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サメとダイビング」ビデオを送ってくれたカナダ・モントリオール出身の弁護士Paul79)と5人の女性ダイバーをTさんと分担してガイドした。9/13をTさん、前後9/129/14を私という分担。

 Paulは旅のエクスパートで、退職後はカナダのCanadian Travel Press(彼が書いた「トルコの旅」)タイ語の新聞((同じメンバーでネパールを訪ねたときのもの)などで旅行ドキュメンタリーや記事を書いている。彼はあるときインド洋上を飛ぶ飛行機から見えたモルジブに興味を引かれ、当時誰も行かなかったその島へ行ってみたのがキッカケで、ダイビングにのめり込み、25年前に同じ弁護士のタイ人女性Manirat57)と、お互いに弁護士であることを知らずにタイで出会い、結婚。この10年位はタイの中部Krabiに移り住み、ダイビング・クラブに関わって楽しんでいる。今回は旅行でたまったマイレッジを使うのに、マイレッジが使えるタイからの一番安いゾーンの最北端の限度の日本まで行ってみようということで、まだ日本に行ったことのないManirat以外の5人、Kasem(55), Deah(40), Duangchan(34), Wasana(34), Lee(41)を誘っての旅だったが、間際になってLeeが突発性腎臓結石の発病で参加できなくなり、結局総勢6人のダイバーで来日した。

 Paulは世界130ヶ国も訪れたという旅の専門家だが、一番困るのは入国時にその国独特の知恵が必要なことだそうで、その国に慣れた人間がいないと無駄が多いのを知っているので、私に成田まで来てくれないかと言う。彼の便は1210pm到着だったので、時間的にゆとりがあると思って、成田空港で会うことに同意する。実際彼の事前調査は徹底していて、我々が落ち合う場所を彼の便が到着する第1ターミナルの地下の「みどりの窓口」を提案していた。到着ロビーで会うことにすると、ターミナルには北と南の2つのウィングがあり、出口が2つあることで、すれ違いがあるとまずいという配慮であった。だが、私としては地下の「みどりの窓口」の反対側には「JRパス交換所」が別にあり却って紛らわしいので、彼に連絡して到着ロビーの旅客出口で会うように要請し了解を得た。実際彼の便の客は南ウィング出口に誘導されたが、そのことは出迎え者にはディスプレイで分かっても、入国者には分からない。

 

9/12()1ターミナル南ウィング出口で待っていると、ほどなくそれらしい一行が出てきた。私のかざす彼の名前のボードを見て、みなが近づいてくる。とても軽装備で全員が機内持ち込みの小さなバックだけなので、チェックアウトも時間がかからなかったようだ。しかも全員が地味な紺のKrabiのダイビング・クラブの制服で登場。Paulに言わせると、女性が衣服で競い合って荷物が増えるのは無意味だそうで、最小限の下着類と歯ブラシだけで旅行は十分とのこと。

 早速「みどりの窓口」で京都への新幹線切符とスイカ(私とTさんの分も含めて)3000円券8枚を購入。スカイライナーの切符も買って、少し時間があるので、日本のテレホンカードを物色。ガイドなしでの観光中にホテルと連絡したり、近くの人にタクシーを呼んでもらうのに利用できるものが望みだが、公衆電話が見つけにくい現在、NTTのカードは利用しにくく、KDDIのスーパーワールド・カードも携帯からは利用できないとのことで、どれもダメ。電話のかけられるSIMカードは11400円もして高過ぎで諦める。ホテルには大抵Free WiFiがあるので夜は自由なコミュニケーションが可能なのだが...

 一行6人のうちPaul以外で英語が理解できるのは、長くカナダに居たことのある妻のManiratDeahが少々。だから私の説明はPaulがタイ語に通訳してくれて、他のメンバーに伝える。だからスカイライナーの40分は時々全員にする説明以外はPaulとの会話を楽しむ。

 サメ・ダイビングでタイやモルジブにいるPaulだから、サメの話になると熱が入り夢中になる。実際サメも業者のひどい乱獲で、フカヒレ・スープにされて中国人の胃袋に全部消えてなくなる運命にあり、その前に記録にとどめておくためドキュメンタリーを作るのが目下取り組んでいる彼の仕事。サメもいろいろで、ビデオに出てきたトラフザメ(Leopard Shark)などは安全なサメだが、感覚器官が極度に発達していて、人の匂いや動きも完全に区別し敵か味方かも瞬時に感じ取るだけでなく、海底の砂に潜って隠れている魚もその心臓の鼓動を遠くでもキャッチして、尾で掘り出して食べるという。彼もボンベを背負って入ると空気の泡でサメの気持ちが落ち着かなくなるので、使わないそうだ。また親が近くに居るのに気付かないで、子供サメに接近し過ぎて、危ない目にあったこと。鉄格子の檻に入って海中に降ろしてもらい、わざとホホジロザメ(Great White Shark)に襲われる経験をする話もする。巨大なサメの歯が自分の檻の鉄格子に突進してきて歯をむき出して格子を噛むときはさすがの彼も恐怖におののいたそうだ。

 
Paulの父母はオーストリア人で彼も幼少時に欧州からモントリオールへ移住し住み着く。従って英・独・仏・西・タイ語の5か国語を自由に話し、ケベックの独立運動にも関心を示す。もともとケベック州はフランス領だったのを英国が征服して、他の州と一緒にカナダとして独立させたので、50年前にはいろいろ問題があり、今のスコットランドやスペインのカタロニア州のように、カナダから独立しようとする運動や国民投票が繰り返されたという。ケベック州の人口の80%はフランス系なのに、政府高官や会社の管理職はほどんど英国人が独占していて、英語を強要し、職場でフランス語を話すとクビが飛んだり、就職時もフランス系は差別を受け、不満が高まったらしい。その後独立運動が盛り上がると政府が折れて、フランス系を平等に扱うように法改正も繰り返されて、今ではその動きが沈静化しているという。かつてはAir Canadaも国営の会社だったので、英語だけしか使わせなかった時期があるとのこと。そんな話をしているとあっという間に上野に着く。

 上野から銀座線で田原町へ。ホテルでチェックイン後、一層身軽になって、雷門・仲見世へと歩く。お菓子もおみやげも興味がない。原則として間食は一切しないとのこと。タイでは朝たっぷり食べ、昼は大抵果物だけで簡単に済ませ、夜はまたしっかり取るそうだ。おみくじも興味はない。脇の「なぜ仏」に案内すると、興味を示し、こういうところへ気が付かせてくれるのでガイドと一緒だと良いという。本堂の内部も撮影可能なので、みな盛んに写真を撮る。裏のコイを覗いたり、女性の守り神「淡島堂」をみて裏通りを歩く。ただ、7人が食事をするには小さな店だとゆっくりできないので、再度雷門通りへ出て、結局「ときわ食堂」に落ち着いた。日本食だが、皆でシェアしながら食べたいというので、盆を取り除いて、皆で卵丼、カツ丼、定食、ソウメン、漬物、などをつつく。日本食だがタイ流儀のディナーだ。ただ刺身は食べない。飛び跳ねている魚を買ってきて時間を置かずに食べることに慣れているタイ人の舌に、死んで時間が経った魚は合わないそうだ。しかし翌日、Tさんがガイドした築地では、とても新鮮な上に種類も豊富でうまかったとPaulが翌日(14日)に話していた。。故国では巨大で平らな三角形の魚、アカエイ(stingray)がタイ人の常食で安くてうまいそうだ。

 明日の朝食の一部にいろいろな果物を食べたいというので、六区のROXビルの地下スーパー、「西友」食品館で果物を物色。オレンジ12個、桃、ブドウ、バナナ、プルーンなどを4,500円分も買い込む。日本以外ではよく果物・野菜類を個数でなく重さで値段を割り出すのに慣れていて、「果物の重さをはかる場所は?」と聞く。

 ホテルには2階にジョナサンが入っていて、ビルの前に「時給1,000円」とアルバイトの募集広告がある。私が説明しPaulが通訳すると女性軍は羨ましそう。「1000円という額はタイでは時給ではなく、1日かけてやっと稼ぐ額なんだよ」とPaul。しかし長い1日を終えてみな元気に笑顔でホテルへ消えた。

9/14() 今日も快晴。約束の900より15分早くホテルに着いたのだが、すでに6人全員がロビーのソファで待っている。新聞記事に使う目的で新幹線の写真を時間をかけて撮りたいので、早めに東京駅へ行きたいとのこと。説明に彼が書いた記事の載ったカナダの新聞用の英語記事と現地のタイ語の新聞を見せてくれる。(その記事はこの昨日分の報告の上の方の下線のある青い文字をクリックすると出てきます。)

 早速銀座線で上野へ。改札を出ようとするとWasanaのカードがトラブって通路が閉じてしまう。田原町の改札を通るときのタッチが弱かったようで、記録されていないとのこと。Paulはこいう場面は特にガイドが居てくれて助かるという。

 930前には東京駅へ着く。しかし彼らが乗る予定の1200発の京都行の切符で入ってしまうと、1200まで外に出られなくなるのだが、彼らはその前にラーメン・ストリートで食事を取りたいと言う。そこで入場券を全員分買って、写真を撮るだけのためにホームに入ることにする。とりあえず真ん中の17番線ホームの先頭に行き、ビデオとカメラを動かす。とにかく頻繁に新幹線の出入りがあるので、被写体には不自由しない。遠くの東北、上越方面行のホームはカラフルな車体の列車が行き来するが、目移りする暇もないくらい。妙な人間が7人も貼り付いているのを不審に思ったのか、制服の警備員が偵察に来るが、すぐに去っていく。

 30分くらい粘って、一旦改札を出て、ラーメン・ストリートへ行く。連休の日曜日で有名店の前には長い行列が出来ていて、やむを得ずPaulが好きな日本ソバ屋の「蘭免ん」へ。例によって、丼物や定食、一品ものなどを78種類取って、テーブルの真ん中に置き、皆で小皿に取ってシェアするタイ方式で食べる。Paulが特に気に入ったのが「ゴマみそきし麺」。ゴマ、味噌、醤油、ダシで作ったタレをかけただけのきし麺だそうだが、レシピをきちんとメモしている。「ネットで探せば注文できるか」とも聞く。

 食後、少し早めだが乗車ホームへ行って待ちながら立ち話。「なぜタイに住む気になったのか?」と聞いてみる。タイはカナダや日本と違って、老人を尊敬する社会だし、医療費も待ち時間なしの優れた病院でもカナダの1/3の費用で済み、固定資産税もゼロだと言う。それに今住んでいるKrabiは海岸でのエンジン付き乗り物が一切禁止で安全にダイビング出来、バンコクへも110便もある格安飛行便が1時間50ドル)で行ける便利な位置にあるとのこと。

 やがて列車が到着し乗り込む。別れは握手のあと、例のタイ流の両手を合わす祈りのような挨拶。Paulからは、とても79才の老人とは思えない活力と思考力に強烈な印象を受けた2日間であった。
***********

その後11月にPaul Unterbergさんからその「日本の旅」を特集したタイの新聞が私の所へ送られてきました。同行者の1人で彼の妻でもあるManiratさんが書いたものですが、日本のボランティア・ガイドの制度を誉めた記事で私のことも少し書かれていました。

またタイで彼らが食べている刺身や寿司の写真やインド料理のTHALIという料理の写真の他、彼らが日本を旅行中にPaulさんが撮影したビデオを編集したDVDも同封されていて私のサーバーに入れてみました。写真にはDVDの外装やTHALIの写真の他、あとに続くページに、上のタイ語の新聞の全英訳も入ってます。DVDや記事には京都や奈良のSGGガイドの様子も入っています上の文中の青い下線のある部分をクリックするとその該当ページが開きます。新聞の画面では、文中の吹き出しへカーソルを移動すると一部英訳などが出ます。

なおこのビデオはタイ語のナレーションで全部で37分かかりますが、画面の進行状況を示すスケールが下に現れません。代わりに画面の中へカーソルを移動したときに現れる「早送り」や「巻き戻し」のマークをクリックすると5分程度ずつ先へ進んだり、戻ったりしますので、適当に飛ばしてご覧ください。
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 メリカはジョージア州アトランタの南方100kmにあるColumbus State UniversityCSU)芸術専攻の大学生10名と引率教授2名をガイドした。実は昨年の6/9にも同じ大学の演劇専攻の学生と教授17名をガイドしたので、今年も...との依頼が引率教授のMike(39)から入っていて、文面から昨年Yさんと私が1日ずつガイドした関係で、様子が分かるので、2人のうちどちらかに出来ればやってほしい様子だったので、たまたま空いていた私が引き受けた。

今年も上野駅近くの安いレストラン街の中の小さなホテル。約束の9時少し前に行くと既に全員がロビーで待っている。今年も国立博物館と江戸東京博物館見学が主な目的。集まってからの話で、博物館だけでは飽きるというので、昨年は原宿を入れたが、今年は雨模様だし、2つの博物館の間に昼食も考えて浅草を入れた。学割入場を考えて、学生証を持参するように指示して9時に出発。

立博は930開館なので不忍池から上野公園を散策・説明しながら進む。大仏の顔のところでは、他の大部分が溶かされてアメリカとの戦争で弾丸になったことを言わざるを得ない。一応最後にSorry for all that.と言うと笑顔が広がる。

小雨だったが、人数が多いので石段のところで写真を撮り、桜並木を進む。今回は前もってFacebookなどで今度来る顔ぶれの写真を見ておいたので、ほとんどの顔を認識できた。まず隣を行くHoward(27)に名指しで呼びかけるとビックリ。するとMikeAlexandra(29)を指して誰か分かるかというので、答えると彼女は日系の血が混じっていて千葉に親戚がいるという。という具合で次々に進み皆の表情が和らぐ。9時半少し前に国立博に着き、少し時間を利用して、例によって私のiPhonehot spotにして学生が各自のスマホでメイルやFacebookのチェックをする。

法隆寺宝物館は臨時休館。博物館入口で全体の配置と雨傘の処理、ロッカーの使い方などを説明して、彼らの好みで自由観覧にする。1時間半後の11時に正面玄関で集合することにして解散。彼らは姉妹都市の群馬県・桐生ですでに水墨画の実習をしてきていたので、その関係の展示作品も見るように言っておく。昨年は演劇関係の学生だったせいか、かなり時間を持て余していた感じだったが、今年は皆熱心に丁寧に見て、写真も盛んに撮っている。学生によって絵画、写真、彫刻、製陶、デザインなどと更に専攻が分かれるが、結構人気なのが、最初にある縄文土器。Mike, Robert(42), Charles(19), Anisha(19), Karen(30)などはなかなか離れようとはせず、3000年も前にこんな複雑なデザインが...と感嘆。15年前に加わった平成館の土器展示場にも集まった。京都では「お茶」や「着物」の体験もあったようで、茶器や着物にも関心が深い。11時少し前に正面玄関で待っていると、やがてMikeRobertとともに数人が現れる。少し時間があるので、東洋館のエジプト・ミイラを見てみないかと言うと興味を示すので連れ出す。みな今回のグループは好奇心旺盛。

浅草へ向かうために国立博を出る。科学博物館横で中には「月の石」があることを話題にするとCharlesが「父は個人的に月の石を持っている」という。皆が驚くと、そちらの方面の研究者は特権があるのだとか...。一方学生の中では最年長のKarenは写真専攻で「日本のマンホールのフタのデザインがいろいろ違うのに興味を持ち、ずっと撮り歩いてきた」という。西洋美術館の一般開放されている前庭に入ってロダンの彫刻を見る。芸術関係の学生なので、皆、興味津々。地獄門の前で記念撮影。

浅草では雨はほとんど上がっているが、日曜日でひどい混雑。雷門前で一応解散して、それぞれが食事を済ませて1時間後に本殿前に集まることにする。昨年は食物アレルギーの学生が多く皆で食べる場所に苦労したことを思い出す。今年はMikeの考えで、アレルギーのことは無視。「それぞれ大学生なのだから、自己責任で行動する」という方針だと言う。自分の体は自分が分かっているので、食べるものも自分で選ばせる。電車の切符もまとめて面倒をみることはせず、乗るたびに各自が自販機でそれぞれ買う。というわけで、解散後、浅草ではたまたま一緒に歩いていたMike, Robert, Howardと私の4人だけで食事をすることになった。Mikeはラーメン、2人はカレーライスが良いと言うので、両方に妥協してもらって「釜う」のウドン屋に入り、Mikeと私には天ぷらウドン、2人にはカレーウドンを注文。2人はカレー好きで、残ったカレースープも飲み干す。しかしMikeはやはりラーメンの方が良かったようで、RobertI've got my druthers (=preference) for ramen.と言う。このdruthers という語が分からず聞くと、アメリカ人しか分からない語で、would ratherを短縮したアメリカ造語だという。彼ら同志の対話ではときどき変な語が飛び出す。店から出て20m位進んだとき後ろから店員が追いかけてきて、Mikeのボールペンを届けてくれる。「これはアメリカでは絶対に起らないことだ」と言うMike2人も同意。「日本人にとって外国人はいつもお客様なんだよ」と私の弁解。

ひどい雑踏にも拘らず本堂前に1時間後には全員がきちんと集まる。ただ、Errnesto(23)は食べられなかったようで、両国へ行く電車の中で、どこかで手に入れてきた紙包みのホットドッグに食いついていた。

江戸博でも、昨年は入った途端に多くの学生がすぐに出てどこかへ行ってしまい一応の集まる時間も強制ではなかったこともあって、ほとんど現れず、2度と会わなかった学生が多かったが、今年はMike90分後の3時に再びここに集まって私にお別れをすると皆に宣告して解散。私のために学生をここに留めるのも少し気が引けたが、学生は最後まで留まって見入っていた。私はもっぱらMikeの説明役で同行したが、彼も何度も来ているのに再度熱心に興味を持って見学。雑談と共に参勤交代、江戸将軍の推移、木造文化を確認した。特にMikeの奥さんも芸術家で版画を教える教授でもあるというので、浮世絵の制作過程の実物展示に興味を示した。たまたま特別展「徳川将軍の書画」の最終日で、意外に多い各将軍の作品に驚く。側室40人を抱え、55人の子供を作った家斉に触れると、「よくこんな細か
い絵を描く暇があったな」と驚嘆。さらに明治や戦中戦後の展示ではたまたま一緒に居た
Alexandraが、日系人らしく、戦時中の紙張りしたガラス戸を見て、「これは千葉の叔母が見せてくれた写真と同じ」と興味深そう。Mikeも東京大空襲で1日で10万人が殺されたことを知っていて、「アメリカがこんなことをして申し訳ない」と言う。私としては「Mikeのせいではないし、実際終戦時に我々が感じたのはアメリカに対する憎しみより、戦争からの解放感だったよ」と言うしかかなった。

知らぬ間に集合時間10分前。Mikeや周りにいた学生たちと3階の集合場所へ降りる。皆時間通りに全員集合している。そこで年長のKarenが代表して私にお礼とおみやげを。私もまた2020にお会いしましょうと言って別れた。昨年と違い随分丁寧で礼儀正しい。専攻の違いもあったかもしれないが、指導者の違いが大きいように思った。

このMikeは昨年来日後、オーストラリアの大学に3ヶ月派遣され、そこで彫像した作品をオーストラリアのイタリア大使館が買って、現在大使館に設置されているという。今年もこれからフルブライト資金で選ばれてスウェーデンの大学で1年間過ごすことが予定されていて、家族ぐるみで出かけるので、来年は彼は来日できないだろうとのことだ。

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