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10/3(金)
 今日も小雨。鉄道でオーストリア西部のチロル地方に向かう。中央駅(Hauptbahnhof)へ送ってくれる女性ドタクシーライバーも「秋晴れが続く季節なのに」と申し訳なさそう。どうも心がけが良くない我々の旅行が影響しているようだ。それでも駅に着いて1分も待たずにインスブルック(Innsbruck)行きの列車に乗り込む。車窓からの景色は雨にぬれて光る牧場が美しい。広い牧場の後ろにゴツゴツと突き出ているアルプスはすでに雪をかぶって巨大な水晶の塊のようだ。しかし下のほうのなだらかな山の斜面は緑のじゅうたんを敷き詰めたようで、その中で馬や牛が放牧されている様子は、気持ちの和む風景だ。緑の中には大きな切妻の屋根を付けた3階か4階建のロッジ風の小屋が点在する。広い白壁には縦横に小さな窓がいくつも切り込まれている。山の上の方はあちこちで薄い雲か霧のベールをかぶっていて、列車の窓にも小さな水滴が這うように落下していく。見とれているうちに2時間が経っていて、いつの間にか列車はインスブルックへ到着した。
 小雨はまだやまない。乗り継ぎの列車まで2時間近くあるので、町を歩いてみることにする。駅のロッカーに大きな荷物を預けておこう。さすがにスキーのメッカだけあって、スキー用の長いロッカーまで完備してある。しかしロッカー自身には手動の鍵もなく、離れたところにあるコンピュータ画面で操作して、金銭を入れて、プラスティックのチップを取り出す仕組み。全てドイツ語だけのパネル。英語の出来る女性がやってきたので、尋ねてみるがダメ。でもしばらく試行錯誤の後、うまくいった。逆に先ほどの女性に教える。英語は上手だがウクライナの人だった。
 インスブルックからミュンヘンへ向かう各駅停車に乗る。車内はスチーム暖房が入っている。例によって時間になると黙ってスッと動き出す。両側にアルプスの険しい山々が連なる間の広い谷間を列車はゆっくりと進む。すいているので、向かい合った4人がけの席をそれぞれ1人占めして座る。大きな荷物や手荷物のスペースも確保できる。しかし、やがて混んできて、向かい合った前の座席にも若い男性が座った。でも英語はダメのようなので、挨拶だけ。そのうち彼はロッジの並んだ小さな駅で降りていく。しばらくすると今度は若い夫婦が座る。こんどは英語が通じそうだ。たまたま列車はオーストリアからドイツ領に入っていた。国境を越えても旅券チェックに来ない。「国境を越えたのにチェックに来ませんね」と言ってみたら、「役人も面倒なんだね」と会話が始まる。どうも英語がうまいと思ったらイギリス人夫婦だ。やはり旅行好きの夫婦のようで、旅行の話に花が咲く。以前クリスマス休暇に訪れたこのチロル地方のガーミッシュ(Garmisch)というところが気に入って何度も来るようになったらしい。その駅は我々の乗り換え駅でもあった。5分の乗り換え時間しかないことは分かっていたが、すでに今の列車は10分程予定より遅れている。Garmischに着く。別れの挨拶もそこそこに、大きな荷物を持って、階段を走り回って待っていた列車に飛び乗る。いい運動(?) 再びローカル線。だがここはドイツ領のせいか、車両はとてもモダンなデザインであか抜けしている。窓も上にある荷物用ラックの更に上まで広く取ってあって、周りの雪をかぶったアルプスの岩肌が怖いように迫ってくる。金曜日はドイツ人の休日でもあるらしく、ドイツ人に人気があるというこのチロル地方を通る列車は賑わう。でも日本人は我々だけ。
 まもなく我々の目的地ロイテ(Reutte)に到着。中年の男性が話しかけてきた。“Mr. Aizawa?” メイルで打ち合わせておいたように、今夜泊まる予定のHotel Beckの主人が車で迎えに来てくれていた。アルプスに囲まれた小さな保養地。「もうスキーできるの?」「11月になればね」。広々とした部屋にシャワーとトイレ、朝食が付いて2人で170ユーロ。家族経営の小さなホテルだが、食堂やバーも経営している。インターネットも高速の50MHzの無線LANを入れていて、30分だけは無料。UserNamePasswordをもらってつなぐ。近くのうまいレストランを紹介してもらって、行ってみる。Golden Roseと英語の名前がついていたので、英語も通じるだろうと思ったら、やはりそうだった。スープにパンプキンとオニオンをとる。実にうまい。丁寧に作ってある。 “Excellent!”と言ったら、メイドがうれしそうに笑った。パンプキンもかぼちゃの味をクリームや出汁で独特の風味に仕立ててある。鹿の背肉のローストも店の名物だそうで、試してみる。マッシュルームの味のソースがかかった実に柔らかい黒い分厚い肉。地酒のワインと口の中で合わせて味わう。窓越しにアルプスの山々が薄れていく中で、ロウソクの灯だけのテーブルで、丁寧に仕上げられた味を楽しませてもらうのは至福の時間だ。いい気持ちになって満ち足りてホテルへ戻る。



10/4()
 週末なので、ホテルもかなり人が入っている。朝食のテーブルもほぼ満杯。トーストも自分でトースターに入れて自分の好みの焼き方にするのはいいとして、ゆで卵まで自分で湯の中に卵を入れて個々にタイマーをセットして待つ。これも個人の好みを大切にするということか。リンゴも丸のままあるので、自分で皮をむくが、彼らは皮ごとかじる。食堂の壁にも室内なのに植物を這わせたり、ピンクの染色布をかけておもしろい模様にしてある。ゆったりした朝食だ。ついでながら、リンゴは果樹というより庭木といった感じで、多くの家庭の庭に植わって無数の実をつけてはいるが、半分腐っても、鳥がつついても無関心。取って食べるでもなく、実が腐って落ちていくまま放置されていることが多い。
 霧雨模様だが、近くのエーレンベルク城跡に出かけてみる。宿の人に道筋を教わる。約40分くらいの道のりだろうという。傘はほとんどいらないくらい。付近のチロル地方独特のスキー用民宿をスチル写真で撮りながら、ゆっくり進む。どのロッジも4階建てくらいのコンクリート造りだが、どういうわけか、全体に大きな切妻型の屋根がついている。直方体や立方体だけの建物は全く見当たらない。どんなに大きくても、鉄筋コンクリート作りでも、この辺りでは、切妻の屋根が覆ってなければ、建築許可も下りないのかもしれない。実際、大きな屋根の下の窓には必ず赤い花が咲き乱れているプランターが並べてあるし、壁も白い肌の中に木材で模様を入れたりして、デザインにも凝っている。しかし不思議にそれらの家は周りの緑や、背後の雪山にマッチして、見る人にホッとした気持ちを与える。

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歩き始めて1時間もたったかなと思われるころ、やっとエーレンベルク城跡入り口の博物館前に到着。そこからさらに30分くらい坂道を登ったところに城址はあった。傾斜はきついが高尾山の登山道くらいの巾の山道を進む。また空は曇り、みぞれが降り始める。少し風も出てきて、ヤッケで「完全武装」のわが身にも、寒さがしみ込んでくる。ときどき山道ですれ違う人たちは「モルゲン(Guten Morgen!)」と挨拶を交わす。皆元気に足早に登っていく。しかし大抵の人は登山口まで車で乗り付けて、そこから30分歩くだけ、それ以前にふもとから1時間も山道を登ってきた我々とは違う。しかも帰りも同じだけの道のりをもう1度繰り返すことになるから体力を蓄えておこうと1軒だけあるレストランで暖かいスープを飲む。寒さや雨などにも邪魔をされて、宿に着いたらかなりくたびれていた。ここはドイツのノイシュバンシュタイン城か20キロくらいしか離れていない。しかしこの辺りにはローマ時代からお城はいくつも建てられていて、この地方は岩塩のために当時から有名で、塩をローマへ供給する基地でもあり、その資産を握り、管理する人間がこの城に陣取っていたらしい。ザルツブルグやザルツカンマグートなどドイツ語で「塩」を現す「ザルツ」という語がつく場所が多いのも、ここで岩塩から塩を取り出した証拠だろう。そして当時塩は、食べ物を腐らせない唯一の高価な保存料、「白い金」だったのだ。

途中道が分からなくなった。牧草地の向こうに一軒の民家が見えた。庭に若夫婦がいる。その人に聞いてみる。大きな洋犬が親しみをこめて飛びついてくる。2人は出てきて、犬を制し、きれいな英語で道順を説明していたが、奥さんがちょうど犬の散歩に出かけるというので途中まで案内してあげようと言う。見るとマウンテンバイクを用意していて、山のほうへ案内し始めた。狭い山道がやや平坦になって、道が分かりやすくなったところで、道順を再度確認して別れる。木々の葉は黄色や茶色、赤色にも変化していて、日本の晩秋を思わせるが、まだ10月になったばかりだ。途中山の中に、十字架に若者の写真を貼り付けたお墓が目に付く。山好きの人が生前希望していたのを遺族が実現させたのか。落ち葉に埋まった小さな墓標は、こんなに単純で純粋な埋葬の仕方もあることを教えてくれる。山道の道端にも石板にキリスト像が付けられた「地蔵」があったりするのも面白い。山道を抜けて、牧場の脇のなだらかな道を上がる。先ほどまで曇っていた空から、急に明るい日差しが差し込む。見ると脇のなだらかな坂になった牧草地に小さな丸太小屋が見える。好奇心から上って近づいてみるが、窓もなく、中に何があるか分からない。しかし下の牧草の中には赤や黄色の小さな野草の花がところどころに顔を出している。一方、上を見ると今まで脇の林の陰で見えなかったなだらかな広い牧草地全体が現れる。一瞬、「サウンド・オブ・ミュージック」の最後の場面、トラップ一家がナチの迫害を逃れて、スイスの山に逃げ着く場面が思い出される。あの場面はこのあたりで撮影されたのではと思わず考えてしまう。でもこれは、このチロル地方の普通の景色のようだ。

10/5()
 今日は一転して快晴。青空の中に雪をかぶったアルプスの岩山がくっきりと浮き出し、まわり中から迫ってくるようだ。その下にはチロル独特の角度の付いた屋根が、赤い花で飾られたベランダとともに輝く。思わずカメラを取り出して、シャッターを切る。近くの大きな樹木は黄色や茶色の葉を蓄えて、対照的な前景を作ってくれる。まだ人通りの少ない朝の道を近くのロイテ駅へ向かう。荷物の下についたキャスターが下の歩道のタイルの継ぎ目に当たってゴトゴトと単調な音をたてるのが、折角の平和な雰囲気を壊すのだが、いたし方ない。ロイトの駅にはすでに数人の乗客らしい人が、ホームに集まっている。改札もないし、拡声器のおせっかいな説明もないので、何となくホームで待つしかない。地元の老人と思われる人が英語で話しかけてきた。行く先を確かめて親切にアドバイスをしてくれる。車内の写真を撮ろうと、反対のホームに停車していた客車のボタンを押して入り込む。その老人は、私が間違えた列車に乗ったと勘違いして、すっ飛んできた。
 赤いディーゼル機関車に引っ張られた列車が定刻どおりに入ってくる。一等車一両に2等車が3両程度ついているだけの編成。でも4人がけの向き合った座席に1人も座っていないところも多い。やがて、列車は黙ったままスーッと動き出す。こんなに牧歌的で平和なチロルの美しい風景の中を、あまり乗客の乗っていない列車が走っていくのは、もったいない感じさえする。スイスなどの観光化した電車と違って、自然の生活の中に溶け込んでいる美しさは純粋に感動的だ。ここに生活している人は、別に何とも思っていないように、自分自身の用事や仕事のために、2つ3つ先の駅で降りて消えていく。でも外から来ると、こんな天国のようなところに住んでいる人もいるのかと思う。

 また途中、ドイツ領内のガーミッシュ(Garmisch)で乗り換えて、インスブルック(Innsbruck)に着いたのは2時間20分後。汽車のドアは手動でハンドルを90度くらい強く回転させないと開かない。ホームから見える周りの雪山も、赤い機関車と対照的で、眼が覚めるようだ。とりあえず、予約しておいた旧市街のホテルへ。まだ昼前なので、荷物だけ預けて外に出る。さすがに冬のオリンピックが開かれた場所だけに、周りに聳え立つ高い岩山の中腹にまで山小屋が雪の中に張り付いているのが遠くから確認できる。そこまでは長いロープウェイかリフト。

 15世紀、マクシミリアン1世がハプスブルグ帝国の中心をここに移してから、一時ヨーロッパの文化や政治の中心地だっただけに、古い建造物も多い。今日の宿、Weisses Kreuz=White Cross)は1465年に建てられ、1769年にはイタリアへ向かう13才のモーツアルトが父と宿泊したホテルだそうだ。その後ナポレオンやナチへの抵抗勢力の拠点となり、第2次大戦ではイタリアから攻め込んだアメリカ軍がこのホテルを司令部に使ったという。今日はちょっと奮発して雪山を望むベランダつきのスイート・ルーム(朝食付き2人で110)。天井の高い5階の屋根裏部屋だが応接セットのついた広い部屋で、バスタブもある。インターネットもホテルの有線LANを使えば1時間5ユーロだが、タダの無線LANがどこからか出ていることがわかり、早速タダのスカイプ電話をかけてみた。ひょっとしたらこの部屋でモーツアルトが曲想を練ったかもしれないし、この同じ古いベッドで寝たのかもしれないと想像すると、モーツアルトが身近な存在になり、その音楽に一層親しみがわいてくる。
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