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 また太陽がまぶしい暑い朝が明けた。部屋のカギを返してデポジットの10ドルを受取りながら、「暑いですね」というと、これでも八月のころに比べると随分涼しいという。今日はカリフォルニア州に入って、デス・バレー国立公園を見て、ロスアンゼルスに戻る予定。また700キロくらいは走ることになりそう。幹線道路を離れて160号線を走る。ラスベガスの市内を離れて10分もすると、もうすれ違う車も少なくなり。真っ青な空の太陽を背に受けて、西に向かうので、前景に陽が当たり、影が少なく、全てがきれいに見える。道も広いし、あたりも広々とした場所がつづく。なだらかで大きくうねる低い山並みの間を、きれいにカーブしながらずっと向こうまでつづく道に乗って、風を切って進むのは何とも言えない爽快感がある。1時間も走ったかなと思われるころLathrop Wellsという町にさしかかった。不動産やホームそれに自動車販売の広告看板が、街道に垂直に高く林立していて、新興住宅地を思わせる。日差しが強い砂漠地帯でもあるので、皮膚がんなどがあるのか、皮膚科の医者の大きな看板もある。その看板の一つに大きな字で“BETTER STOP FOR FUEL”(ちょっと止まって燃料を!)とあった。何とマクドナルドの看板だ。やはりハンバーガーは「ごちそう」ではなくて、人間の「燃料」だったのだ。アメリカ人にとって食事は楽しむものではなくなったようだ。そのうち自動栄養注入装置の看板が現れそうだ。

デス・バレー国立公園に近づくと、日本でよく見かける火山地帯の硫黄のような、黄色と白の山肌が見られるようになる。ガラスなどの原料のホウ砂だという。冷房の効いた車から一歩出て驚いた。ものすごい暑さだ。初秋のこの時期なのに50度くらいはありそう。それもそのはず、ここはアメリカ大陸で一番暑くて、乾いた場所なのだ。これまで最高気温57℃を記録したことがあるし、地面の温度は88℃にまでなったことがあるという。アメリカ大陸を西へ進んできた開拓者たちが、ここで灼熱地獄に直面して進めなくなり、これ以上行けば、死の世界だというのでDeath Valleyと名付けたという。しかもここはアメリカ大陸のド真ん中なのに、海抜ゼロメートル地帯で、更に進むと海抜マイナス86メートルまで下がってしまうという奇妙な地域。これが殺人的な暑さの原因の1つでもあるようだ。

溶鉱炉の底のような場所でも、好奇心の固まりには観光地になる。ザブリスキー・ポイントという岩山の展望所では、多くのアメリカ人がサングラスをかけて、水を離さず、懸命に登る。ギラギラ照りつける日光、ゆっくり吹き上げる熱風の灼熱地獄だ。岩山の上からは、黄色の雪をかぶったような低い山並みが眼下に広がる。小さなマッターホルンを思わせる岩山、その向こうに、灰色の泥がたまったような湖(?)が見える。実際、少し先には濃い塩水の湖がある。やっと車に戻り、冷房をかけても、あまり効果がない。とりあえず、水分を補給。

ここは国立公園といっても灼熱の砂漠を体験するだけなので、他の国立公園のように入口に関所を設けて、強制的に入園料20ドルを取ることはしていない。道路わきにデス・バレー博物館があり、そこに立ち寄って、入口の自動販売機に料金を入れると国立公園入園切符が出てくるが、きちんと払っている人はあまり見かけない。他の国立公園と違って、爽快感はないし、苦しみながら観光しているという感じなので、強制的に入園料を取れないのであろう。我々も払わずに見せてもらった。

このあたりの砂漠には他で見られるような潅木の類がほとんどない。高熱と異常乾燥の環境の中で、植物が生きていくには、糸のような細さの木が針のような枝をつけて、太陽の光を出来るだけ受けない形で、「細々と」生きている。砂丘に眼を近づけて、じっと見ていないと見つからない細い生き物だ。それでも、こんなところで育つはずがないと思われる環境なのに、葉をつけた潅木が集団で生きているところがあり、「悪魔のトウモロコシ畑」(Devil’s Cornfield)などと呼ばれている。

しかし、このような厳しい環境は車にとっても苛酷である。このあたりからロッキー越えになり急坂とカーブの連続になることも手伝って、車はオーバーヒートの危険にさらされる。これに備えて、随所にラジエーターの冷却水用のタンクが置かれている。しかし、それより、この一帯にはガソリンスタンドがほとんど見当たらない。それどころか人家さえ全く目に入ってこない。我々の車もガソリンゲージが残り4分の1を切った。峠をいくつか越えて、やっと見つけたスダンドも建設中のものであった。しかし、ガソリンがかなり底をつき始めたころ、坂道はなくなり、平原の向こうにOlanchaの町が見えてきた。ガソリンスタンドの看板も見える。やれやれ、地獄にホトケだ、このローカル街道の190号線は、この町でロスに通じる4車線の395号線に合流する。

ガソリンスタンドでサンドウィッチとスープを作ってもらう。サンドウィッチはパンの種類を選ぶことから始まって、間に挟む食材のトッピング、肉魚の種類、野菜の種類と量、マヨネーズ、からし、バターなどの種類を自由に指定してその場で作ってもらうので、本当に好みにあった新鮮なものが食べられて満足が行く。サイズも大きいのでかぶり付くのが大変だが、1つ食べれば満腹になる。

人間と車の両方に「ガソリン」が入ったのでストレスはなくなった。あとロスまでは280キロくらいだ。眠気を感じるたびに、運転を交代していると、いつの間にかロスに直結する5号線のフリーウェイに入っていた。だんだん交通量が増えてくる。前後左右に車がぎっしりで相当のスピードを出しているので、気が抜けない。6車線で高架の高速道路ももちろん無料なので、下に普通の道路が横切るごとに、その道への出口と入口が作られている。料金所を作る必要がないので、無数に作れるのだ。今日はロス郊外のサン・ガブリエルの山里に宿を取ろうと思って、カーナビをセットしていたが、気づかないうちに、ロスの市街のサン・ガブリエル通りに行ってしまった。これはまずいと思ったときにはロス市内の北部Temple Cityを走っていた。中国人の多い町の感じだ。チャイナ・タウンも近いようだ。便利な位置なので、今晩はここにしよう。再びカーナビで近くのホテルを検索して誘導してもらう。中国名の添えられたNew Century Innというのが出てきた。近くにはショッピング街や食堂街などもあり、そこに決める。英語を話す静かな中国人女性が受付にいた。55ドル(6500円)だという。部屋も広く、2つのベッド、テレビや洗面の場所も大きくて気持ちがよかったが、深夜、外で騒ぐ声が気になった。とりあえず、夕食に出る。

まだ1ヶ月先なのに、ハロウィーン用の巨大かぼちゃが、もうスーパーマーケットに出ている。ハロウィーンのお化け騒ぎで殺された日本人高校留学生のことを思い出す。デニーズが目にとまったので、日本と比べてみようと思って、入ってみる。ほとんど同じだが、窓の木枠などが木がむき出しで、かえって日本風。量は多いめだか値段もほとんど同じ。中国人のウェイトレスが注文をとりに来る。聞くと、ロスに来てもう何年にもなるのに、1日で行けるグランドキャニオンにすら、行ったことがないという。浩はステーキ、私は海老で、サラダかスープ、飲み物、税金、チップも入れて2人で30ドル。

さんざん走り回ったので、翌日はロス市内を少し動くことにする。地図で見ながら、カーナビに誘導させるが、思ったより広い感じで、地図上で近くても、東京で動くときの3倍くらい動かないと到着しない感じがする。最初は海岸へということで、サンタ・モニカへ出る。7ドルの駐車料金を払って、海岸を散策。分厚い木の板を敷き詰めた桟橋が海へ突き出しているが、船が停泊するためでなにようだ。突き出した先が遊園地のようになっていて、ジェットコースターや大きな観覧車(Ferris wheel)が回る。人がいないところは海鳥の天国で、砂の上に蝶が羽を広げたような足跡がユーモラスに点々と残る。海はにごっていて荒れている。

UCLA(カリフォルニア大学)へ行ってみようとしたが、いつの間にかビバリーヒルズの高級住宅地へ入り込んでしまった。あたりを少しグルグルまわっていて気がついたら、ハリウッドのユニバーサル・スタジオの前に来ていた。ついでだから、入ってみようと15ドルの、スタジオに近い方の駐車場につける。ウィークデーだけど、相当な賑わいだ。チケット売り場にならんでいると、前に車椅子の人と一緒に来た何人かの黒人がいた。突然、そのうちの一人が後ろの私に、3枚の招待切符を差し出し、使ってくださいと言う。予定の人が来なかったか何かで、今日まで有効の切符があまったらしい。普通なら1枚47ドル(5500円)、2人で11,000円分にもなるのだけど、招待券だったので、そのままありがたくいただいた。アメリカにも親切な人がいるものだ。料金でもう1つ面白い事に気づいた。子供料金というのがない。子供料金に当たるのが、身長が48インチ(122cm)以下だと10ドル安くなるという処置だろう。48インチの棒が脇に建てられていて、切符売り場からもよく見える。両足をベトナムで失ったボブは、子供料金ということか。

ここは映画のイメージを下敷きにした、広大な、アメリカ人のお祭り広場だ。アメリカ中でこれだけ混雑している場所は他になさそうだ。いたるところで様々のショーが繰り広げられ、お化け屋敷で子供を連れた大人が一緒に楽しみ、開拓時代の町のセットの中で懐かしい音楽に浸ったあとで超近代的な3D(3次元)の映画館で立体映画の迫力を楽しむ。Back to the Future やJurassic Parkなどを特集した個別のパビリオンもある。ジョーズで話題になった巨大なサメ(?)がギロチンの台のような木枠から吊るされている。地上近くで、大きく開けた口の中に人が入り込んで、記念撮影をする。実際、西部劇のジョン・ウェインの世界から、スピルバーグの世界まで、あらゆる世代をカバーするように設定されている。人々は自分に思い出の深い映画に関係のある場所で、ハンバーガーをかじりコカコーラを呑みながら、ゆっくり過ごして太っていく。

我々も3D映画館“Terminator2”に入ってみた。特殊なメガネをかけさせられて、暗い映画館の真ん中に席を取る。ステージの上で一人の女優が話しているうちに、いきなり暗くなり、左右からドライアイスの煙が観客全員に降りかかる。冷たい感触が肌に走る。煙が落ち着くのを待たずに、シネラマのような大画面が開き、宇宙人の手が、スクリーンから飛び出して自分までの空間を渡って伸びてきて、顔に触れそうになる。思わず顔をそむけたくなる。私とスクリーンとの間の空間を、シュワルツネガーが銃を持ってバイクで飛び回る。宇宙から飛来して、画面から飛び出して、私の目の前に浮かんでいる小さな宇宙船をねらって彼が銃を放つ。手が届きそうな目の前の空間で弾が当たり、宇宙船が爆発して粉々になる。と同時に座っているイスが実際に動いて震える。ホールの横からはまたドライアイスの攻撃。実際に顔に何かが飛んできた。冷たい。気分が悪くなる人が出るのではないかと心配するほどに刺激が強い。SFだからこうなるのかもしれないが、すべて金属的で暴力的、破壊的、発作的だ。同じ立体感を楽しむにしても、もう少しゆったりと出来ないものか。自然と人間を中心に据えて、感動のある映画を作れないものかと思うのは時代錯誤なのだろうか。

大阪のユニバーサル・スタジオと違う点がある。この場所は丘の上にあり、ここからは実際に撮影が行われているスタジオが、大きな倉庫を並べたように眼下に広がることだ。ビバリーヒルズの緑が広がっている向こうにWBと書かれたワーナーブラザーズのスタジオも望める。上から見ると広い工場を見ているようだ。実際、ここが世界の映画館やテレビを支配するアメリカ「文化」の製造工場なのだ。

浩の希望で野茂や石井がいるロスアンゼルス・ドジャースの球場に行ってみる。サンフランシスコへ遠征中のようで、誰もいない。しかし球場は見学者に無料で公開されていて、自由に球場内に入り、見学したり、みやげ物屋で買い物は出来る。誰もいない球場もきれいだ。観客席は4階の層になっていて、各層ごとにシートが色分けされている。大型のスコアボードもライト側とレフト側の2箇所にある。球場内も周りのアンツーカーの赤い色の中に、緑の天然の芝生が小さな碁盤状の模様を浮き出させ、ダイヤモンドのまわりがきれいに切り取られている。広い駐車場が取り囲む。2年前に訪ねたシアトルのセフィーコ球場より新しくて、明るく気持ちがいい球場である。しかし、昨晩テレビで見たジャイアンツとの試合で投げていた野茂は1点で抑えていたのに敗戦投手になった。ドジャースにも松井級の選手を送り込まねば…。

夕食のために日本人町(Little Tokyo)に行ってみた。40年前に訪れたときは、アメリカに流れた「敗北日本人」の吹き溜まりという感じだったが、今度は日米関係の記念館(?)のようなものも出来て、随分あか抜けした場所になったなと思った。通りもきれいになり、店も増えていた。すし屋の「大増」に入って、テリヤキ定食を食べた。すしのカウンターにはアメリカ人が鈴なりに座っている。料理は量もあり、うまかったが、カウンターの真上に欄間を付けたり、この店に勤めたことのある従業員の名前を隷書体で木札に大きく書いて並べたり、かなり無理して日本的な雰囲気を作っていた。そして日本人客からは請求伝票の税金の欄に膨大なサービス料を上乗せしてとるなど感じが悪かった。

アメリカは大きな国なので、車だと移動に時間がかかるが、1週間で5つの(国立)公園を巡ることが出来た。かなり忙しいのはいつものことなのだが、ロスへの航空運賃が非常に安いので、経済的な意味でエコ・ツアーになった。費用は航空券、レンタカーと保険、ガソリン、入場料、宿泊食事、お土産も入れて1人138,000円くらいであったが、アメリカでは高速道路がすべてタダであること、ホテルを安くあげることができること、観光地が混み合わないこと、道路も都会以外だとすいていること、天気がいいこと、自然のスケールの大きさなどの点で日本とは違った気楽さで個人旅行ができることは大きな魅力だ。

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