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鞄立製作所勤務・道彦



 全日空002便ボーイング747(ジャンボ)はすっかり明るくなった朝空の中を5大湖の上空に達し、あと1時間で目的地のワシントン・ダレス国際空港に到着するという機内アナウンスが流れていた。旅行シーズンではなかったから機内は約40%程度の乗客でエコノミーでも比較的ゆったり座れる快適な飛行であった。 そのあと急に機体が右旋回したと思ったらぐんぐんと高度を下げて行くのである。まっすぐに飛んで行く筈なのになぜこんな所で旋回するのだろう、と思っているとまもなく機長から、「この飛行機は米国航空当局の指示で最寄の空港に緊急着陸する事になりました。 機体に異常があっての着陸ではありませんのでご安心下さい。緊急着陸の理由はまだ明らかにされておりません。」というアナウンスがあった。これが今回の同時多発テロとの最初の出会いになった。
 002便は本来なら目的地であるワシントン空港に到着している頃の午前10時20分に、ヒューロン湖とエリー湖の境目近くにあるデトロイト空港に着陸した。デトロイトはもともと全日空が飛んでいない空港なのでとりあえずノースウエスト航空のスポットに入ったのだが、そのまま何の機内アナウンスもなく座席に座ったまま待っていると、30分くらい経ったときに初めて状況の説明があった。しかしこの時の説明はその後のニュースで伝えられた内容とは相当に食違っており、しかも詳細はほとんどわからないまま、単にハイジャックされた2機の飛行機がWTCビルとペンタゴンに激突したと言う程度(それでも大変な話であるが)のものであった。
 さらにそれから1時間くらいそのまま待たされた後12時過ぎになってもう少し詳しい内容の説明があり、現在全米の空港は全て軍が管理しており飛行機は飛べない状態になっている。このまま待っていても今日はこの先飛べそうにないので、今晩の宿を探す事にすると言うのである。今回の出張はワシントンの近くにあるメリーランド大学と、ワシントンから北西に200kmほど行った所にあるペンシルベニア州ヨークという町にあるアメリカの冷凍機メーカを訪ねる事になっており、今日中にワシントンに着いていれば良かったので最初はゆっくり構えていたのだが、今日はもう動けないと言われて初めてこれはただ事ではないと慌て始めた。
 結局午後1時半まで飛行機の中で3時間位待たされた挙句に全日空が手配したバス7台に分乗して「ホテル」に出発した。事態がいかに大変なことになっているのかが判ったのは、ホテルにチェックインしてテレビを見てからである。状況がわかるにつれてワシントンに行くのがいかに大変な事かも判ってきた。
 飛行機の中で「今晩のホテルをあたっている」というアナウンスがあったときに、これだけ大勢の人が予約もなく泊まれるようなホテルがあるのか、という疑問がまず湧いた。全日空がデトロイト行きの路線を持っているのであれば、事によると「デトロイト全日空ホテル」とでもいうのがあって、とりあえずそこに泊まるというのもあったかもしれないが、デトロイトには全日空の支店すらないのである。でも我々はともかくその空港からバスで40分の「アンバサダーホテル」(左の写真)に着いた。ホテルにはなぜかホテル名を示す看板もなく、客は我々とほぼ同時に成田から飛んできて同じようにデトロイト空港に緊急着陸した全日空ニューヨーク行きの便の乗客合計約400名だけで一般の客はいないのだが、部屋は一応十分な広さがありバストイレももちろん付いている。事務所ビルのような14階建てでワンフロアーに客室が40くらいあるので、全員のチェックインには3時間以上がかかったがとにかく全員が部屋に入れた。
 しかしホテルには全日空の人影は見当たらず、これは後はめいめい勝手に目的地に行く手段を今日中に決めなさい、という事なのだなと思った。私は1台目のバスでホテルに着いたのでチェックインも早かったし部屋に入ってすぐに訪問先に電話をいれたらすぐ繋がって、状況の連絡が出来たのだが、後から人が入ってくるにつれて電話がかかりにくくなり、飛行機に代わる交通手段を探そうとあちこち電話をかける段になったら、外線の回線数が非常に少ないらしくほとんど電話もかからなくなってしまった。何十回もダイヤルを回してやっと外線に繋がったと思ったら、今度は相手先のグレーハウンド(長距離バス)が電話中でぜんぜん繋がらない。飛行機が駄目で長距離バスで行こうと言う人が大勢いたためだろうと思う。国際運転免許証は持っていたので、自分でレンタカーを借りて運転する事も考えたが、アメリカでの右側通行の運転経験が全くない上に、ワシントンまでは10時間以上かかると聞いたのでこれは事故でも起こしたら大変だと思った。どちらにしても回線が足りないので、実質電話は使えない状態になってしまった。動く手段もない、電話も繋がらない、相談する手がかりもないとい う状態で、考えてみると成田を出発する日の朝からほとんど24時間以上もまともに寝ていない事に気がついたが、興奮しているためか、テレビを見たり明日以降どのようにして足を確保するのが良いだろうかなどと考えていると不思議に眠気を催さない。
 明日もあることだから、と思って夜の11時頃にベッドに潜り込んだのだが夜中の2時半ころに目が覚めてしまって今度は全然眠れなくなってしまった。時差ボケの症状である。あまり使いたくなかったのだが、このまま居ると明日は昼間眠気でひどい事になると思い日本から持ってきた睡眠薬を飲んで横になった。そのまま寝込んでしまい、いつもなら朝の5時半には起きるのに、目が覚めたのは朝の10時半であった。
 ロビーに降りてみると、状況の説明をするから大広間に集まってくれと言う内容の全日空からの張り紙がしてあって、ここで初めてまだ全日空は我々の面倒を見てくれるつもりなのだな、という事が判った。大広間では全日空のシカゴ支店から来たという上山さんという人(左の写真)をヘッドに3名がいてここからすぐにも日本に帰りたい人と、ワシントン、ニューヨークに行きたい人の希望を取っており、目的地まで行きたい人には時間はかかるかもしれないがバスを準備すると言うのであった。乗客の中にはもともとアメリカに住んでいるアメリカ人も居たし、アメリカに長期滞在している日本人も大勢いたのでそう言う人々には何よりも目的地に行く事が必要なのである。デトロイトからワシントンまではバスで約12時間がかかり、明朝到着しないと連絡の交通手段がないから夕方出発して夜通し走るのである。一度はこのバスで目的地のワシントンに行く事も考えたが、行ってもその先のヨークまでの交通手段がなく、またテレビは飛行機の再開がいつになるかは全く判らない、旅行者は相当長期間待つ事になるだろう、などと言い出すので長く日本に帰れなくなることのほうが心配になってきた。こ の背景には今回の犯人がピストルではなく、ナイフ(プラスチック製?)を武器としていた事がこの時点で判っていたので、アメリカの航空当局はプラスチックナイフのチェックができない今までの検査方法では駄目で、それに代わる新しいチェックシステムが確立するまでは飛行機を飛ばせない、と言い出したということがあった。
 深夜に会社とFAXのやり取りをして「無理をしないで、できるだけ早く帰って来てくれ。」という話を聞いていたので、結論として「すぐにも日本に帰る」グループに参加した。
 この説明会では、ここのホテルが設備なども不満足で電話の連絡もできないから、今日の午後は新しいホテルを準備したのでそちらに移ってもらうというありがたい話もあった。デトロイトという所はGMとかフォードなどのアメリカを代表する車メーカの本拠地なので、モーターショーなどが良く開かれる場所なのである。そういうイベントがあるときには、一般のホテルだけではとても収容できないので、今回泊まったような簡易ホテルがあるのだそうである。これらはいつもは使っていないのだが、必要な時に営業するもので今回も閉店中であったものを我々のために臨時に開業してくれたものである事が後でわかった。
 移動した先はマリオットホテル(右の写真)と言う比較的レベルの高いチェーンホテルで、こちらは設備も十分だし、近くにはショッピングモールもあって何不自由なく生活できる環境である。全日空の上山さんをはじめとするシカゴ支店のメンバーは、この非常事態の中で非常に良く動いてくれて、むしろ同じグループの中に居たいくつかのパックツアーの添乗員の方が、なにも出来ずにいる事の方が目立った。
 ホテルに留まっていた乗客が乗ってきた全日空の飛行機は、当初ワシントン行きとニューヨーク行きとがデトロイト空港に止まっていたのだが、航空当局は2日目になって乗客を乗せないで本来の目的地に向かう事だけを許可した。この結果空港に留まっていた2機のうち1機は空のままワシントンに輸送され、全日空の説明によると残る1機を成田行きの臨時便として使用する事を全日空本社と米国航空当局に申請していると言うことであった。
 結局アメリカ到着3日目の午前11時になって、空港を一部条件付で再開して良いと言う方針がアメリカ航空当局から出された。しかし全日空の説明によると、ニューヨーク空港には我々と違ってホテルにも入ることが出来ずに空港で待っている乗客が多数居るので、我々を乗せた飛行機はまずニューヨークのケネディー空港に立ち寄り、そこで待っている乗客を乗せてから成田に向かうように全日空本社からの指示が来た、という事であった。いずれにしても我々はやっと日本に帰る事が出きるというめどが立ち、3日目の午後1時、喜んでバスに乗り込んだ。
 空港は条件付で再開して良いとは言っても、ほとんどの航空会社は運行できる飛行機がすぐにはなく、デトロイト空港は閑散としていて、チェックインカウンターには誰も居らず店は全部閉まっている。もともと全日空が使っている空港でもないから専用のチェックインカウンターさえない。ホテルで我々の面倒を見てくれたシカゴ支店のメンバーは、そのまま空港に移動して空港で英国航空のカウンターを借りて我々のチェックインをしてくれた。空港係員の厳しい持ち物検査(自分の身の安全の為であるから腹も立たないが、キーホルダーは中身が本当にキーであるのか、財布の小銭入れには小銭以外の物が入っていないかを一々開けて調べるくらいの念の入れようである。)を終えてゲートで搭乗を待っている状態になったのが午後2時半過ぎであった。チェックインは全部手書きなのと、係員が少ないことで時間がかかり、全員のチェックインが完了したのは午後4時すぎになり、5時頃さて乗り込もうと言う段階になって問題が起きた。
 飛行機は当初の予定ではデトロイトから直接成田に向かう計画であったから、十分な燃料を給油して空港で待機していたのだが、間際になってニューヨーク経由になったためにそのまま飛び立つとニューヨークまでの近距離では燃料の消費が少なくて重量が軽くならず、ケネディー空港に着陸できない事が判ったというのである。飛行機は着陸するときの方がショックが大きいので、離陸はできても着陸はできない事があるという事をこのとき私もはじめて知った。空港では燃料の補給は常に行っているので何も問題はないのだが、一旦入れた燃料を抜くという作業は前例がなく、適当な設備もないしどれだけ時間がかかるか判らないと言うのだ。一方成田空港には深夜の騒音規制のための発着の時間制限があり、午後11時を過ぎると原則着陸は出来なくなるので、準備に手間がかかりすぎると結局成田に向けての出発そのものが出来なくなってしまうと言うのだ。選択肢は時間をかけて燃料を抜き取るか、このままニューヨークに寄らずに成田に飛んで行くかどちらかしかない、という説明であったが、航路変更をするためにはまた全日空本社とアメリカ航空当局の許可が必要になる。
 結局、航空貨物(我々の荷物ではなく、その他の一般の航空便貨物)を降ろしたり、燃料を抜けるだけ抜いたり、左右の翼に入れてある燃料(飛行機の燃料タンクは主として翼)のバランスを取ったりして6時半ころにはやっとそれらの仕事が完了した。すると今度はニューヨークのケネディー空港でテロ事件の犯人が捕まったとか言ううわさで、その日の朝再開された空港が再び閉鎖され、空港が使えなくなっているというニュースが入ってきた。
 いよいよこれはやっぱり駄目か、今日日本に向けて帰途につくことは断念しなくてはならないのか、と思っていると、全日空の上山さんが「ここまで来たのだから、最後の試みとして本社と米国の航空当局に折衝して直接成田に向けて出発できるように働きかけます。」という説明をした。この折衝は夜の7時ころまでに何とかうまく纏まり、成田に向けて出発できる事になったのだが、先ほど燃料を抜いたので今度は成田まで飛ぶには燃料が不足であると言う事になった。急遽タンクローリーの手配をして燃料の再補給をしながら一旦積み降ろした航空貨物を再度積み込みながら、乗客の搭乗を開始するという事態になった。燃料の補給中には火災などの事故の心配があるので、普通は乗客は乗せない事になっているらしいがもうそんな事を言っていると、時間までに成田に着けない。普通だと飛行機に乗るとすぐ「ベルトはきちんとお締め下さい。」というアナウンスがあるが、今回は「給油中ですので、まだベルトはお締めにならないで下さい。」という変ったアナウンスになった。
 結局飛行機が飛び立ったのは空港到着7時間半後の13日夜9時になり、成田に到着したのは、14日の午後11時30分頃で、「門限」は過ぎていたようであるが、何とか着陸できて今回のアメリカ往復旅行は終わった。
 今回の騒ぎを振り返ってみると、我々はいろいろな状況のなかで非常に恵まれていたということが言える。たまたま降りたデトロイトは「臨時のホテル」があったので良かったのだが普通は数百人が突然来て、同時に泊まれるだけのホテルをすぐに探すというのは不可能に近い。事実ニューヨークではホテルに泊まれない乗客が空港で夜を明かしたと言う話も聞いたし、ホテルの廊下で寝た人も居たようだ。帰りのデトロイト空港でもドイツから来た旅行者の団体がアメリカの西海岸に行くのにナイアガラ近くのカナダの空港に緊急着陸となり、アメリカ国内まで行けば何とか飛行機が見つかるかと思って陸路をデトロイトまでバスで来たが、結局飛行機は飛ばず、ホテルも見つからないので空港で二晩夜を明かしたと言う人々にも会った。
 そして感心したのが今回のトラブルで見せた全日空シカゴ支店の人々の頑張りであった。上山さんという人は50歳代の前半くらいに見える人だが、本来この事故は全日空の責任でも何でもなく、まして旅行業者でもないわけだから「約款」にあるようにデトロイトに着いた所で「ハイ、さようなら。残った区間のワシントンまでの航空運賃は払い戻します。」と言われてもしかたがない場面だったかもしれない。これは単なる推測ではあるが、もし乗っていた飛行機がユナイテッドとかアメリカンなどの米国航空会社の飛行機であったとしたら、多分そうなっていたに違いないと思う。これはこれまで15回アメリカに出かけていろいろな場面にであった経験からそのように感じる。その点、全日空は本来なら彼らも同時多発テロの犠牲者であった筈なのに最高の顧客奉仕精神で、乗客の宿から食事から帰りの便の準備まで全部一手に引き受けて、面倒を見てくれたのである。余談だがこれらの2泊のホテル代、食事代、おまけに帰りの成田が深夜になったので、全員を幕張のプリンスホテルまでバスで送ってくれ、その夜の宿泊と翌日の朝食まで一切の費用を支払ってくれた上、目的地まで行けなかったという 理由で航空券は払い戻しをしてくれるのである。ありがたい話と思うと同時に今回のトラブルで航空会社が最大の被害者であったのではないか、という気持ちとやはりいざと言う時には日本の航空会社でないと困るなァというのが最後の感想であった。 (2001_9_16
)
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