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台風の中へ
次男の浩が今度会社をかわるのに際して、1週間の休暇がとれることになり、グランドキャニオンへ行きたいというので、付き合うことになった。9月下旬、台風が近づく気配の日曜日に日本を離れ、次の日曜日の同じ時間に舞い戻るという忙しいアメリカドライブだ。航空運賃を見ると、今、ロスアンゼルスの往復は2万円台のものが出ているので、東京―福岡間より短いという感覚になる。それでも我々は週末料金だったので往復45,000円。タイ航空だった。ロスにはお昼につくことになっていたので、ホテルなどの予約は一切せずに、日本で予約した方が有利なレンタカーの手配だけをして出かけた。
台風のせいで、飛行機のワイパーがうまく動かなくなったらしく、それを直す間待たされて、2時間も出発が遅れた。横殴りの風雨が飛行場にたまった水溜りの水を噴き上げるのを小さな窓から不安げに見ていると、我々を無視するかのように、ジャンボ機は推力を最高に挙げて簡単に飛び上がった。それでも、台風の上を通過するので、この先飛行機が揺れるかもしれないというので、飛び上がってすぐに予定されていたカクテルアワーは中止になり、すぐに食事になった。原色の長いローブのタイの衣装を巻き寿司のように身につけたスチュワデスが、狭い通路を忙しく動き回る。さすがに安い飛行便だけあって、ほとんど満席で、いくつも座席を確保して寝ていくわけには行かない。でも、我々の横が1つあいていた。座席間もわりにゆとりがあり、リクライニングにするとかなりリラックスできる。この時期はさすがに老人が多く、わけもなく通路にボーッと立ちふさがっている徘徊癖のタイ老人もいて、スチュワデスを困らせている。偏西風のおかげで東行きはロスまで9時間半だから、ハワイへ行くのとほとんど同じ時間だ。
成田で、待たされている間、隣にいた夫婦が話していた。スペインのアルハンブラまでドライブして駐車場にとめた車のトランクをこじ開けられて、パスポートや有り金ほとんどを盗まれたと言う。しかしそのとき駐車場にいた世話人らしき人がチップを要求したのに渡さなかったのがいけなかったのかと述懐していた。「いや、それはかなり前から後を付けていた人がいたんじゃないですか?」などと言い合ったのを思い出していたら、ウトウトしてしまい、気がついたら、スチュワデスが寝起きのときの暖かいおしぼりを配っていた。朝食がすむとまもなく、お決まりの「乗客のみなさま、当機はまもなくロスアンゼルス国際空港に着陸いたします。お座席のベルトをお締めになり…」のアナウンスが聞こえてくる。
しかし「時差ぼけ頭」で着いてからが大変。9月11日の件で、空港は検査に時間がかかり、やたらに長い列が出来て混雑している。パスポート・コントロールの大きな部屋も、一面真っ黒い天上を支える真っ白の太い柱の奥に、黒ずんだブースが並び、黒人の管理官が、テープでジグザグに仕切られた長い行列を無視して、ゆっくりと尋問を進める。このにおい、この雰囲気はもうアメリカなんだという実感がわいてくる。
“What’s the purpose of your visit?” “Sightseeing, sir.”
“How long are you gonna stay?” “One week.”
“Have you been here before?” “Yes, several times.”
などという会話を1日中やっているんだから、仕事とはいえ、仏頂面になるのも分かるような気もする。それでも、前にアメリカに入ったときは、最後に“Have
a nice trip!”などと付け加えてくれたのだが…。
ロス国際空港の到着口を出ると、タクシーとならんで、レンタカーのシャトルバスが走り回っている。普通の都市ならレンタカー会社は空港内の駐車場を利用するが、ここロスではお客が多すぎて追いつかない。今度利用したハーツ社の場合も、空港から少し離れた所に、千台くらい収容できる広大な駐車場を持っている。そこに、まるでもう1度空港に入ったのかと思わせるくらい、カウンターがずらりと並んだ立派な事務所を持つ。空港に到着した客はそこまでシャトルバスで運ばれる。大きなトランク置き場を備えたシャトルバスの運転手は、バスの3つの入り口の間をバネのように飛び回り、お客の荷物をバスに積み込む。それでも2,3分も経たないうちにバスは満員になり、次のバスが後ろで控える。ここでは車がなければ何も始まらない。
アメリカはヨーロッパと違って、すべての乗用車がオートマ車で、カーナビ(GPS)も簡単に利用できるので、気が楽である。時差ぼけの頭ではあっても、まだ3時過ぎなので、早速、ロスの町に乗り出す。日産のALTIMAという中型車。カーナビで行き先を適当にセットする。アメリカのカーナビはテレビと兼用ではないので、小さな画面を備えた携帯電話のような形をしていて、略図と現在位置などのデータを読むだけ。行き先を打ち込んで、主に音声を聞くので、曲がり角の2マイル前になると
“Left turn in 2 miles.” と合成音声の指示が入り、更に1マイル前でも同じような指示のあと、“Approaching
left turn.”(左折地点に近づいています)と流れ、到着したしるしのピンポンという音がなる。それを聴いてハンドルをきるわけだが、多少音声が早めに流れることがあり、都市部では一つ前の道に入ってしまうこともあった。そのうちに、日本のカーナビのように、画面にも、交差点までの距離が0.1マイル単位で出ていることに気がつき、それを確認しながら、曲がることを覚えた。
車はもう夕方のラッシュの中を進む。我々はロスを東西に走る幹線道路の一つ、60号線を東に向かっている。今日は時差ぼけもあるので早く宿に入りたい。でも、この辺は郊外のベッドタウンでホテルらしいものはない。とりあえず、まだ明るいので、行けるところまで行って明日の行程を少しでも楽にしよう。それにしても片側4車線の道路いっぱいによくもこれだけの車が出てくるものだ。夕方なのにロスへ向かう反対車線も数珠つなぎだ。やはり東京と違ってロスは広い。随分進んだはずなのに、地図を確認すると全く進んでいないのだ。でも、そろそろ疲れてきたので、ホテルを….と思っていると、高架になった我々の道路の左手前に、ホテルチェーンのBest
Westernの看板が突き出しているのが見えた。郊外のOntarioという町だ。一旦通り過ぎて、逆方向に回って戻って高速を降りると、そのホテルが目の前に現れた。朝食つきで1室79ドルだがカリフォルニアの11.5%の税金が加わって88ドル(約1万円)だという。ちょっと高いけど、1人当たり5,000円だからいいか…というわけでそこに決める。もう夕方4時半だ。時差の関係で徹夜状態なので、クタクタ。ちょっと横になったら眠ってしまった。気がついたら外は暗くなり、7時を過ぎていた。となりにステーキを出すレストランがあったが、ちょっと高いのでちょっとはなれたところにあるショッピングセンターへ車で出かけた。チェーン店のSubwayで大きなサラダを、バーガーキングでハンバーガーを買い、スーパーで果物とビールを買って、ホテルへ持ち帰って食事にする。しめて15ドルくらいか。
それにしてもやはりここはアメリカだ。だだっ広い部屋に巨大なダブルベッドが2つ、大型のエアコンやテレビが壁から不細工に突き出す。キャビネットや冷蔵庫もヨーロッパより、ひとまわりか2周りは大きい。幹線道路からあまり離れてはいないが、意外に静かだ。CNNのテレビが、我々が訪ねることになっているグランドキャニオンで観光ヘリコプターが墜落したことを報じている。でも小さなスチル写真を1枚だすだけでほんの10秒くらいだ。日本でも報じられているのだろうか。浩はもうすっかり寝込んでいる。
「腕で歩いた」道と40年ぶりのグランドキャニオン
以前、朝日新聞の日曜版で、ベトナム戦争で地雷を踏んで両足を完全になくした帰還兵が、アメリカ大陸を腕で歩いて横断したという話を読んだ。ボブ・ウィーランド(Bob Wieland)というスポーツマンである。私も約40年前に大陸横断バスだけで西海岸から東海岸までを往復した思い出があり、地面に接して進むときのアメリカ大陸の恐ろしくなるほどの大きさを実感していたので、足のない人が腕であの距離を進むなんてことは全く信じられない話だった。今回彼の「歩いた」道を少しでも行ってみたいと思い、彼が出発点としたロスのKnott’s
Berry Farmを訪ね、国道10号線を少し東に向かってみた。 胴体だけの身長88cmの体を両腕で持ち上げるようにして前に送り出し、50cmずつ進んでそれを500万回繰り返したらロスからワシントンについたという。しかし、両側で6車線もある道路の路肩のところは道路ではない。そこはアスファルトが変形して凸凹で、小石が散乱しているだけではない。大型トラックの排気ガスをまともに浴びて、その轟音とともに風圧に飛ばされかねない場所でもある。普通の家屋を家ごと台車に載せて運んでいる情景にも遭遇した。Oversize
loadと書かれてはいるが、当然のように路肩に大きくはみ出して進む。田舎の国道では車に衝突した鹿やウサギなどの動物の死体が転がっているし、道路そのものの起伏も大きく、登りの厳しさや下りで滑ったりする危険と背中合わせだ。「ポイ捨て罰金1000ドル」という看板がよく見られるようにアメリカでもポイ捨てがかなりあるようで、路肩はゴミ捨て場にもなる。またよく見ていると、脇から合流してくる道路から常に走り込む車に轢かれる危険と隣り合わせだ。また、夏の道路の照り返しのすごさは砂漠を通過するときには摂氏80度くらいにもなる。冬は寒さと雪、凍結との戦いになる。そして何よりも、車を運転していてもウンザリするような広がりをカタツムリのようなスピードで進むときの失望感に耐えるだけの強靭な精神力が必要だ。しかし彼はこれに3年8ヶ月もかけてついに目標を達成した。その道が今、目の前に限りなく続く。彼の思いをかみしめながら、10号線を離れ15号線を北に向かい、グランドキャニオンに向かって40号線を東に進む。
40年前にGreyhoundの大陸横断バスでロスを発ったのは真夜中であった。徹夜で走り続け翌朝グランドキャニオンに近いアリゾナ州のFlagstaffに着くまで、暗室に入れられて運ばれたようなものであった。途中、高速で走るバスのウィンドウの明かりを目指して衝突して潰される虫の死骸で、窓が一面に汚され見通しが利かなくなると、次のバスの駅(bus
depot)で運転手がクリーナーを使って洗い落としていた情景を今でもよく覚えている。自分が運転してみると、今度は昼間のせいか、虫の死骸が窓ガラスにつくということはほとんどない。しかし排ガス規制の甘いアメリカでは、前に行く車の排ガス口からでると思われる油滴のようなものが窓ガラスを汚す。カリフォルニアも都市を抜けると砂漠ばかりで単調な景色が続く。砂漠といっても、50cmくらいの高さのすすけた潅木が、乾いた岩土の中にポツポツと点在する風景だ。ロッキー山脈に入ると道は険しい岩山の間を何とか縫うようにして進んでいく。4車線の国道では乗用車の時速制限は75マイル(120キロ)で、ハイウェイパトロールなどはほとんど見かけないが、「スピード違反をレーダーで取り締まっているので要注意!」などの看板があるせいか、みな80マイル(130キロ)くらいで走っていて、法規に従順である。2車線の国道では65マイル(105キロ)が普通だが、かなりカーブなどもあるので、どこかの国のように、ほとんど全員が守らない制限速度にはなっていない。
砂漠もときどき表情を変える。見渡す限り地平線まで平らに広がっているところはあまりなく、茶色の土やガレキの小さな山が波打って広がっていることも多い。背の低い哀れな潅木が点々と広がっている中を、小さな電柱だけがかかしの行列のように並んでいる。しかし砂漠の中を長時間走っていると眠くなる。たまたま休憩所(Rest Area)の看板が目に付いた。日本の高速道路の休憩所と違って、駐車スペースとトイレ以外は、大きな木が何本かあって、芝生のスペースがあるだけで、管理人もいない。車も数台だけ。2年前にワシントン州とオレゴン州をドライブしたときには、こんな休憩所で地元の夫人たちがテーブルを並べて、自分たちの作ったクッキーを旅行者に配っていたっけ…。向こうに止まった車から降りた老婦人が、“Beautiful
day!”と声をかけてきた。“Yes, it is.”とは言ってはみたが、何か霞んでいるようで、あまりbeautifulとは思えない。どうもギリシャのときのきれいな風景が頭の中で邪魔をしているようだ。
やがてグランドキャニオンの南側(South Rim)の南60マイルくらいにあるWilliamsという町に着く。ここからは針葉樹林と青空に二分された風景の中を真っ直ぐに北上する快適な道64号線がつづく。やがて森の中にホテルが点在する場所を通過する。グランドキャニオンもすぐだ。前方に道を遮断するようにログハウスが見える。国立公園管理事務所だ。ここで、1台20ドルの入園料を払うと1週間有効のレシートを案内書のパンフレットに貼って渡してくれる。1週間以内に再入園する場合はそれを見せればいい。3つ以上の国立公園を回る場合は50ドルで全ての国立公園に通用する切符を買う方が得だ。もう4時をまわっているけど、崖っぷち近くにある駐車場はほぼ満車。でもすぐに駐車してCanyon
Viewと呼ばれる展望台に出る。
40年前に見た光景がそのまま目の前に広がっている。浩も「すごいね」言ったまま、じっと見入っている。海抜2500メートルのところに立って見ている我々のずっと下にはコロラド河が、細くかすかに見えて、峡谷は2000メートル近く食い込んでいるらしい。峡谷自体の長さも、ほとんど東京―大阪間に匹敵し、巾も狭いところで200メートル、広いところでは30キロにもなるというから、そのスケールは想像を絶する。一番下の地層は20億年前のもので、600万年前からコロラド河の浸食作用が始まり、長い期間を経て現在の姿ができたと言う。見渡す限り、人間の作り出したものは全く存在しない、地球のはらわたがえぐり出されて固まったような場所で、深い峡谷からニョキニョキと飛び出している無数の奇岩の塔は、その長い首の部分に様々の地層の変化を見せている。上の方は白い縞があり、その下は紫、茶色、ピンク、灰色、褐色の層が重なって見える。対岸まで相当な距離があるためか、全体に薄い紫のヴェールがかかったようで、空の青とコントラストをなして、幻想的である。人類がこの世に現れる以前の地球に突然降り立ったような、何万年もの間変化もしない絶対的な大自然とじかに触れ合うような気分。しかしこれも地球にたまたま水が流れていて、きざんだ姿なのだ。
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