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メルボルンの南方から西のアデレードに向かって200キロも続くGreat Ocean Roadと呼ばれる海岸沿いの道路を進む。真夏の太陽が横の窓から頬を直撃し刺すような暑さだ。半そでだと腕にあたる日光も痛いくらい。地図で覆ったり、日よけの方向を変えたりして奮戦する。やがて真っ青な海が赤茶けた土の海岸の向こうに広がり、水平線が空に接するところには白い線が走る。青い海をビールに見立てるとその泡のようだ。海岸に沿った道は限りなく続く。ときどき小さな町らしいところを通る。道の両側には明るい色の店が並び、TakeAwayの看板を出す。半ズボンのリゾートスタイルの男女がペアになって歩く。

少し早く着きすぎたので、近くの半島の岬Cape Otwayに行ってみる。1836年当時モールス信号で電報をやり取りした時代に、電信所が置かれ、Bass海峡に突き出している位置を利用して、灯台が設置されている。灯台付近は広々とした場所だが、そこを仕切って灯台を見えないようにして、入場料をとって観光客を入れている。何と11200円でシニア割引でも1000円。それでも皆文句も言わず入場していく。オーストラリアは観光産業に力を入れているといわれているが、インフレでかなり高いというのが実感だ。デフレの日本から円安の今、インフレのオーストラリアへ来ると、かなりすべてが高いと思う。出口においてある観光客のノートには「景色はいいけど入場料が高すぎる」との感想もあり、オーストラリア人にも高いらしい。

暑い、空気が澄んで透明度が強いせいか、文字通り肌に突き刺す暑さ。植物も干からびて、灰色。土も赤茶色が光り始める。オーストラリア人も今日は暑いねという。砂浜に出て水に入る。冷たい。この温度差。いつも温水プールでぬるま湯に慣らされているせいか、現実の海は厳しい。

ホテル代は平均で115000円にしたので、Youth Hostelも時々利用した。Apollo Bayという町でもApllo Bay YHA に泊まった。町の中心に近いところにある。大きなガラス張りのモダンでこぎれいな建物。これがユース? とまず驚く。食堂も台所も広くて新しく、こんなところで13800円だ。ユースホステルといってもtwin bedsの個室で、バス・トイレ、冷蔵庫、台所などが共用なだけだし、年配者の利用も多いので、違和感はない。ローンセストンのユースにはビリヤードが用紙されていたし、メルボルンではバス・トイレつきのツイン・ルームが取れたので、値段が安い以外はホテルと変わりなかった。しかも個室にはテレビ、湯沸し、紅茶・コーヒーもついて天井には大きな扇風機もまわっていた。

夜、海辺の通りの店で海を見ながら、カンガルーの肉を食べた。ちょっと高くて30ドルだったので、2人で1皿を平らげた。意外に柔らかく、ソースも良かったせいか、最初は嫌がっていたO君も「うまい!」といって積極的になった。そのうち足の筋力がついて、おなかに袋が現れるかもしれない。しかしカンガルーの料理法の本も出版されているという話だから、ここではかなり食用に供されているようだ。

アデレードに近いポートランドの宿はすばらしい。北東の角地で海辺に面した岸壁の上にある。しかも平屋2階の北東の角部屋(オーストラリアでの「北」は日本の「南」の感じ)で、北も東も大きなガラス窓ごしに、海が目の前に広がっていて、地球の丸さが分かると思うほどだ。きれいなキッチンつきのBBなので、スーパーへいってステーキ用の肉と野菜、ソースなどを買ってきて自家製の夕食にする。肉の焼け具合も柔らかく、中まで火が通っていて、O君もうまいという。海を見渡しながら、ゆっくりとくつろいで自分の料理を味わうのも格別だ。眼下の崖の上にはベンチがあり、そこには老夫婦が座ってじっと海を見ている。その横には若いカップルが二輪車で乗りつけ、仲良く草に腰を下ろした。8時を過ぎているのにまだ太陽がさしている。突然、ここは異国なのだと気がつく。

目の前の岸壁には木製の階段がついていて60段くらい下ると浜辺に出る。そこは文字通り自然の浜辺で、水が透き通っている。浜辺には昆布がたくさん打ち上げられていて、そのまま太陽にさらされて、きれいな干した昆布になっている。パリパリできれいなので口に入れてみると、おいしい昆布だ。犬を連れた若い水着の女の子が犬にボールを投げてやる。犬は海の中に入りながらボールを受け取る。私がカメラを向けると、女の子は笑顔でポーズをとり、ゆっくり愛犬を誘導した。一方、クリケットの三本足を砂場に立てて、子供がクリケットを楽しんでいるのは、やはりイギリス圏の国という感じがする。サーフィンも大流行だが、波がうまく起きず、あまりうまくやっている人はいない。でも子供は波打ち際でうまく滑っていく。黄色の服を着たガードの人たちもやや手持ち無沙汰。

ベッドから眺めていると東方と北方の広いカラス窓越しに地平線まで海が広がっている。夜Portlandへ入港する巨大な客船も明かりをつけてすぐ前を通っていくのでびっくり。特に印象的なのが夜明け。目の前の水平線がうす赤くなり、すぐその上に筋状に広がる雲が赤く染まってくる。やがて白かった空が青に変わり、水平線から太陽が朱色の小さな玉になって現れる。まぶしい。小さな波を打つ大洋が光って明るくなる。崖っぷちに1本突き出す三角錐の木が黄緑に輝く
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●前にも書いたが、酒は一般スーパーやセブン・イレブンなどでは売らない。ところがガソリンスタンドには付属して酒屋がくっついていることがよくある。これは飲酒運転を促すようなものだとして、日本なら反対運動が起こって大変だろう。しかし、この広いオーストラリアでは、限られた街中以外では、徒歩で酒を買いに行くことは不可能だから、合理的と言える。

●日本での恣意的な円安政策の影響でもあるが、1オーストラリア・ドルが95円前後で、日本からの旅行者は実際の価値の2倍近くの金を使わされているような感じがすることがある。観光地だと野菜パン2つとブドウパンにスコーンで12ドル(1140)。私たちが泊まったメルボルン空港近くのホテルFormule 11部屋79ドル(7500円)だが、隣のHoliday Inn220ドル(20900)くらいだし、その隣のHilton320ドル(30400円)。また国際的な観光地なのに、その意識に欠けるところも目に付く。ゴールドラッシュで有名なバララットへ行ってみる。シャーロック・ホームズの小説をはじめ、イギリスの民話などにもよく出てくる地名である。かなり観光地化されているが、丁寧に1820年代を再現してあり、よく出来てはいる。チケット売り場でConcession(割引料金)という項目も書かれ、学生と年金受給者割引なのだが、オーストラリア国籍で年金証書の証明がなければダメだという。これはフェアプレイではないし、日本人でも同じではないかと言い合ったが、割引率の悪い一般的なシニア割引でということで一応おさまった。しかしほかの観光地でも同じような経験をした。

●ゴールドラッシュの時代は、川の底をさらうようにして砂金を採取するために、このあたりは大混乱したらしいが、いまでも人工的に川がつくられ、観光客による砂金集めが行われている。川べりには道具が置かれ、多くの人が大きなお盆にすくった砂を揺らしながら砂金を浮き上がらせようとする。針の先ほどの砂金をいくつか見つけた人もいたが、大変な苦労。「金」には皆が目の色を変えるのがよく分かる。一方、当時の金掘削業者のやり方も披露されていた。電気のない場所で蒸気機関をつかって弾み車を回転させ、巨大な掘削機を地中、奥深くまで入れて、金を含む砂利を引き上げる。人がお皿ですくう作業とはスケールが違う。当時から個人と資本の力の差を見せ付けられてきたのだろう。

●納豆は多くの日本人の好物だが、大抵の外人は毛嫌いする。オーストラリア人は「ヴェジマイト」(vegemite)に目がないが、オーストラリア人以外の味覚には合わないしろもの。朝食のトーストにはジャムの代わりに付けるし、ビスケットなどにも付けて食べる。真っ黒いペーストで酵母のエキスらしい。ビタミン剤にもなり、栄養価満点らしいが、薬臭く酸っぱくて辛い。これがどこの朝食でも出されるし、スーパーでは大きな場所を占領して売られている。

●メルボルンの空港から都心部につながる道路にCityLinkという料金所のない有料道路が設置されていて、車のナンバープレートがカメラに自動記録される仕組みがある。現地の人は銀行口座を登録して自動引き落としになっているが、旅行者は通行したと思ったら3日以内にCityLinkに電話して、車の番号を通知して、レンタカー業者に支払う。高速道路からCityLinkに入るところは色の違う看板で一応注意書きは出ているが、よく注意していないと、自分が有料道路を通ったことすら気がつかない。しかし通行して3日以内に電話で自分のナンバープレートを通知しないと、規則違反で10倍くらいの罰金を請求される仕掛けだ。管理は道路公団ではなく、民間会社なので、全体を利用しても23kmしかないのに、値段も高く1日券で1000円もする、取り立ても厳しいようだ。全く有料道路のない国なのに、なぜこんなつまらないことをしたのかと不思議だ。

●メルボルンの南にあるフィリップ島の岬はきれいな砂浜になっていた。紺碧の海が白い波を砂に打ち上げる。広い海岸では数人の若者が波乗りや球技を楽しんでいるだけだ。我々も時間があったので、砂に寝そべって肌をやいた。陽はそれほど強くは感じない。背中に当たる砂も適当な暑さで、軽く海風が肌に当たり何とも気持ちがいい午後である。目を閉じていると、近くを老夫婦が通りかかって、”Get the breeze on you. Pretty spectacular, isn’t it?”(そよ風を浴びてごらん。とっても気持ちいいじゃない?) “Yeah!”という会話が聞こえてくる。声だけだが、表情が浮かぶようだ。この国では公衆トイレはふんだんにあり、特に海岸近くでは、トイレの中に脱衣所もあって、気軽に水着に着替えて水泳や日光浴を楽しめる。それに真夏なのに海岸に人が少ないのがいい。駐車場も無料だし、混雑もなく、人口密度が低いところの生活とはこういうことだなと実感する。

●借りた車を返しに飛行場へ戻る。我々のレンタカー会社は大手ではないので、空港には事務所もない。インターネットで予約して電話で確認したのだが、借りるときも空港の荷物を受け取る付近にTakeo Aizawaと大きく書いた紙を胸に抱えた人が待っていた。返すときも、指定された駐車場所に車を置き、キーを近くの郵便受けのようなボックスに投げ込んで終わりである。タスマニア島では大手のレンタカー会社から借りたが、ほとんど同じ期間と条件で借りたのに、こちらの方が保険・カーナビなどすべて含めて1週間で4万円と大手より2万円も安い。レンタカーも借り方で随分の差が出るものだ。

●バララットの金の博物館の特別展示で「第2次大戦展」が進行中だった。Jap Surrendered (日本、降伏)などの見出しが載った新聞とならんで、オーストラリアの町で広場に集まった大群衆がみなで万歳の歓声をあげている大きな写真もあった。この国も戦争で日本が被害を与えた国だったのだと改めて思い知らされた。15年前にシドニー付近とキャンベラをドライブしたとき途中のカウラという町で、日本人強制収容所での暴動の場所を偶然訪ねたことを思い出した。現場は多くの日本人とオーストラリア人犠牲者が埋葬された墓地になり、花束が置かれていた。日本人は教えられていなくても、被害を受けた方は忘れようにも忘れられないのだろう。<終り>

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