10/3(金) 10/4(土) 週末なので、ホテルもかなり人が入っている。朝食のテーブルもほぼ満杯。トーストも自分でトースターに入れて自分の好みの焼き方にするのはいいとして、ゆで卵まで自分で湯の中に卵を入れて個々にタイマーをセットして待つ。これも個人の好みを大切にするということか。リンゴも丸のままあるので、自分で皮をむくが、彼らは皮ごとかじる。食堂の壁にも室内なのに植物を這わせたり、ピンクの染色布をかけておもしろい模様にしてある。ゆったりした朝食だ。ついでながら、リンゴは果樹というより庭木といった感じで、多くの家庭の庭に植わって無数の実をつけてはいるが、半分腐っても、鳥がつついても無関心。取って食べるでもなく、実が腐って落ちていくまま放置されていることが多い。 霧雨模様だが、近くのエーレンベルク城跡に出かけてみる。宿の人に道筋を教わる。約40分くらいの道のりだろうという。傘はほとんどいらないくらい。付近のチロル地方独特のスキー用民宿をスチル写真で撮りながら、ゆっくり進む。どのロッジも4階建てくらいのコンクリート造りだが、どういうわけか、全体に大きな切妻型の屋根がついている。直方体や立方体だけの建物は全く見当たらない。どんなに大きくても、鉄筋コンクリート作りでも、この辺りでは、切妻の屋根が覆ってなければ、建築許可も下りないのかもしれない。実際、大きな屋根の下の窓には必ず赤い花が咲き乱れているプランターが並べてあるし、壁も白い肌の中に木材で模様を入れたりして、デザインにも凝っている。しかし不思議にそれらの家は周りの緑や、背後の雪山にマッチして、見る人にホッとした気持ちを与える。
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歩き始めて1時間もたったかなと思われるころ、やっとエーレンベルク城跡入り口の博物館前に到着。そこからさらに30分くらい坂道を登ったところに城址はあった。傾斜はきついが高尾山の登山道くらいの巾の山道を進む。また空は曇り、みぞれが降り始める。少し風も出てきて、ヤッケで「完全武装」のわが身にも、寒さがしみ込んでくる。ときどき山道ですれ違う人たちは「モルゲン(Guten Morgen!)」と挨拶を交わす。皆元気に足早に登っていく。しかし大抵の人は登山口まで車で乗り付けて、そこから30分歩くだけ、それ以前にふもとから1時間も山道を登ってきた我々とは違う。しかも帰りも同じだけの道のりをもう1度繰り返すことになるから体力を蓄えておこうと1軒だけあるレストランで暖かいスープを飲む。寒さや雨などにも邪魔をされて、宿に着いたらかなりくたびれていた。ここはドイツのノイシュバンシュタイン城から20キロくらいしか離れていない。しかしこの辺りにはローマ時代からお城はいくつも建てられていて、この地方は岩塩のために当時から有名で、塩をローマへ供給する基地でもあり、その資産を握り、管理する人間がこの城に陣取っていたらしい。ザルツブルグやザルツカンマグートなどドイツ語で「塩」を現す「ザルツ」という語がつく場所が多いのも、ここで岩塩から塩を取り出した証拠だろう。そして当時塩は、食べ物を腐らせない唯一の高価な保存料、「白い金」だったのだ。 途中道が分からなくなった。牧草地の向こうに一軒の民家が見えた。庭に若夫婦がいる。その人に聞いてみる。大きな洋犬が親しみをこめて飛びついてくる。2人は出てきて、犬を制し、きれいな英語で道順を説明していたが、奥さんがちょうど犬の散歩に出かけるというので途中まで案内してあげようと言う。見るとマウンテンバイクを用意していて、山のほうへ案内し始めた。狭い山道がやや平坦になって、道が分かりやすくなったところで、道順を再度確認して別れる。木々の葉は黄色や茶色、赤色にも変化していて、日本の晩秋を思わせるが、まだ10月になったばかりだ。途中山の中に、十字架に若者の写真を貼り付けたお墓が目に付く。山好きの人が生前希望していたのを遺族が実現させたのか。落ち葉に埋まった小さな墓標は、こんなに単純で純粋な埋葬の仕方もあることを教えてくれる。山道の道端にも石板にキリスト像が付けられた「地蔵」があったりするのも面白い。山道を抜けて、牧場の脇のなだらかな道を上がる。先ほどまで曇っていた空から、急に明るい日差しが差し込む。見ると脇のなだらかな坂になった牧草地に小さな丸太小屋が見える。好奇心から上って近づいてみるが、窓もなく、中に何があるか分からない。しかし下の牧草の中には赤や黄色の小さな野草の花がところどころに顔を出している。一方、上を見ると今まで脇の林の陰で見えなかったなだらかな広い牧草地全体が現れる。一瞬、「サウンド・オブ・ミュージック」の最後の場面、トラップ一家がナチの迫害を逃れて、スイスの山に逃げ着く場面が思い出される。あの場面はこのあたりで撮影されたのでは…と思わず考えてしまう。でもこれは、このチロル地方の普通の景色のようだ。 10/5(日) また途中、ドイツ領内のガーミッシュ(Garmisch)で乗り換えて、インスブルック(Innsbruck)に着いたのは2時間20分後。汽車のドアは手動でハンドルを90度くらい強く回転させないと開かない。ホームから見える周りの雪山も、赤い機関車と対照的で、眼が覚めるようだ。とりあえず、予約しておいた旧市街のホテルへ。まだ昼前なので、荷物だけ預けて外に出る。さすがに冬のオリンピックが開かれた場所だけに、周りに聳え立つ高い岩山の中腹にまで山小屋が雪の中に張り付いているのが遠くから確認できる。そこまでは長いロープウェイかリフト。
15世紀、マクシミリアン1世がハプスブルグ帝国の中心をここに移してから、一時ヨーロッパの文化や政治の中心地だっただけに、古い建造物も多い。今日の宿、Weisses Kreuz(=White Cross)は1465年に建てられ、1769年にはイタリアへ向かう13才のモーツアルトが父と宿泊したホテルだそうだ。その後ナポレオンやナチへの抵抗勢力の拠点となり、第2次大戦ではイタリアから攻め込んだアメリカ軍がこのホテルを司令部に使ったという。今日はちょっと奮発して雪山を望むベランダつきのスイート・ルーム(朝食付き2人で€110)。天井の高い5階の屋根裏部屋だが応接セットのついた広い部屋で、バスタブもある。インターネットもホテルの有線LANを使えば1時間5ユーロだが、タダの無線LANがどこからか出ていることがわかり、早速タダのスカイプ電話をかけてみた。ひょっとしたらこの部屋でモーツアルトが曲想を練ったかもしれないし、この同じ古いベッドで寝たのかもしれないと想像すると、モーツアルトが身近な存在になり、その音楽に一層親しみがわいてくる。 |