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日本の会社ユニチャームの豪州支店を退職したばかりの夫Ket(56)と妻でまだ現役看護婦のBee(57)のメルボルンからの6人家族だが、George(28)は長女のBelinda(31)の婚約者でこの1月に婚約式をしたばかり。長男のAndrew(27)コンピュータのプログラマーで、ケンブリッジ英検やアメリカの英検などをWeb上で申請し、決済するようなソフトを手掛ける。次男のAnthony(25)は目下就職のための技術を身に着けているそうだ。夫婦はマレーシアで知り合って結婚し移住したいう。

長女のBelindaはキャンベラの財務省で政策の企画立案を担当、日本政府が募集した六本木の「政策研究大学院大学」(National Graduate Institute for Policy Studies=GRIPS)大学院修士課程留学制度に応募し合格したので、生活費を含めて全て無償の留学生として昨年9月から日本で修学している。丁度1年経過し、9/17には卒業式がある。今回はその卒業式に一家で参列するために来日した。婚約者のGeorgeはキャンベラの財務省での同僚。

19/15()

前日の夜電話で、台風の襲来で大雨洪水警報が出ていることを伝え、出来れば博物館などを中心に回ったら...と言ってみたが、彼らは博物館向きの人間ではないという。当日靖国神社の相撲場で予定の「東日本学生相撲リーグ」をみることになっていたのだが、それも大雨では無理だろうと伝えた。しかしとにかく当日会って事情を見ながら相談しようということになった。

当日9時にホテルロビーで会う。予報通り外は横殴りの雨。美術館・博物館はダメ、ショッピングは興味ないということで、とにかく予定通り行って、無理だと分かったら考えようと、靖国神社へ出発。ホテルの地下が地下鉄の「銀座一丁目」駅につながっているので、雨は全く関係なく、九段下まで乗り継いで着く。大雨の靖国の参道を進むと、相撲部の学生らしい集団に何度もすれ違うので、開会されたのかと思ったが、やはり中止。土俵はシートで覆われ、集まった学生は三々五々消えていく。「遊就館」も展示はわりにフェアに書かれているとも感じていたので、見せたらとも思ったが、やはり博物館は興味がなさそう。しかし内部の展示や太平洋戦争のこと、戦犯合祀と近隣諸国の反発、首相の参拝問題、歴史教科書検定問題を話すと、特にBelindaGeorgeは関心を示し、予備知識も多少あるようだ。Beeの祖母は当時のマレー半島で日本軍の暴挙を経験していて、トラウマに悩まされた。日本に短期間来たこともあるが、滞在中短い時間でも一人にされると怖がって大変だったそうだ。雨の中で参道わきにあるゼロ戦の写真をカメラに収める。

横雨の中を濡れながら九段下へ戻るが、みな元気だ。そのまま築地へ行きたいという。当日は市場は休業日であることは分かって知らせてあったが、「場外」で構わないという。傘をさしながら場外の狭い通路を歩く。台風に備えてシャッターを下ろしている店も相当ある。オーストラリア人には鬼門のクジラ・ベーコンが目につく。やはり寿司を食べたいということで、好みで選べる「すしざんまい回転寿司店」へ。抹茶を自分で作るやり方から教えねばならない。ウニが彼らには意外に人気。マレーシア系の人は辛いのが好きなようで、ワサビを大量に取りそのまま舐めたりもする。3貫を一皿に載せた徳用なども人気。7人が思い思いにかなり食べて8,800円だから11,250円はセットメニュより安い。

銀座方面に歩く。雨は1時的にやや小降りだが、急に横雨の襲撃も受ける。歌舞伎座などを説明しながら銀座四丁目に来たところで、日本に1年もいるBelindaは婚約者のGeorgeとともに別行動を取るために分かれる。

そのまま有楽町から秋葉原へ。次男のAnthonyがアニメ・オタクなので、彼のためにアニメ・センターへ。彼を除いた4人が脇のテーブルを囲んで雑談をする間、Anthonyは夢中になってゲームやアニメのディスプレイを渡り歩いて時間を使う。彼は電車の中でもほとんど無言で小さなゲーム機をいじり回す。一方長男のAndrewSteve Jobsの伝記をスマホで読む。

その後上野へ回ったときには青空が見えて陽も差し始めた。いつものようにアメ横、不忍池、清水、花園稲荷、大仏、東照宮を見て、銀座線上野から浅草へ。

浅草観光センターの展望階で休憩後、仲見世から六区方面を歩く。雨はすっかりおさまり、通りはビールや焼き鳥でくつろぐ人たちでいっぱい。大道芸人の歌と踊りに人だかり。「自分たちも日本人が好むものを試してみたい」というので、赤提灯の一つに入り、ビールやジュースに枝豆、焼き鳥で乾杯。あっという間に平らげる。薄暗くなりかけた街並みを歩き、彼らは魅せられたように写真を撮る。そのまま銀座へ戻り、ホテル近くで別れる。

2 9/16()敬老の日

今日は台風が関東を横断する予定なので、1時間遅らせて10時に会うことにしていた。今日もBelindaGeorgeを除いた4人のガイド予定。「博物館嫌い人間」の一行なのだが、歌舞伎や水族館はどうかと聞くと、それなら良いという。早速歌舞伎座へ。歩くと10分くらいの距離だが、外は暴風雨なので、そのままホテル地下の「銀座一丁目」から有楽町へ出て「東銀座」から地下伝いに歌舞伎座へ。着いたのは1020分。台風なので11時からの1幕席はまだあるかと期待したが意外に売り切れ。次は2幕目(1時から3)のチケットに並ぶことになる。それでは結局1日つぶれてしまうことになるので、葛西水族館へ行こう...ということなる。地下鉄で有楽町経由JR東京駅へ。京葉線ホームへ行こうとすると、通路には座り込んだり寝転がっている人が通行の邪魔になるくらい場所を占領。変だと思ったら「京葉線運休」の大きな掲示。仕方がないので、お台場はどうか...ということになり、スマホで交通情報を見るとユリカモメは動いているようす。そこで新橋へ移動。ところがここでも駅員が入口をふさぐように何人も居て、やはり運休中。りんかい線は動いているというので、今度は大崎へ。

台風はやがて通過し3時ころには雨は上がるとの予報があったので、帰りはユリカモメが使えるだろうと見込んでお台場へ。やっと無事に乗車。台風なので席はガラガラ。東京テレポートで下車。長男のAndrewは高給取りでトヨタのスポーツ車を持つ大の車好きなので、ますトヨタ車のMegaWebへ。ところがここも全面改装中で11/2までは展示場を閉鎖していることが判明。それでも観覧車方面へ行く通路は開いていて、そこに数台のトヨタ車が置いてあり、中に乗り込むことはできるので、写真を撮って我慢。

台風の中なのに、「白い雲が流れる青空」を見ようと、すぐ前のVenus Fortへ。入るなりみながラスベガスだ...と言う。この発想の元の建物があるラスベガスにみな行ったことがあり、この手のものに馴染んでいる。「トレビの泉」を模したような「女神像の中の噴水」で写真を撮り、しばらくあたりをうろつく。誰もショッピングには無関心。奥のHistory Garageへ。古き良き時代のアメリカを中心に欧米のメッサーシュミット、デロリアン、大型シボレーなどのクラシック・カーや、昔の給油所のたたずまい、それに壁に投影される大型画面にしばらく皆がうっとり。、階下の売店兼休憩所で一休み。Steve Jobs談義をする。

すでに1時をまわり、ランチをというので、ダイバーシティのフードコートへ移動。途中まだ雨風が強く、傘がひっくり返るほど。それでも昼食後、外へ出た時にはほとんど雨は止んで、巨大なガンダム像でゆっくり写真を撮って、自由の女神像へ向かう。気が付くとユリカモメも動いている。そのうち陽も差し始め、見え始めた青い空と海を分けるレインボー・ブリッジと女神像を見ながら、今朝の暴風雨は何だったんだろうという感じのそよ風を受けて、ベンチでリラックス。

更にネコ・カフェを見て、予想どうり動き出したユリカモメで新橋経由、原宿へ。

彼らの好みで明治神宮はスキップして、竹下通りへ。父親のKetはカメラで撮りまくるが、20代の男性2人には奇異に写るだけで、興味はわかないようす。そのままデザイン・フェスタでジュース休憩。あまり歩く生活をしていない彼らはかなり疲れたようすなので、そのあと都庁展望台だけで終わることにみなが同意。

歩くことを短くするために表参道--青山一丁目--都庁前と乗り継ぎ、都庁展望台へ。台風一過、空気も空も澄み渡って、遠くを除いて随分クッキリ見える。富士山も黒い姿ではっきりと望めるので、みなカメラを向ける。寡黙な次男Anthonyも「ニューヨークの晴れた時の方がよく見える」とか「高層ビルがこの付近だけで、それから先にはどうして見当たらないのか?」などと聞く。そのあと都庁前駅で帰り方のルートを確認して別れた。

今回の異常な状況の中では、ガイドは断る方が良いのではないかという考えもあるかもしれませんが、貴重な休暇でお金をかけて来ている彼らには、やはり動きたい人たちも多いのに、交通状況、天気の急変の中で、英語の情報はほとんどありません。「日本人ガイドが居なかったらとても自分たちではとても動けなかった」と礼状メイルにありましたが、このようなときこそ我々が一番必要とされていることも実感しました。ただ、スマホなどの情報は緊急時には更新されるゆとりがなく、あまり当てに出来ないことも分かりました。

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サンクトペテブルク国立大学の学生3人をガイドした。3人はもともとこの大学の経営学部で学んでいたときに知り合い、それ以来の付き合い。2人はその後大学院へ進み、1人は別の学部に学士入学をする。ロシアではモスクワ大学に次ぐ2番目に著名なこの大学の大学院修士課程では2年間を半年ごとの4のセメスターに分けて、そのうち1つ以上の学期を外国留学で単位を取ることになっている。そこでPetar23)はオーストラリアの大学に留学中。一方Yulia(23)は日本の慶応大学日吉キャンパスに留学中で日本に来てもう3か月になる。彼女の恋人でもあるMaksim(26)は経営学部を卒業後、再度同じ大学のIT Technologyの学部に再入学して2つ目の学士号を取得中。今回は大学院の休暇に合わせてPetarがオーストラリアから日本へ、MaksimがサンクトペテルブルクからYuliaに会いに来て、ここで昔の同輩3人がそろって日本旅行ということになった。でもMaksimYuliaは恋人同士なので六本木のホテルに泊まり、Petarは入谷のホステルに1人で泊まっている。なおPetarはロシア生まれだが父がブルガリアから移住して来たため、ブルガリアとロシアの2重国籍保持者だ。

事前の打ち合わせで、Petarが泊まっている入谷のToco Hostel10時に会うことになっていたが、ホステルに行くとPetarだけが居て、残りの2人はどこか都心の別の場所で会いたいという。そこで2人には11時に原宿駅に来てもらうようにメイルしてもらう。

Toco Hostel1920年代に建てられたという古民家を改築して安宿にしたものだった。付近の汚いたたずまいからは想像しにくいような広い日本庭園がガラス戸の縁側沿いに広がっているホステルで、一泊2,600円。外部の人も気軽に庭に入れる。

約束の11時まで間があるので、小雨の中を歩いて上野方面へ。近くにある小野 篁、菅原道真を祀るという小野照崎神社に寄って、鶯谷駅前から国立博物館脇を抜けて上野公園へ。彼は来日してから1人で動き回っていて、国立博の常設館や上野動物園のパンダなど既に見ている。大仏のある山肌には彼岸花が満開。手前味噌で恐縮だが、かつてこの英語名を知らずにガイド中に見かけて半分ジョークで、まるでRed spiderだねと言って、帰って調べたらred spider lilyとあり驚いたことがある。それからは忘れない。大仏が溶かされて弾丸になった経緯の話には驚いて、残っている顔を懸命に撮影。気が付くと1030になっている。急いでJRで原宿へ向かう。

11時に少し遅れて原宿へ到着。竹下口で2人に合流したので、そのまま竹下通りへ。かなりの雑踏には驚くが、売られているものにはあまり興味がなさそう。原宿通りから表参道へ抜けるあたりには個性的な店も並び、もう1度自分たちでゆっくり来てみたいと言う。

オリエンタル・バザールに興味を示すが木曜日で休み。Petarは良く調べていて、すぐ横の「ジャイル(GYRE)のデザインがオランダのデザイン集団MVRDVによるもので、中にはMoMAのデザインストアがあることなども知っている。確かにコムデギャルソンの廉価版のプレイ・コムデギャルソンの店などもあり、その方面に興味のある外人客を案内しやすくなった。

また太田記念美術館の看板前で浮世絵を説明しているとPetarも詳しく、今度はロシア語で2人に説明してもいいかときいて、とうとうと始めた。脇で聞いていてロシア語はリズムの利いた音楽のような響きだと言ったら、「ロシア語は怒って人に怒鳴りつけている感じに聞こえる」とよく言われるという。

明治神宮に入る。神道の話になり、例によって「人間であるはずの天皇を神格化したので、時世によっては、政治家に国民の愛国心を助長する道具に使われて、戦争への悲劇につながった」と言ったら、「スターリンがキリスト教を禁止して自分を神格化したのと対照的だね」という。また、鎌倉にも行ったというので、かつて私がロシア人が銭洗い弁天で最高額の5,000ルーブル紙幣(15,000円札)を水で洗ってあとが大変だったと言ったら、オーストラリアから来たPetarはオーストラリア紙幣は全部ビニール製なので水に浸けても破れることはない...20ドル紙幣を取り出す。今まで気が付かなかったが、確かにそうだ。

お台場へ行きたいというので、新橋へ出て、ユリカモメに乗る。全自動運転だというので、先頭車両の一番前の席のすぐ後ろに立って「証拠写真」を撮る。車両の間からタイヤを撮ったり、動き出すと一番前の窓枠にビデオを置いて軌道にのっていくさまを収める。晴れてきたので「お台場海浜公園」で降りて人工の浜辺を歩きながら、写真を撮る。自由の女神付近を散策後、アクア・シティの猫カフェへ。売られている犬猫の値段に「信じられない」といった様子。犬猫関係のものを売っているところでは、犬が噛みつくのを防ぐ口輪に興味が集中。黄色い大きな鳥の口ばしのような口輪がキュートだと、妙なものが気にいる。

もう2時半を回り、5階に行ってランチを...というわけで和食屋に入る。Petarと私は刺身定食。残りの2人はトンカツ定食。寿司は良く食べるが、刺身だけを熱いご飯と食べることははじめてだとPetar。醤油皿にしょう油を垂らしてワサビを溶かし、刺身を浸けて、熱いご飯のおかずにしながら食べるという単純なことも、初めての人に教えるのは、箸で扱うということもあり大変。刺身がある間はご飯もうまいと言っていたが、最後に多少ご飯が余ったら、やはり醤油をかけて食べ、シソやツマもうまく醤油で食べた。食べながらの話で、Hyperdia.comというのが便利だと話題になった。ご存じの方も多いと思いますが、外人用の「乗換案内」みたいなもので、英語や中国語で日本の都市間の移動の時間とルートや費用が検索できて、彼らが日本中を動き回るときに、そのまま即座に使えて重宝しているようだ。

もともと未来館なども予定していたが、まだ皇居も見ていない人もいるというので、東京駅へ戻ることになった。Yuliaはもう3か月も日本に居るので皇居は彼女が案内出来るというので、新橋へ着いた時点で、彼女に任せて別れた。

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