ザルツブルグ チロル 湖水地方(ハルシュタット) ベルヒテスガーデン ドナウ
10/1(水)2008
台風が近づいていたが、ほとんど揺れもない順調な飛行。全日空との共同運航便とかでほとんど満席のオーストリア航空機は成田から偏西風に逆らう形でシベリア、ソ連の北極圏を12時間かけてウィーンに着く。ザルツブルグへ行く飛行機に乗り換えるB31番ゲートに行くと、もう日本人はほとんどいない。無線LANが使えるようなので、待合室で自宅へ「ウィーン到着」のメイルをする。やっと飛行機の準備が出来ると、バスが駐機中の飛行機の間を縫うようにして、ずっと離れた小さなジェット機の傍まで連れて行ってくれる。48人乗りの双発機で製造元がCanadairと書かれている。座席の上の荷物用のラックに頭をぶっつけながら、座り込み、下に広がる緑と湖、ゴツゴツしたアルプス連山を見る。ヨーロッパの背骨となだらかな背中を眺めている間もなく、ザルツブルグ空港へ。ウィーンから40分くらいの距離なのにまるで別世界のような明るい日差しを浴びる。空港から旧市街まで4キロくらいだが、交通が不便なので、タクシーに乗る。現れた車は大きなワゴン。東京ではこんなタクシーはまず見当たらない。退職した70歳の足の悪い老人が「年金だけだと窮屈なので、小遣い稼ぎですよ」といいながら、自慢げに自分の生まれ育ったこの町を説明してくれる。我々が予約したペンションはお城の真下で大聖堂のすぐ裏手。Christkonig (=King of Christ) Pensionというので、運ちゃんは我々が「キリスト信徒か?」と真顔で聞いてきた。実際、このペンションの管理を任されているAnnaさんは隣の大聖堂の大司教に仕えていた人で、もともとこの宿舎はビショップのお客を泊めるためのものだったのを一般に開放したという。従ってこの地便のよさにもかかわらず、1泊朝食付きで、2人で80ユーロというのは破格の値段だ。しかし、タクシーの運ちゃんは「このごろは大司教も金儲けがうまいのでね」と皮肉った。
夜の街を歩いてみる。ペンションのすぐ上には暗闇の中にザルツブルグ城が白くライトアップされていて、雲の上のお城のよう。右の薄暗い中に浮かぶ巨大な半円形の大聖堂はお化けのようだ。10月になったばかりなのに、夜は寒さが身にしみる。分厚い防寒具を持ってきてよかった。若者がカップルで三々五々歩いていく。その中を我々、アジアから来た老男2人が奇妙な姿で徘徊する。10月初めなのに寒い。ペンションへ戻ってシャワーを浴びて床につく。やっぱりエコノミークラスの窮屈な座席から解放されて、平らなベッドは天国だ。
10/2(木)
朝7時近くのBell Towerが鐘の音を響かせる。東京で市役所の拡声器からの「騒音」に慣れた耳には新鮮で、厳粛な伝統を感じる。1階の食堂には3組のモーニングセットが並べられているだけ。20室もあるのに6人程度のお客なのか。質素なコンチネンタル・ブレックファストはさすがに大司教のお客用ペンションを象徴している。パン、飲み物にソーセージかハム程度で終わり。食堂の周りの壁を見渡すと、マリアやキリストを含めて聖人らしき人物の肖像画がはりめぐらされている。その中にアンナさんが仕えるここの経営者の大司教の肖像も見える。2ヶ月後の万聖節で使うのか、幽霊のような大きな骸骨の人形まで...。ドイツ語しか通じない朝食のお手伝いさんではあまり話ができないので、そこそこに引き上げる。
曇りだと思ったらわずかに雨が混じっている天候。何とか傘なしでも歩けるくらい。宿舎を出て振り返ると昨日ライトアップで見たザルツブルグ城が雲の下でくっきりと輪郭を現している。外気はとても冷たく感じられて、厚手のジャンパーで何とかしのげる感じ。ザルツブルグ城へ登るケーブルカーのところまで行ってみる。坂が急角度になり、水に濡れた石畳に靴がすべる感じがしてきたので、後退。モーツァルト広場でザルツブルグ・カードを探す。24ユーロだがほとんど全部の博物館・美術館がタダになる上に交通機関も電車バスケーブルカー、船のクルーズなどもタダ。これは便利というわけで、購入。ニューレジデンスのザルツブルグ博物館をまず訪問。17世紀くらいのザルツブルグ付近の風景画がそのまま並べられていておもしろい。今と違うところもあるが、ほとんど変わりがない。
ザルツブルグのザルツとは英語ではsaltなので、以前はこのあたりは岩塩の大産地で、当時は貴重品で「白い金」と呼ばれた塩をヨーロッパ中に売って栄えた町であった。今でも岩塩の鉱山は存在するらしいが、その岩塩だけを売っている店を偶然見つけた。岩石のままの塩はもちろん精錬された色とりどりの塩・ザルト(Salz)が並べられている。お風呂に入れて楽しむ固形のもの、腋臭の臭いを抑える固形石鹸のような岩塩やアクセサリーにでもなりそうなきれいなものまで、よくもまあそろえたものだ。
我々の宿の持ち主(大司教)の大聖堂に入る。早朝でもあり人はほとんどいない。だだっ広い会堂の中を前のほうへ進むと巨大なドームの下に来た。上を見上げるとドームの内側に施された細かい聖画や彫刻、フレスコ画がはるか上のほうに望まれる。滑らかな弧を描いてドームを形成する柱は全部石を積み上げただけのもの。高所恐怖症の身には建築の状況が信じられない。さすが音楽の都、大小20はあると思われるパイプオルガンが周囲を取り囲む。イタリアのドームも威圧的に圧倒するが、ここではオーストリアらしくデリケートに演出する。
ドームを出て北の方へ狭い道を進む。聖ペテロ寺院の墓地に出る。墓場というより小奇麗な庭といった感じ。色とりどりの花に埋まるように立つ十字架がきれいに装飾されて並ぶ。周りを取り囲む石塀には大きな浮き彫りの模様が並ぶ。それを作った人を祀る石の小さなチャペルが見える。後ろに垂直に立つ岸壁には無数の穴が掘られている。中世の聖人がここにこもって修行をしたとか…。
ザルツブルグカードがあるので、タダで乗れるケーブルに乗り、10年位前に登ったザルツブルグ城へ再度出かける。椅子なしのボックス型の車内はそれでもギュウギュウ詰め。動き出して1分も経たないと思われるのに着いてしまう。曇ってはいるが見晴らしは悪くない。すぐ下に我々のペンションの屋根がよく見える。旧市街と新市街を分けて走るザルツァッハ川が太い線で両市街を縦断する。紅葉しかかった緑に囲まれた小さな町は落ちついて美しい。
タクシーの運ちゃんの自慢を聞くまでもなく、モーツァルトあってのザルツブルグだ。やはり観光カードで入れるので、前回も行ったモーツアルトの生家に行ってみる。何の変哲もない小さな3階建ての古家の前には観光客の人だかり。モーツアルトファンなら入らないわけにはいかないが、1000円を超える入場料を払っても、いくつかの遺品やモーツアルトが使ったのと同じ型のクラビコードが置かれている部屋を見るだけ。ある部屋では、モーツアルトの趣味に合わせてすべてのザルツブルグの風景画がさかさまに吊るしてある。これも期待はずれを補う工夫かもしれない。それに反して、ここから歩いても10分程度の、モーツアルト育ちの家(レジデンス)の方はオーディオ・ガイドも工夫されていて、彼の音楽を聞かせながら、古い楽器の紹介を丁寧にしてくれる。由緒あるクラビコードやハープシコードで彼の音楽を彼が作曲した場所で聞かせるのは単なる人寄せ目的の発想ではないだろう。
ザルツァッハ川のクルーズも。観光カードでOK. 浅草から浜離宮に行く水上バスと同じで、広い窓で囲われた背の低い客室から対岸の風景の変化を楽しむ。ただ隅田川と違って、周りは緑豊かだし、建物の色や形も大胆だ。ザルツブルグ城や旧市街を遠くに見ながら、街中から離れて、紅葉が始まった山々を望む。ただ水深が60cmくらいしかないところもあるらしく、ときどき船底をこすりながら、また危険を知らせる赤いブイを避けながら、早い水流に逆らってあえぎながら進む。30分も上流へ進んだところで、川底が浅くなってUターン。帰りは流れに乗るので、15分で元の船着場に。そこを少し通り過ぎたあたりでまた方向を変えて着岸するのかと思ったら、船は川面でクルクル回り始めた。観客は大喝采。今度は逆回転。と同時にスピーカーではウィンナ・ワルツが流れる。つまり船が川面でダンスをしている気分らしい。運転手兼ガイドの説明は、やや単調だったので、観客は緊張状態だったのが、急に爆発したような感じ。これもオーストリア流のもてなしというところか。
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