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農場の北西一帯に隣接する森林は21世紀の市街地の中を切り取っているのに、江戸時代のこのあたりの姿をそのまま残している珍しい場所だ。東京ドーム2個分(9.1ha)程度の広さしかないが、この樹林地帯に入ると真夏でも涼しい。大きな樹木の枝が頭上を覆って影を作ってくれるからだけではない。真夏の1ヘクタールの森林は毎日約50トンもの水を水蒸気に換えて大気に放出するので、気化熱を吸収して周りの温度を45度下げるという。もちろん地下深く根を伸ばした大樹は、根の浅い作物や草などが届かない地底の水も吸い上げる力がある。さらに樹木が自衛のために出すと言われる殺菌性の化学物質フィトンチッド(phytoncide)が人間にも作用するためか、その中を歩くだけで気分爽快になる。

東大の持つ全国7ヶ所の森の中では一番小さな樹林だが、市街地の中に、少なくとも45種の鳥、針葉樹80種、広葉樹270種を含む800-900種の植物、1000種を越える昆虫が生きる生態系を支える自然が残る。その他外国産のマツやスギ、竹などの見本林、改良ポプラ、メタセコイア、シラカシなどの試験林など他では見られない貴重な樹木がギッシリ詰まる。1935年に駒場の農学部が本郷に移転したとき、本郷に十分な敷地がなく、駒場にあった6378本の樹木を新しく確保した田無の土地に移植したのがこの樹林の始まりだという。

隣の農場から桃の果樹園とトラクターの練習場の間の道を通って、森林へ通じる道がある。これは森林の入口にある官舎の横を抜けて西へ伸びて中世の鎌倉街道につながる横山道の一部で古い道だ。道の上に覆いかぶさるように張り出した大枝に、藤のつるが絡み付いているが、この裏の樹林は実験的に自然のままに30年間も放置されている部分で、文字通りジャングルの様相をみせる。太い枝が大蛇のように近くの同じ太さの別の幹に絡みつき、絞め殺さんばかりの勢いだ。植物は動けないだけに、太陽を求めて有利な場所を取る壮絶な闘いを空中でゆっくりと繰り広げていくのを見せつけてくれる。この陰湿な空気に影響を受けたのか、このジャングルの中で首吊り自殺者が出たこともある。

やがて前方の木々中に埋まるように大きな瓦屋根に白壁の管理棟が見えてくる。手前のすぐ左にはこの森で一際高いセンペル・セコイアが周りの木々の上にそびえ、その根元のところには「ブラシの木」がビンの中を洗うブラシの形をした真っ赤な花を沢山突き出している。

暑い夏の日に大樹は11トンもの水分を根から吸い上げ気孔から蒸散すると言われる。手前西側には樹皮を少しえぐった跡が数ヶ所ある大きなヒノキがある。これは温度センサーを使ったヒートパルス法という樹液流測定法がここで初めて試された痕跡だそうだ。

再び来た道を五叉路のところまで戻る。東側に奥へ通じる道が続く。左手にアカマツ、クロガネモチ、ホウショウと黒いプレートの貼られた大木を左に見て進むと正面に太い二股の一方を切り取られたイロハモミジの大木が現れる。ここで道は左右に分かれるが、左へ行く。このモミジは春に紅葉するのが特徴のようだが、私はその時期にそれらしい紅葉にめぐり合った記憶がない。右にアジサイの群落、左にアオキ、カナメモチ、キンモクセイ、ヒイラギモクセイと見ながら進むと、突然小道が茶色の長い松葉によって覆われた場所に来る。上を見るとダイオウショウの大木。針状の葉が30cmにもなる針葉樹。何重にも重なって落ちている「針のムシロ」は踏んでも弾力があり気持ちが良いが、大雨の後でも、水はけを助けて歩きやすい道を作る。不自然な水溜りが出来るのは必ず人間が植物を取り去って裸の土が出たところで、落ち葉や草は水分をうまく吸収保存して歩きやすい状況を作ってくれる気がする。

この先で大樹が林立する場所に突き当たる。目の前にこの樹林のシンボルのようなヒマラヤスギが2本太い腕を広げる。その横にサワラ、クヌギも、「環境が良ければこれだけ大樹になれるのだよ」と主張しているかように空をつく巨木になっている。

ここを左へ折れると奥のトイレに通じる道だが、11月下旬のこの付近の紅葉はまさに一面の炎のようで、人を圧倒する絶景だ。紅葉の名所といわれる場所でもこれほど完璧な紅葉にはならないように思う。この辺りから先には日本に自生する26種のカエデのうち6割を超える16種がこの狭い場所に植わっていて、晩秋には紅葉を楽しむのには最高の場所になる。場所によっては上を見上げても、緑を背景にして黄葉や紅葉が重なり合い、地上でも、草の緑のキャンバス上に赤や黄色の落葉が織り成す天然の造形美が見られ、踏むのに躊躇するくらいだ。

このあたりに来ると、根元に白いプレートが突き立っている大木がいくつかある。「東京大学科学の森里親」と書かれた下に○○○○様と名前がある。最初見たときは、この木を寄贈した人の名前かと思ったが、そうではなかった。国立大学が法人化され予算が大幅に減らされたため森林の維持が難しくなり、支援を一般に求めた結果だった。個人が10万円を寄付すると、「里親」として1本の木に名前を書いた札を立ててくれるというもの。私も毎日散歩を楽しませてもらっているので、1口乗らせてもらった。左手奥、温室への入口の先にある「ラクウショウ」の大樹の里親になった。メタセコイアに似た葉を持つアメリカ産の大木だ。

さて、カエデ類の樹木林には中央に切り株や丸太を椅子代わりに置いた休憩所があり、その北側には0.5ヘクタール前後の「第1苗畑」と書かれた場所がある。ここは立入り禁止だが、80年前に設けられて以来、林学科造林学実習や森林動物学の実験が行われたり、世界中から持ち込まれた種子の発芽、苗木の栄養繁殖、林木の成長を生理学的に解明して育苗技術をみがく場にもなっている。

また西側は巨木のコナラ、カツラ、ブナなどが並んでいて、さらにその西側奥には竹やぶが広がる。そこも立入り禁止地区だが、孟宗竹だけでなく、葉の巾が広いオカメザサや節間がふくれた亀甲竹などの珍種が遠くからでも目に付く。

真っ直ぐ北へ進むと左側に「ナンジャモンジャの木」(ヒトツバタゴ)がある。何の変哲もない木だが、5月初旬に葉の上に白い小さな花をたくさん咲かせて、木全体が雪をかぶったようになるので、これは一体「何じょう物じゃ」(何という物か)ということになり、この名前がついたとか...。東京にも明治神宮外苑など数本しかない珍木で、この樹林の名物の一つ。

道を隔ててそのすぐ前は低木が群生する。蝋梅(ロウバイ)、キリシマミズキ、レンギョウはどれも黄色い花だが、白い花のヒイラギも近くにある。

さらに北へ歩き、右に京都北山杉林と左に九州薩摩杉林の間を抜けると、左に温室への入口が見える。ここも立ち入り禁止だが、アジアの生態系全体を視野に入れた環境ストレス耐性、地域資源の評価、森林分子生態などの研究が行われている温室を含んだ第2苗畑だ。その入口前の道の両側に中国原産のハナズオウが植えられている。初春に葉が出ないうちに、紅色の小花を枝や幹から直接咲かせ、枝一面がその紅花で覆われるのは不気味なほどだ。ユダがキリストを裏切ったあと、この木で首をつったというので「ユダの木」(Judas tree)とも言われるが、ユダの血が枝を伝って落ちている場面を想像したのかもしれない。そしてこの西側のユダの木のウラに我が里親の木「ラクウショウ」があり、隣には鉛筆の材料になる「エンピツビャクシン」がある。柔らかくて削りやすいだけでなく、削るときに独特の香りがあり、頭の働きを刺激するとか...

さらにその左手奥に秩父のヒノキ林がある。秩父演習林の標高800m1800mの異なる標高に自生していたヒノキをここに植栽して、環境の変化に耐えられるか試しているとのこと...

さらにその横の生垣に囲まれた「第3苗畑」では、マツの大敵、マツ材線虫病に抵抗性をもつマツを試験的に育てていて、このやっかな病気の発病メカニズムや防除方法を研究中。この道を隔てた反対側の外国産マツ林はカリビアマツやアメリカ産のテーダマツ、リキダマツなどの側にはちょっと変わったごつい感じのマツボックリが落ちていて興味を引かれる。林の中にも木肌がツルツルのマツ(ハクショウ)や例の葉の長いダイオウショウなどがあり、おもしろい。

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マツ林の下にはびこるシダの緑を見ながら、今の道をさらに進んで十字路を直進。両側のジャングルから大枝が覆いかぶさるやや暗い道を行く。左側にクヌギ、アベマキなどの中にカシワの枝が大きくせり出している。しかし柏餅の季節に葉を取ろうとしても高すぎて届かない。右側のマテバシイ(遅れて実が熟すので「待てばおいしい?!)、アカガシ(赤い木質の樫)、シリブカガシ(ドングリの尻[=キャップ]が深い樫)3種ともドングリを1本の木から何千個も落とすのでそのあたりの道全体が秋はドングリだらけ。全種食べられるようだが、アカガシの実は渋くてダメとのこと。マテバシイは煎るといいとか。これは縄文時代の主食だったそうで、ちょっと大昔の生活を経験するのもいいかもしれない。

その先のスギの林分の手前を左に折れる。この左の雑木林の中は赤ゲラなどの小鳥がよく飛来し、幹の適当な高さに巣穴を掘って卵を生む。巣作りの時期はそれをねらってカメラに収めようとする人の列が出来ることもあるほどだ。

その先突き当たったところから右にメタセコイアの森が高く続く。森の南面は夏にはほとんど垂直の高い緑の壁が出来る。それが秋には青空を背景に赤茶色の壁に変わり、それが冬には枝と幹だけになる。1939年に日本の200万年前の地層からこの木の化石が見つかったあとで、中国で現物がまだ生きていることが発見され、その種子がアメリカ経由で日本に持ち込まれた。アメリカのセコイア(Sequoia)と葉のつき方がちょっと違うので、「変化」を示す「メタ」を頭につけて「メタセコイア」と命名された。私も45年前に大型セダンでアメリカのセコイア大樹の幹の根元をくり貫いたトンネルを通ったことがあるが、確かにアメリカのセコイアほどの大きさはない。しかしこの100本以上もあるメタセコイアの森もスラッとして背が高く優雅でどこか異国的。針葉樹なのに落葉し、晩秋に樹下にできる明るい茶色のじゅうたんを踏んで歩くのも独特の趣がある。

その茶色の道の突き当たりは街路樹だけを集めてその健康維持管理の研究を目的とした区画。右に曲がった左側には大きな手形の葉を持つユリノキ、スズカケの木、それにイチョウ、ケヤキ、クスノキなどの適当な高さのものが次々に現れる。

さらに南へ進むと、ヒノキのクローンが碁盤の目のように等間隔に植えられた一角が右に出てくる。1983年に秩父から、1987年に千葉から持ち込んでここで10cm程度の枝で挿し木されたものがもう20mくらいにはなっている。その先には1955年に挿し木されたクローンスギが高く伸びた一帯がある。挿し木でクローンを作ると母樹のDNA100%受け継がれて、材質がそろった木材がそろうそうだ。だが広く同じクローンを植えると気象害や病虫害が広がりやすいので、いろいろ試行錯誤が必要だという。

前にも書いたように、ここでは「森の貴婦人」と言われるポプラのクローン植栽も盛んだ。スギの区画の中や前にも「改良ポプラ」と書かれた一角があり、1966年に挿し木されたものが、もう太い天をつくような大樹に成長しているものもある。欧米の良品種を掛け合わせて作った改良種。増殖が容易で成長が早いポプラは木材としても魅力的。しかし木材需要の増加に対応しようとしたこれらの研究も、結局安い輸入材が入ってきて出まわり、先細りになったようだ。

さらに南へ進み右に第1苗畑が見えてきたころ左を向くと有名な「ハンカチの木」がある。毎年4月下旬、緑の葉の中に白いハンカチを干したように花がだらりと垂れ下がるように見える木が出現する。実際は花ではなく、花を包む葉の一部のようだが、小さなマリような花自身には花ビラらしいものがなく、しかも緑の葉も普通に繁茂しているので、どう見てもこの白いハンカチが葉っぱには見えない。小石川植物園に勤めていた人がこちらに転勤時に種子を持ってきて第1苗畑で発芽させ、今のところに移植したらしい。世界中で中国の山奥にしか自生していない珍種だが、すぐ北の「いこいの森公園」にも3本植わっていて、近くの植木農園にもあり、西東京市のシンボル・ツリーということにもなっている。

この斜め右に大樹があり、「モミジバフウ」という看板がある。カナダのメイプルのように葉はやや大きめのモミジに見えるが、カエデ科には属さない異種だそうだ。下には小さなウニのようなトゲトゲが出た丸い茶色の実が落ちていて、靴の底にゴロゴロと当たるのは異様な感触。前に書いたカエデの見本園はこの辺りまで広がっていて、この付近の晩秋の紅葉も細やかな美しさがある。

そのまま20mも進むと右やや奥に黄色の艶やかな木肌をした木が人目を引く。このあたりのツバキの仲間なのに落葉樹のヒメシャラ。地上1mくらいのところから太い幹が幾つも分岐して、きれいな肌を露出し、力強い安定感がある。ネットの写真で見てもこれだけ見事なヒメシャラにはお目にかかれない。そしてその付近のハクモクレン、コブシなども見事な花を咲かせる。

道を隔てて反対側の一帯は人の手がこの30年来入っていない小ジャングルである。意図的に手を加えず放置しながら、その中の11本の木がどう変化するかをモニターしているようだ。自然発生的に下に藪が出来て人はとても入っていけそうにない。しかしその混乱した空間で小鳥や虫はかえって自由に動き回っている一方で、動物と違って、命を与えられた場所から動けない植物同士が太陽を求めて必死の生存競争を繰り広げている様子が分かるのも面白い。

この森は少なくとも45種の野鳥の住みかになっていると言われる。森へ一歩踏み込み雑踏が遠ざかると同時に、鳥の声があちこちから聞こえてくる。春には黒いテクタイをつけたシジュウカラが甲高いツピーツピーと聞こえる縄張りを主張する声を発する。胸のネクタイが細いのがメスだそうだ。ハシブトガラスはアーアーとずうずうしい大声で遠くの仲間と交信する。大きい巣を高いところに作っているのに警戒心が強いらしく「刺激しないように」という看板が置かれている。歩いていると、たまに後ろからコツコツ音がすることがある。アオゲラが幹を叩いている。近づいても気付かないように夢中でゴツゴツ続ける。冬に越冬しに来る背黒で茶色のツグミは夏には北へ行き鳴き声が聞こえなくなるので、口を「つぐむ」と思われ、「ツグミ」となったとか...。その他、ヒヨドリ、キジバト、コゲラ、ムクドリ、メジロ、オナガなどがよく見られるようだ。

しかし、めったにいないオオタカとの出会いはこちらも緊張する。この森で私も3度ほど出会った。3年前の3月にはたまたま松林のダイオウショウの枝に悠然と真っ直ぐ止まって王者の風格を保っていたが、やがて空中でハトを襲った。一撃して参ったハトを足の爪で引っ掛けて、近くの大枝の上に陣取り、羽をむしって落としながらゆっくりと中の肉を口ばしで食いちぎって全部平らげた。2度目と3度目は道端を歩いているハトを上から襲い、羽を広げて覆いかぶさるようにしてあたりを警戒しながら見事に羽をむしりとり、内蔵を平らげて軽くなった肉を加えて飛んでいった。子育て中のようで子供に餌を届ける。オオタカはよくケケッという特徴的な声を出す。見ると上を飛んでいって高い木の枝にとまり子供に口移しで餌を与えている。餌を渡す場所も決めているようでもある。森の小道脇に灰色や白の小さな羽毛が束になって円形状に落ちている場面に時々出会う。オオタカの晩餐の跡のようだ。

ハシブトカラスはこの森でも物凄い数でたむろし、大声をあげて我が物顔に振舞う。オオタカはカラスも餌にして襲うらしいが、ここでは鳥の王者も多勢に無勢、ハトを捕らえてもカラスに盗まれまいと周りを威嚇し苦心して獲物を確保している。東大の方もついに昨年カラスを捕獲するトラップ小屋を2ヶ所に作った。中に45羽いるオトリに呼び寄せられて屋根に開いた大きな隙間から一旦入り込んだカラスは再び逃げられない仕掛け。週に何回か肉屋が投げ込んで行く餌を食べるだけのオトリの生活は気楽なものかと思っていたら、フラストレーションもたまるようで1羽が床に落ちて死んでいた。ところが、間もなく45羽いる仲間がその死骸をつついて食べ始め、死骸は無残な姿になった。前日同じ止まり木で仲良くやっていたのに次の日はその仲間の餌になる共食いの世界だった。

イギリスに自然との調和の生活を目指すフィンドホーン(Findhorn)という共同体があり、世界中から人が集まる。そこの森林で生活した人が言う。「森で葉を見ると、その葉に生きているものが実際に自分に伝わる。森を一生懸命に走ると全身が不思議な躍動感に包まれ、固まっていた自分の内部が解放されたように感じる。すると雲などを見ても生き物に見えたり、周りの人たちの顔も動物のような自然な顔に見えてくる」と。

シェイクスピアの「真夏の夜の夢」を引き合いに出すまでもなく、森は人を変え、神秘を引き起こす不思議な力を持つと信じられたきた。それは結局は森で営まれる「人知で計り知れない複雑な生態系」が全体として生み出すものなのだろう。

こんな小さな場所だが、大きな樹木が地下深くから水や養分を吸い上げて葉で水分を蒸散したり、光合成をして酸素を作り、炭酸ガスを減らしてくれるだけでなく、微生物を含む何億何兆という生物がその水分を利用したり空気に触れながら、空中で、地上で、地下で、成長、崩壊、食べ、食べられ...を繰り返す物凄い世界があり、これをアスファルトやコンクリートで封鎖することがいかにひどい行為なのか考えさせられる。
(終り)

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