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最初はインドのおデリーから10/19の早朝6時に到着するとのことで、京成上野駅で9時に落ち合うことになっていた。ところが当日朝メイルを開くと、「突然、直行便のJALフライトがキャンセルされたので到着できない」と連絡が入っていた。私は翌10/20も空いていたので、1日延ばしても構わない旨の返事をして彼の返信を待った。午後2頃になって「インド航空の便が1日遅れで取れたので10/208:45amに成田につくのでよろしく」との一報が入り、11:00amに京成上野駅で待ち合わせることにした。

丁度定刻に現れた彼は私の後ろから肩をポンとたたく。京成上野駅は外人が多いので私はキョロキョロしていたが、「青い野球帽をかぶっていくから」と言っておいたのを覚えていた彼が先に気がついてくれた。19日の日航機はデリー空港を離陸して約1時間後に突然Uターンして引き返しそのままキャンセルになったそうだが、機長や空港関係者からは何の説明もなかったという。

とにかくこの件は間近の話だったので、細かいメイルの打ち合わせは出来なかった。彼はイラク人の父とイタリア人の母を持つイタリア人(37)で、イタリア語もアラビア語も話し、イギリスの大学で生化学を専攻もして、その方面の会社で8年過ごし、そのあとユネスコに職を得てインドに派遣され8年経つと言う。父の影響かイスラム教の信奉者のようで、最初の予定では19日午後に予定の説教を聞きに代々木上原「東京モスク」への案内を頼まれていて、私もちょっと興味があったので、一緒に聞くことにもなっていた。しかしこれもダメになった。

早速上野公園に上がり、西郷さんの銅像の下のベンチで今日の予定を話し合う。既に5回も日本に来たことがあるという。地図を見せて都内の主な観光スポットを点検していくが、ほとんど既に見ている。上野も国立博物館の中身なども詳しい。しかしどういうわけか明治神宮、原宿やお台場はまだというのでそこを回ろうということになった。

その前にノキアの携帯のSIMを日本で通用するものに入れ替えたいというので、上野駅前のヨドバシへ行き、携帯のところで尋ねるが、適当なものがない。彼の言う電話とSMSだけが必要でネットへの接続は不要という条件も厳しい。やはりこういう話は成田空港内のデスクで処理した方が良いように思った。

彼が予約した本郷の旅館は3時にならないとチェックインできないというが、空港から直通で来ていたので、やや大きなスーツケースがあり、それを上野駅のロッカーに預ける。500円のコインを入れて閉じたあとで、開け方を確認中に彼がうっかりカギを回してしまい、再度500円入れるハメになった。1000円のロッカー代になったが、インドだとこの金額で5人家族が1週間食べられる額だと彼は笑いながら言った。

早速切符の自販機でパスモの買い方とデポジットの入れ方を教えて、ここでも自分でもう1度試し、山手線で原宿へ。車中の30分の間、お互いの自己紹介や情報の交換をする。彼はインドでユネスコの教育振興のプログラムを作って実行している。資金は寄付などもあるが、ほとんどはインド政府からの予算で、ノウハウを知らない現地の状況を助けるために、例えば、世界中の大学の講義をネット経由でリアルタイムでインドで必要としている教育機関に配信する手配、その中には慶応大学の情報関連の学部から発信されるものなども含まれているとのこと。だから今度の来日はユネスコの仕事かと思ったら、そうではなく、横浜の国連大学高等研究所で個人として研修を受けるためだという。つまり今まで、経験した生化学、ユネスコとは違う第3の分野で自分を試して見たいとの個人の計画。だから今のところ3ヶ月の予定だが延長するかもしれないとのこと。それにしてもカトリックの本場ローマで育ち、仏教の本場インドで長年ヒンディー語を話し、自分ではアラビア語をこなしイスラム教の信奉者でもある実にuniversalな人間だねと言ったら大笑いしていた。

ほどなく電車は原宿へ到着。明治神宮の設立経緯と戦後の再建を説明しながら本殿前へ。広場で、丁度横断中の結婚式の行列を見ていいたら、奇遇だったがコーディネーターのYさんに声をかけられる。見ると彼もイギリス人のガイド中。お互いに「やあやあ」というわけで簡単な挨拶と情報交換をして写真を撮りあう。上の写真はY
さんを挟んで左が私の依頼者
Ahmedさんで、右がYさんのRichardさん。

その後竹下通りへ。日本到着後何も食べていない彼は空腹のようなので、そのまま原宿通りの先のデザイン・フェスタの先のさくら亭へ。お好み焼きを...と思ったが、土曜日で大きな学生団体のパーティが進行中。待ち時間10分後やっと席へ着く。1060円でドリンク付き食べ放題。彼はチーズのお好み焼きを2つ、キムチとビーフを半分ずつ平らげた。私は残りの半分ずつで十分。食事中の話。彼が日本に行くとを友人に言ったときに、友人に「日本は危険だからよせ」と言われたという。原発のことかと思ったら、「尖閣」のことだった。インドにいる人でも、間もなく日本が中国と戦争になると思っている人がいるというので驚いた。

エネルギーの補給が出来たというので、また表参道へ。表参道ヒルズをちょっとのぞくが、彼は別れた奥さんがブランド志向で悩まされたと言って、ブランド店を毛嫌いする。国立博物館で見た根付に興味があるというので、それでは近くのオリエンタル・バザーへ行こうというと、「売っているのを見るとどうしても買ってしまい病み付きになりそうで、怖い」という。そこで、彼が興味を示した浮世絵美術館(太田記念美術館)へ。たまたま月岡芳年の特集展示だった。餓鬼や幽霊の類が多く、あまりピンとこない。頭巾をかぶった女性の像をみて「イスラムと関係があるのか?」と聞く。複製にも興味を示すが、これも「一旦買うと病みつきになりそう」と言ってためらう。

外へ出るともう4時近い。potteryに興味があると言い、たまたま出光美術館でやきものの特別展をやっていることが分かるが、4時半で入場終わりになるので急ぐ必要に迫られる。しかし彼は夜行のフライトのあとのせいか、かなり疲れたようで、ホテルに戻りたいという。そこで、上野駅へ戻り荷物をピックアップして、本郷の宿「鳳明館」まで案内する。後楽園と東大との丁度中間くらいの分かりにくい場所で、iPhoneに住所を入れ誘導されながら、やっと到着できた。典型的な古い和風旅館で外国人には人気のようだが、宿の人に聞くと、タクシーでもたどり着けない人がいて、暗くなってからだと日本人でも迎えにいくことがあるとのこと。別れて外へ出たらもう暗かった。


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最初「本物の人間が住んでいる東京の郊外」とか「豪邸が並ぶ場所を見たい」と書いてきた。コロコロ言っていることが変わる人で、名前も最初はShirazと書いてきたのが途中からSamになり、10/28-29の希望日が10/29-30になり、結局10/29だけになったり、最初の希望地も途中で、魚市場、東京証券取引所、国会議事堂も加えたいと言ってきて、しかも1日にしたいとなった。2日間を希望しているころは月曜以外も含まれていたので、「江戸東京たてもの園」などが豪邸や庶民の生活もわかると思い、提案していたのだが、休館日の月曜に案内することになり、ほとんどの博物館・庭園などは見学不可になった。それで、代わりに上野の「旧岩崎邸」などを加えて提案し同意を得た。

ホテルは新宿・歌舞伎町の真ん中にある雑踏に挟まれた8階建てのビル。その3階にあるロビーで時間通りに会う。夫のSamは父がタンザニア出身、祖父はイラク人だったそうで、ちょっと浅黒い感じの人。バンクーバーで会計士をして日本人のクライアントもいたそうだが今では退職して世界中を旅行している。妻のJudyは香港出身の中国系で、1997年に香港が中国に編入されたので、不自由になるのを嫌ってバンクーバーに逃れたそうだ。長く秘書をしていたが今では退職してボランティアで老人施設で手伝っている。2人とも独身時代を含めて何回か来日の経験はあるという。

早速、大江戸線の新宿駅から築地市場へ。8時過ぎなのでギッシリの通勤ラッシュに巻き込まれる。20分も缶詰のイワシのように身動きが取れない。しかしJudyさんは香港でも同じだったと落ち着いている。魚市場ではもちろんセリは終わっているが一応セリ終わった場所も見て、マグロを解体している場所を探すが今日は見当たらない。そのうちSamさんがマグロをパックで売っている場所を見つけ、ここで食べられないかという。店の人に聞くと醤油と箸を数本持ってきてくれる。醤油を上からぶっ掛けて、すぐに皆でつつく。周りをたまたま通りかかったフランス人のカプルにも味わってもらってあっという間に全部消えた。何度もココには来ているが、こんなのは初めてだ。400円で多くの人が味わったので、確かに合理的かも....

メトロの築地まで歩き、茅場町へ。東京証券取引所へ向かう。たまたま前日にiPhone5が手に入ったのでマップについているナビを使ってみた。iPhone5の地図は評判が悪いのだが、ナビは良くできている。確かに鉄道は地図上に出ないのだが、問題はあるくところなので、例えば茅場町で地下鉄から出て証券取引所まで案内させようとして行き先を設定すると、次の曲がり角までの距離がでて、歩くと数字が減っていき、地図も常に北が上になるように動きに応じて変化し、曲がり角に来ると、次の曲がり角までの指示が同じように出る。気が付くと目的地の前だった。予約なしでいったが、見学を申し込むと、若い女性社員の英語ガイドまで付けてくれた。たまたま彼らの祖国カナダの国旗が大きく正面に掲げられ、カナダからの使節団が見学中だった。Samさんは会計士でもあり、株式に詳しく細かい質問をする。特に昨年デリバティブの不正がゼロだったという報告には疑問をぶっつけていた。Samさん、Judyさんと我々2人の通訳の共通語が英語なので、儀礼上すべて会話は英語で...ということにした。

そのあと上野へ出て、ハスの葉が生い茂る不忍池の脇を抜けて、旧岩崎邸へ。中国ではハスの種は健康食品として珍重されスープに入れて食べるのに、この池には放置された無数の種がそのままになっているのを残念がる。ほどなく岩崎邸に到着。ここは65才以上だと証明できれば半額の200円になるが、申込書に55才となっていたJudyさんが実は65才で200円になり、60才と届けていたSamさんが63才で400円払うハメになった。三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の邸宅は建物だけでなく庭も、きちんと仕切られた和洋折衷で面白い。英国人コンドルによってデザインされた洋館の中を歩くとヨーロッパの王宮の中を見学しているのでは...と錯覚するほど。撮影禁止との看板があるが、彼はこっそりと何枚も写真を撮っていた。一方和館は書院造りで暗く質素。持ち歩いていた下足を履きなおして広い庭に降り、片隅にある白いテーブルと椅子で一休み。カナダから持ってきたという甘いリンゴやスナックを食べながら、気持ちのいい秋の日差しを楽しむ。

そのあと、国会議事堂へ行くため地下鉄で上野から溜池山王駅へ。地図上では国会議事堂駅と連結されているが、地下道を10分以上も歩いて国会議事堂へ辿りつく。いつも歩き出すとJudyさんは必ず5mくらいあとをついて来る。少し前まで中国では女性は男性のあとを歩くのが習慣だったので、ついそうなってしまうそうだ。

国会議事堂も予約なしだったが、衆議院に行くと、野田総理の施政方針演説中だから見学中止だという。仕方がないので参議院に回ると1時間半後まで入場は出来ないと言われる。彼らは待って入るほどの興味はないようで、外観の写真を撮るだけで十分とのこと。むしろ国会前に陣取って国旗を振り回し、拡声器でがなり立てる右翼の集団の方に引き付けられる。彼らの方に近づきビラをもらって写真を撮ってここは終わり。

次いで都庁の展望台へ向かうことにする。あまりお腹はすかないが時間も時間だというので、途中コンビニに入り、好みのおにぎりを買って、近くのベンチで海苔のはがし方を教え、エネルギーを補う。2人ともおにぎりにはとても興味を示す。都庁前まで地下鉄を乗り継ぎ、そのまま上へ。幸い秋晴れで見事な展望。彼らもLost in Translation2度も見たというので、その舞台になった目の前のPark Hyatt Hotelには興味津々。そのホテルや都庁の設計者、丹下健三の名も知っている。新宿のホテルに滞在中なので、夜景も是非見に来るという。しかしJudyさんにはやや疲れが見えるので、これで終わりにして、ホテルまでおくりロビーでコーヒーを飲みながらちょっとしゃべってお別れした。

<終わり>

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