アメリカは五大湖近くのIndiana州Syracuseからの2夫婦をガイドした。Mark(58)はもう32年も経験のある整形外科医で、ヒザの人工関節置換手術の第1人者。今回日本に招かれて多くの医師を相手に札幌、大阪で講演、11月には中国でも講演を要請されている。夫人のSusan(57)との間に2人の息子がいる。Jeff(54)はMarkの手術に必要な人工膝関節や人工股関節などを設計・製造するグローバル企業のBiomet Orthopedicsという会社と提携して、その製品を医師や病院に販売する会社(Biomet-hibbard)の経営者。2人は仕事だけでなく私生活でも長年の友で、よく一緒に家族旅行などもする。今回は1週間の日本への出張で、この東京での1日だけが唯一の休暇。Jeffの奥さんJuria(48)はブラジル出身で1才のとき両親とアメリカへ来て帰化、テニスのうまい息子が自慢。 少し早めに到着したので、浜離宮やお台場を見下ろしながら、汐留のConrad Hotelの28階のロビーで待つ。 iPhoneにWe will be down shortlyとSMSが入り、やがて4人が時間通りに降りてくる。今朝4時起きで大阪から新幹線で上京、8時半に東京駅へ着き、タクシーにConradと言ったら通じなかったが、Conlardのように言ったら何とか通じたと言う。 一応Itineraryは前もって提案してあったが、とにかくお台場に行き、船に乗りたいというので、ユリカモメの汐留駅へ。しかし台場方面行のユリカモメは満員なので、新橋へ戻りUターンすることにして逆方向に乗り、新橋で先頭の座席を占領する。動き出すと景観を楽しむ。途中スコットランドから来たと言う男性も加わって日本の旅行談義。 お台場海浜公園で下車し、海岸を歩く。「なぜ誰も泳いでいないの?」と聞く。きれいに見えても汚染がかなりひどいので遊泳禁止と答えるが、腑に落ちない様子。お台場埠頭で宇宙船のようなヒミコの乗船券を買う。12:20発だから今から80分だけ観光出来る。快晴でそよ風が快い。「自由の女神」で記念撮影して、AquaCityのネコカフェへ。売っているネコのケースに貼られた40万円の札を見て、「ここのネコ全部の値段?」と聞く。分割払いのプランまであるのにあきれる。「犬」支持派の人たちのために隣の犬カフェ(?)にも。上の階ではSurf-Innという店にひっかかり息子たちへのお土産Tシャツを物色。気が付くと船の時間まであと50分。そこでガンダム像を抜けてHistory Garageへ。何しろMarkはクラシック・カー蒐集が趣味。古い車が並ぶ中を進みながら、「これは俺持ってる」とか「この車の1964年タイプは私のところにある」などと言う。彼の家には13台もクラシック・カーがあるそうで、どっちが博物館だか分からないような話。ミシガン湖には大型のプレジャー・ボートも係留・所有しているとかで、乗り物の趣味も相当なもの。女性軍が行きたがったラスベガスまがいの「ヴィーナス・フォート」へも寄り、噴水前で写真を撮り、あわてて「青海駅」へ。急いでユリカモメに乗り、「お台場」へ戻って船着き場へ更に急ぐ。10分前だがすでにヒミコが待機している。丁度昼時でもありお客もまばらで、他に外人グループが2つ位同行するだけ。「銀河鉄道999」か何かの擬音と叫び声がスピーカーから響き渡ると出航。彼らも宇宙船のようだねとご機嫌。アメリカ人らしく途中で買ったポテトチップスや落花生を頬張る。普通の船より、目線が低く、水面に近いせいか水面の様子が刺激的に目に飛び込む。枝分かれする運河も広がるように見える。「日本のヴェニス?」と聞く。「東京のハドソン河だよ」と答える。国技館が見えてくる。「何故力士は太っている?」とJulia。「でも太ったアメリカ人ならそのまま力士になれそう」と言いながら、自分でもポテトチップスをつまむ。浅草近くフィリップ・スタークのpooオブジェ(?)も最後に間近に迫ってくる。 ランチには天ぷらが良いというので雷門近くの「尾張屋」へ。ソバ天を取るが汁に浸って柔らかくなった天ぷらは嫌だというので、天ぷらだけお皿で別に出してもらう。お酒も熱燗と冷酒を試す。お箸はOKだが、ソバを扱うのは慣れていなくて時間がかかる。料理は暑いのが常識の彼らには隣で冷たいソバを冷たい汁でアッと言う間に食べてしまう日本人を見て不思議そう。 仲見世ではJuriaが子供への土産にドラゴンが大胆に舞っている絵の箸を買う。宗教にこだわりがあるようで、本殿には入りたがらないし、おみくじも興味がない。12世紀に義朝が浅草寺を訪ねたという記念の六角地蔵灯篭付近で記念撮影。更に六区先の狭い路地をさまよって、銀座線の駅へ。 今になって築地へ行きたいと言い出す。ほとんど閉店しているとは思ったが、場外市場はまだやっているかなと思って一応行くことにする。車中で隣のJeffからいろいろな質問。戦時中の経験を聞かれ、覚えていることを話す。一方「なぜ日本人は人にあんなに親切なのか?」と言う。そこで偏見と断って披露。ちょっとしたことで首をはねられ、命が軽んじられた封建時代に、庶民が生き延びる知恵として未知の相手に用心して、丁寧に対応した習慣が日本人のDNAに残っているのではないか。などとやっていたら、乗り換え駅の銀座を乗りこして気が付くと新橋。でもあとで「電車の中で聞いたことは忘れないよ」とJeffに言われ、戸惑う。 期待した場外市場もほとんど閉店の中を場内市場へ。ここも多くは閉店だが、匂いは残り、切り落とされた大きな魚の頭が転がり、イケスには変わった魚も見え、早朝の喧騒を想像力を使って楽しむ。一応早朝のセリの場所にも案内。「明日は早起きして来る」とJeff。 4時半も回ったので、そこから徒歩10分くらいのConradホテルへ戻る。28階ロビー奥の喫茶コーナーで少し休憩談笑しないかと誘われる。聞くとMarkが住むIndiana州の地域は、人工関節技術のメッカで、今では人工関節には、「チタン合金」を核にして、衝撃、摩擦に強く、耐久性もある「超高分子量ポリエチレン」(Ultra High Molecular Weight Polyethylene)を使うそうだ。しかも彼が関わるBiomet社では関節の全部を人工関節に置換するのではなく、かなり重症でも一部だけを置き換えることを推奨し、成功しているという。殊に女性は体の組成から言っても、子供を作るのにカルシウムを取られることもあり、関節のトラブルが多いとも言う。しかしさすがにこの4人は今日1日歩き回ったくらいではビクともしなかった。
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インドはデリーの南西200kmにあるJaipurに住むSonu(42)とIndu(40)の夫婦。2人とも同じ病院の医師でSonuは眼科医、Induは眼科だけでなく耳鼻科方面も詳しい。二人とも親が医師の家に生まれ、Sonuはその地方では最大の眼科病院、Anand Hospital & Eye Centreを設立し、その経営者でもある。また彼はレーザー光で近視を治すレーシック(Lasik)と呼ばれる治療法ですでに3万人もの患者の視力を回復させた実績を持ち、今回も今有楽町の国際フォーラムで行われている「世界眼科学会」(World Ophthalmology Congress)で4/5にレーシックについて講演をするために来日した。 前日の晩に電話で確認した8:30にホテルの小さなロビーで待つが、姿がない。部屋に電話すると眠たそうな声。睡眠中だったようだ。用意ができたら降りてくるように言って待つ。40分も待ったころ、お土産をもってSonuが申し訳なさそうに現れ、「医者として時間を守らなければならないのに恥ずかしい」と言う。私を脇にある食堂に連れて行き、妻が支度中なので、何か食べてもう少し待っててくれないかと言う。朝食は済ませて来たので、ジュースやお茶を飲みながら更に20分待ってやっと2人がそろう。でも外は雨で、1日中続くとの予報。 あとで聞くと、毎日の厳しい仕事と時差ボケで疲労がたまっていたようだ。自宅と病院がすぐ近くということもあり、朝8時には仕事を始めて、夜11時まで診療と手術などが続く。しかも土日も仕事で休日が全くない。病院には医師18人をかかえ、60人もの職員もいて、診療や手術以外に、病院の経営や医師研修で教えることも彼の仕事で、その上この講演の準備もあって、この旅行でその疲れが一度に出た感じだと言う。 とりあえず、雨の中を東御苑に向かう。たまたま銀座を歩いていて思い出したので、レーシックで集団感染を起こして騒がれた「銀座眼科」の1件で日本人の中にはレーシックに偏見のある人がいることを話す。驚いた様子で、自分のところでは3万件もやったが、完全に管理していて1度もないし、レーシックは全く安全だと自信満々。 皇居は明日からの乾通りの一般開放の準備で坂下門は混雑。その脇から、東御苑入口の大手門へ。この時期はサクラで雨でも行列が出来るほどの入場者のためか、白い札は省略。竹林ではインドの方がもっと太い孟宗竹があるという。傘がいらないほどの小雨になったので、日本庭園で写真を撮る。葉が元気よく出ているショウブ園を見て「これはチューリップか?」と聞く。ゆっくりしか歩かないInduの様子を気にしながら、汐見坂をあがり、本丸跡へ。ソメイヨシノよりピンクの桜の方がお気に入りで、SonuはサクラとInduの写真に夢中。北桔梗門から竹橋へ出て、今度は明治神宮前駅へ。地下鉄から出るとき、間違えて神宮前交差点に出たので、そのまま南側の口から竹下通りに。途中、傘をさしながら東郷神社の桜を見て、100円ショップダイソーに入る。ここで大変なおみやげ探しが始まる。何しろ全部で80人近い病院関係の医師たちや職員の1人1人に買うだけでなく、兄弟姉妹とその連れ合い、それぞれの両親、子供たち、伯父叔母、甥や姪までみながおみやげを待っているとのことで、おみやげリストまで出来ていて、それぞれの人の好みを思い、要求に答える大変な仕事だ。アクセサリー、小物類、人形、鯉のぼり、ハッピなどからはじまり、自分で使うというLEDライト、電池、温度湿度計、口紅まで詰め込んでも1つのカゴでは収まらない。それでも中国製はイヤだと言って、レジで全部チェック。総額8,400円くらいの買い物。地下から地上3階までくまなく見て回り、1時間半以上かかってしまった。 明治神宮へ。神道と仏教の話はやはり聞かれる。歩きながら日本の士農工商とインドのカースト制度を話題にしてみる。インドでは農夫は商人より下位に来るのに、日本では逆。日本では米が大切にされ、何もproduceしない商人は低い位置になったと言っても世界は違う。Induによると「違うカースト間の結婚はダメというのはやはり守られているし、だから我々も医師同志の結婚になった」そうで、「日本は金持ちでないとなかなか医者にはなれない」というと、「インドでは我々のような貧乏人が医者になる」と笑う。 2時を回ったので昼食に...ということになるが、彼らはインド人の中でも完全な菜食主義者で、明治神宮文化館の軽食コーナーで探すが難しい。山菜ソバやワカメウドンなども動物性のダシなのでダメだという。チーズも殺した動物の脂肪を含むからダメだが、アイスクリームは牛乳と乳脂肪なのでOKだという。そこでコーヒーとアイスクリーム、それに彼らが持ち歩くビスケットやBhujiaと呼ばれるスパイスの効いたカリカリの粒状菓子を開く。私は牛丼を取ってもらい、彼らの「お菓子」をつまみ食い。 腹ごしらえをしたので、スカイツリーへ。実はメイル交換中にSonuがスカイツリーの希望を言って来たので、都庁展望台を薦めたのだが、「これは私の夢なので、是非実現してほしい」と強く言われて、5時に予約も取っていたので、雨でも行かないわけにはいかなかった。でも浅草から東武電車が隅田川の上を通りかかると、下の隅田公園の桜が一面のピンクの雲のようで皆が歓声を上げる。予約だし、待ち時間はゼロ。雨の中でも不思議にエレベーターは満員。案の定350mの展望台は雲にスッポリ包まれて何も見えない。代わりに大きな壁に写しだされる晴れた時の富士を望む景色や塔の建築経過のビデオが巨大なスクリーンに展開するのを見る。やがて日没の時刻になり、雲の隙間から下界の照明が微かに見えてくる。ときどき雲が切れると浅草のビル街や通りに沿った電飾も見える。隅田川の向こうに見える橋を指してInduが「レインボーブリッジか?」と的外れな質問。やっと少し見ることが出来て、「神は我々を見捨てなかった!」とSonu。外の夜景を背景にやっと写真を撮れる。「どうしてスカイツリーにこだわるのか?」と聞くと、「塔としては世界一の高さだし、ビルを入れてもドバイの高層ビルに次ぐ2番目だから...」という答えが返ってくる。だから雨でも上にあがることに満足して、景色に関係なく「世界一を経験する」ために2,060円払う...という動機のようだ。 是非一緒に夕食をというので、京橋のホテルの近くのインド料理「カイバル(Khyber)」へ誘われる。インド人のシェフが腕を振るう本場のインド料理。彼らは菜食主義者用のカレーを注文、私はチキンカレーをナン(naan)に付けて食べる。彼らはロティ(roti)というナンに似た平らなパンを取る。ナンはイースト菌で発酵させるパンだが、ロティは菌を入れずに練ってバターで焼いただけとのこと。ここでも彼らはカリカリお菓子のBhujiaを弁当箱から取り出し、全員の皿に加える。食事しながら、医者として聞くのだがと言われて、「魚を生で毎日のように食べて本当に健康を害することはないか?」と真剣に聞く。「魚は生が一番美味いし、実際日本は長寿国のようだ」と言うと不思議そうな顔をする。 気が付くと10時を回っていたので、ホテルまで送って別れを告げた。
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