赤白の避雷針(?)もよく聞かれる。これから行く予定の代々木の森や、彼に勧める新宿御苑の位置なども上から確認。2階と1階に降りて京都、奈良、大阪の英語パンフをもらい、彼が一人で動くときのために都内の詳細地図ももらう。

JRパスの交換場所も確認するが、彼が「実際の使用日より前にVoucherJRパスに交換して、その場で座席の予約なども出来るか?」と聞くので「数日前なら...」と答え、窓口で確かめたら、実際に使用する1か月前からOKとのこと。

そのまま原宿へ。明治神宮の森を傘をさしながら歩く。大安だったが雨のせいか結婚式には遭遇しない。本殿前も閑散としている。菖蒲田は満開のはずだが、彼には500円を払って見るほどの興味の対象ではない。食事も節約して済ませている様子なので、文化館の軽食コーナーへ案内。680円のカレー肉うどんを取りながら雑談。

上海は空気と水の汚染がひどいのがきついという。しかし彼にとっては授業時間数も、英国にいた時は週23時間くらいは教えていたのが、上海では18時間になり、俸給も月給40(5万の家賃を含んで)に上がり、貯金も出来るようになったという。またイギリスの学校の夏休みは5週間余りなのが、上海では7週間。それに何よりイギリスでは学校の管理体制がひどくて自由な裁量で教えにくいのに、上海ではほとんど任せられていて気持ちよく過ごせるとか。あとはガールフレンドだが、日本の女性にも興味を持っていて、今回の来日も相手探しもあったようだ。ガイドもうら若き女性ガイドが現れると思ったら、私のような むくつけき老人が現れて面喰ったのかもしれない。とここまで書いたらRからお礼のメイルが入り、「ほとんどgeneration gapを感じなかった」と書かれていて笑ってしまった。実際彼はopen-mindedで私も同じ感じを彼に持った。「日本の女性は結婚すると強くなるから注意しなさい」と言うと、「中国の女性も同じだよ」と来た。彼もよく見ている。

竹下通りへ。外国人、特に黒人の客引きが多いのに彼は驚く。ブティック「竹の子」ではfreakish costumeだという。表参道へ出てエスプレッソをタダで味わえるNespressoへよる。彼は紅茶党で、これが東洋に来て初めてのコーヒーだそうだ。でも好きではあるとのことで、うまいと感嘆。コーヒー器具を売るのが目的の店なので、器具の説明は受ける。

銀座線で上野へ。あとの江戸東京博で説明することと関係するので、地下鉄の日本橋と三越駅を通るときに予備知識を説明しておく。しかしまずはアメ横で串刺しのパナップルでノドを潤しながら、雨の中を「下町風俗博物館」へ入る。まず古い四畳半に座り込んで「起きて半畳、寝て1畳」を実感してもらう。しかし2m近くある彼が横になると1畳から軽くはみ出す。やっぱりこれは昔の日本だ。汲み取り式のトイレも関心のまと。外に吊るされている簡易手洗いにも感心。廃物はmanureになるのだろうと彼もよく知っている。すぐそとのおみくじは浅草のと同じやり方だが、タダでよく大吉が出る。2階の文明開化の展示では歴史の教師らしく「日本の近代化は西欧化だったのか?」と聞く。

最後に江戸東京博物館へ。6階に上がり「長さ半分の日本橋」を渡りながら、先ほどの日本橋を説明。橋の先の町人の街の模型は面白い。瓦を買う余裕のない長屋が板張りだけの屋根にするので火災の延焼が速かったり、庶民には車や馬車の使用が禁止されていたため道路が常に「歩行者天国」になり、一見安全な社交場になっている状況に彼は興味を示す。鎖国時代にオランダとの取引だけが行われていた中で、イギリス人がどうかかわったかにも彼は関心がある。そんなこんなで終わって外に出るともう夕暮れ。まだ雨のそぼ降る中を新宿まで同行し、そこで別れる。

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