八王子の「深山幽谷の里(?)」、創価大のキャンパスのの中で、蛍を育てて、それを一般の人たちに見せておられる生命科学研究所、井上務氏の「ほたるの夕べ」に参加させていただいた。
 八王子の北口12番バスターミナルから出たバスが20分くらいで八王子市街の雑踏を抜けると、東京にこんなところがあったのかと驚くような木々の生い茂ったキャンパスに着く。左の写真も、同じキャンパスの一角から見た校舎だが、その広大さは想像を絶する。
 起伏の多いキャンパスの地下水脈は、その中央の「文学の池」に湧き出す。学生の憩いの場でもあるその湖畔から、弁当のおこぼれを頂戴して太った鯉の群れが静かに泳ぎ回る。その向こうには、頭の白い黒アヒル(?)が悠々と水面を滑っていく。水中への酸素補給も兼ねて、逆ピラミッド型の噴水が、あたりの暗さを背景に白い水の泡を噴射している。
 この環境を舞台に今夜の「ほたるの夕べ」が、近くの学生食堂(どういうわけかパリと呼ばれている)のベランダで行われるという。
 暗くなるまで少し時間があったので、井上氏がその顧問を務める「蛍桜保存会」という学生のサークルの部屋へ案内してもらった。何と、そこでは産卵から取り組み、孵化させた蛍の幼虫に餌を与えて育て、6回も脱皮させて、さなぎから羽化まで、すべて面倒をみるという実に根気の要る企画に取り組んでいる。
 この左の写真の黒い2つの影のようなものが蛍の幼虫。卵から幼虫にするのも大変で、人間が手を加えても、羽化に成功するのは卵の総数の5%から10%程度だそうだ。蛍の餌は「カワニナ」という小さな巻貝のような生物だが、これを探すのも一苦労という。相手は生き物だから24時間のケアが欠かせない。しかも、この飽食の時代、蛍にも食欲の乏しい奴がいて、苦労して集めたカワニナに食いつかないことがあるそうだ。すると、ハッキリしたもので、彼らは栄養失調で親になり損なう。つまりもう1年かけて充分に餌を貪り食って、1年遅れで成虫になるとのこと。この種の幼虫を井上氏は「留年幼虫」と名付けて「君たち、こんな幼虫になるなよ!」と学生に言っているそうだ。
 この右の写真の網の中に2つ光っているのが、蛍の成虫。下の方の発光体の幅の狭いのがメスで上の丸いのがオス。彼らはこの籠の中に入れられて、ペアリングを行い、卵を産むように注意深く育てられる。
 約2時間後、真っ暗になった学生食堂のベランダから、外に放された蛍が飛び交うのを見させてもらった。自然環境がいいせいか、光が大きく見えて、鮮やかだ。それに大きく高く飛び回り、まるで大きな流星群をみているよう。青みがかった白い光の玉が、深い杉林の前で乱舞するのはちょっと幻想的な世界だ。しばらくぶりの「心の清涼剤」。蛍を見るのは何十年ぶりだろうか。昔、田舎にいたころ、田んぼのわきの小川で、ウチワを振り回して、とまった蛍を捕まえたことを思い出す。でも、あの頃の蛍はもっと小さく、光も弱かったように思う。「やっぱり、栄養が違うと、蛍も光も違いますね」というと、「いや、ここにいるのは源氏ボタルだから大きいので、昔ご覧になったのは平家ボタルじゃないですか」と井上氏は言う。
 確かに昔の記憶は正確ではないかもしれない。しかし、1昨年、ニュージーランドで見た「土ボタル」などは、もっとはるかに小さく、まるで光の粉のようだった。それも小さな洞窟の奥に小さなボートで入り込んでみるものだった。世界中で日本の蛍だけが自然の水の中で育つという。だから、昔はどこでも小川の辺で目に入った。だが、最近では都市化の波で、蛍が成長できるような、素朴で清らかな水場が消えてしまった。つまり、蛍が消えるということは、自然環境が破壊されたという何よりの証拠だというわけで、「蛍を通して自然を考えるシンポジウム」で井上氏は発表者になられたこともある。名づけて"Think globally, act locally."世界的な視点を持ちつつ、身近なところから行動を起こそう--ということで、環境問題を蛍から始められたのだろう。

実際、創価大は自然の中で、それ自身、共生している。文字通り深山幽谷を思わせる環境の中にある「万葉の家」は、周りを太い竹林に囲まれた茶室の雰囲気である。そこには、かつて東西冷戦を終わらせるのに大きな役割を果たしたソ連のゴルバチョフ大統領が、招きに応じてここで池田会長と談話したそうだ。この左の写真の車がとまっている奥の暗いところだ。
 一方、アメリカの実業家が当学に寄贈されたというウォルト・ホイットマン(Walt Whitman)の大きな像が、5000人を収容するという池田記念講堂の前に立っている。彼もアメリカで自然を歌い上げた19世紀の詩人で「草の葉」(Leaves of Grass)は、型破りの詩で話題になった。講堂の反対側にはウズベキスタンの指導者アリシェール・ナワイーという人の像がその国から寄贈され、ついこの間その除幕式があったばかりだという。
 都内の一般的な大学と違って、キャンパス内に象徴的な像がやたらに目に付く。講堂の前の広場には先ほどの2体の大きな銅像の他に、まるでローマのトレビの泉の前に立ったかと思わせるような、何段にもなった天使達の像(?)がそびえ、キャンパス中央に高く聳え立つ18階建ての本部棟の前にも、二宮金次郎とは違う左の写真のような像が建つ。
 「創価」というのは「新しい価値を創り出す」ことだろうとはすぐに想像がつくが、「周桜」だとか、「学光」などおもしろい表現に出会う。。当学が中国からの留学生を初めて多く受け入れるきっかけになった当時の周恩来首相との交遊の記念に植樹された桜の並木を「周桜」と命名したり、たぶん「学光」などという言葉は、学問の持つ強い影響力を現したものと思われる。いづれにしても、学校が、単に「学問を教わる学生の入れ物」ではなく、キャンパスそのものの雰囲気がもつ「自然の教育力」(?)とでもいうべきものを非常に重要だと考えていることがよく分かる。
 前の、2つの銅像の下には「英知を磨くのは何のため、君はそれを忘れるな!」とあり、For what purpose should one cultivate wisdom? May you always ask yourself this question! と英語で書かれた後に、ドイツ語とフランス語でも入念に書かれている。どこを見ていても、何か興味を引く形や文字が目に飛び込んできて、自然に頭脳と心を刺激する仕掛けがある。
 本部棟に登ってみる。18階の途中の食堂階でも、遠くに横田基地を望みながら、その手前には環状に取り巻く豊かな緑が、はるか下方に広がる。この景色は、ここで食する料理に大きな味付けをしてくれそうだ。大学の食堂はイギリスではrefectoryと言うが、学問をするのに体力を「回復するところ」の意のようだ。その条件にピッタリはまっているという感じがした。

 「ホタルの夕べ」と言っても、ホタルだけでは地味すぎる(?)とお考えになられたのか、雰囲気を盛り立てる日本舞踊やギターなどのアトラクションの数々が準備されていた。
その中でも、学生食堂にあふれんばかりの「観客」を前に、ベルを順に鳴らして奏でるGolden Bell Ringersというグループの演奏が印象的だった。暗闇に輝く様々な雰囲気をもつホタルの輝きを音で表現するとすれば、一ツブ一ツブの区切られた変化のある音色がピッタリとイメージに合う感じがした。左のRingersの写真をクリックすると短いビデオの演奏が見られます。試みてみてください。




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