12月の寒さをちょっとだけ忘れることができると思って家内とサイパンに出かけた。例によって貧乏旅行だが、たまたま往復の航空運賃と4日間のホテル代と夕食のバーべキュが1回ついて29,800円というのに乗った。安いパック旅行は夜出て、朝帰国というのが多い中で、これは朝出発で4日目の夕方帰国という直行便で、4日間をフルに使うプランだったのが気に入った。実際、料金の点でも、時間にしても国内旅行以下の感覚だ。
ところが、指定された朝8時半に成田に着いたときには、1つしかない搭乗手続きのカウンターにはそこだけ長蛇の列が出来ていて、たった1人の係員があきらめた表情でノロノロと応対していた。安いのだからある程度の人件費節減は仕方がないと思ってか、車椅子の人もいたが、皆じっと耐えていた。
ノースウェストのジャンボに入っても、ほとんど日本人で完全に満席状態の中で、中国語の字幕つきのアクションもののアメリカ映画が、かなりピンボケのスクリーンに、日本語の音声チャンネルなしに上演されるという「気の利いた」サービスだったが、正味2時間56分の旅では、新幹線で大阪に行くよりも近い感覚なので、誰も別に気にする様子もない。それにほとんど全員が日本人乗客の室内放送も、最初は英語で、そのあとずいぶん簡略化されたぶっきら棒な日本語が続いた。dinnerと書かれた機内食も、普通なら、”Meat
or fish?”などという余裕の言葉が聞かれるのだが、マクドナルドのようなトレイがボンボン投げるように配られた。それでも私の隣の若者はビールを2缶もタダで追加注文して眠った。
サイパンは1521年にマゼランが見つけた島で、スペインが300年以上にわたって支配したあとドイツに売り渡され、それを第一次大戦後日本が奪って、30年間支配したが、1944年7月7日アメリカ軍の手に渡った。今では周辺諸島を加えて北マリアナ連邦CNMI(The
Commonwealth of Northern Mariana Islands)と呼ばれて、アメリカの信託統治国なので、この島の製造品はMade in U.S.A.となり、アメリカドルが通貨となり、住民はかつてはアメリカの市民権を持っていたという。
しかしこの準アメリカ州とも言うべき国にもかかわらず、アメリカ人はほとんど見当たらない。60%は原住民のチョモロ人で、その他のフィリッピンや中国などのアジア系、スペイン統治時代のスペインとの混血などだから、チャモロ語が中心で、公用語の英語は片言でしゃべられる場合が多い。しかし、観光資本では日本の投資が65%くらい、残りが、韓国と中国の投資で、第2次大戦では撤退した日本が、バブル期に金銭で再び占領した感じで、日本語がほとんどどこでも通用するので、ここは「日本の領土」である。実際、私たちが泊まったCoral Ocean Point Resortという島南端のホテルは、調べてみると大阪の繊維会社が、付近にゴルフ場を作り、付随したコテッジ風の施設を建築して経営していた。町を歩いていてどこを向いても、看板や書類に日本語が必ず見つかるのも当然だろう。ホテルの部屋のテレビでは常時NHKの総合チャンネルが見られる。時差の関係で1時間遅れだが、天気予報で「今朝の東京の最低気温はマイナス3度だった」などと放送しているのを聞きながら、Tシャツ1枚で真夏の27度の世界に浸っているのは何か申し訳ないような気になる。
現地のテレビによると、我々が来る直前にグァムや隣のロタ島は猛烈な台風に襲われ、1週間以上経った今でも停電が続き、ホテルは自家発電して人々は薄暗い中で生活しているという。日本ではあまり報道されなかったが、現地のテレビだと、根こそぎなぎ倒された大木の下敷きになった車や屋根が完全に吹き飛んだ家屋の様子が生々しく報道されていた。サイパンからも食料など緊急物資の救援がされたようだが、日本からは、この熱い国に、どういう訳か毛布を何枚か送っただけだったという。
南国の孤島だから白砂の海岸はいたるところに見られるが、泳ぐのに適した透明な水が続く遠浅の浜辺というのは意外に少ない。浜辺の砂はきれいで、椰子の樹が斜めに大きな葉を差し伸べて快適な日陰を作ってくれるような場所でも、海に入ると大きな石がゴロゴロしていたり、大きな藻が絡み付いてきたり、急に深くなっていたり、水が濁っていたり、潮の流れが速かったりで、なかなか快適というわけにはいかないことが多い。だから大抵のホテルは海岸のすぐ側でも自家用プールを必ず備えている。しかしそのプールも必ず2m以上の深さのところがあり、泳ぎの不得手な人間には注意が必要だ。
だから、ここまで来てプールに入るだけじゃいやだと思う人は、透明な海岸で魚と一緒に泳ぎたければ、更にボートに乗って近くのマナガハ島へ出かけることになる。そこも大砲やコンクリートの穴があり、日本軍がサイパン防衛に使っていた跡が残るが、砂浜から10mでも海へ入れば、サヨリなどが群れをなして目の前を泳いでいくのを見ながら泳ぐことが出来る。ハワイのハナウマ湾のような大きな魚はいないが、名の知れない黄色や青い小さな魚は多く、万華鏡を覗いているようでもある。当時の日本軍もこの魚を捕って食べ、バナナなどで生き延びていたのだろう。しかしここにいるとここが外国であることを忘れてしまう。浜辺を埋め尽くす海水浴客のほとんどは日本人のように見える。ときどき韓国語や中国語らしい会話が耳に飛び込んでくるが、西欧人は見当たらず、日本語が圧倒的だ。午後4時近くになり、最終の連絡船が出る旨日本語でのアナウンスが小さな島全体に流れた。すると潮が引くように浜辺にいた人が一斉に波止場に向かい、浜辺がすっかり無人になった。やっぱりここも日本だ。浜辺の椰子の下にまだ残されている大砲は、今でもそこで泳ぐ日本人を護っているかのように海の方に向けられたままだった。
こういうわけだから、旅行客のほとんどは日本人か中国、韓国人であるのに、たまたまアメリカの統治下にあるのでテロの標的にもなる可能性があるというので、アメリカが行っている出入国管理は、異常に厳しい。きわめて手際のいい日本の出入国管理のあとで、半分眠ったようにノロノロと行われる入国管理の長い列で待たされるのは苦痛だ。特に、出国のとき、1度X線身体検査を通過しているのに、再度飛行機の搭乗口直前に、人相風体からランダムで呼び出されて、体中にX線のコテを撫で付けたあとで、靴まで脱がせて、靴底を点検するのを見ていると、これが本当に安全確認のためかと思ってしまう。
第2次大戦中サイパンは日本を守る太平洋上の最後の砦であった。だから3万の兵士を含む45000人が、総動員されてアメリカと熾烈な戦いを繰り広げ、殺されるか捕虜となった。サイパンが陥落したことを聞いた当時の東条英機内閣は日本の敗戦を確信して、すぐに総辞職したほどだ。サイパンを占領した米軍は、日本攻撃用に製造したB29の発進基地を作り、ここから東京大空襲に飛び立ち、ここから広島・長崎に原爆を投下しに出かけて、日本の息の根を止めた。最近のアメリカ映画 “Wind-talkers”では、サイパン陥落に大きな影響を与えた暗号読み取り戦略が描かれているようだ。
グァムではあまり目につかない戦時中の遺物がここではやたらに残っているのは、当時の戦闘の激しさを物語っているようだ。実際、最後の死闘が繰り広げられた島の北端のマッピ岬にある最後の日本軍司令部跡には、アメリカ内務省の国立公園部が建てた碑があり「この場所は米国史を想起する際に国家的な重要性を持つ」と書かれている。多数の大砲や戦車が囲むように置かれている奥の洞穴は内部から太い柱と分厚い鉄筋コンクリートで補強され、ちょっとやそっとの大砲くらいでは破壊されないように堅牢に作られてはいるが、何発も打ち込まれたようで、壁には大きな穴があき、その鉄筋やコンクリートがむき出しになって無残な姿を見せている。入ってきた入口の方を振り返ると、暗闇を丸く切り取った視界の向こうに、やしの林の隙間から紺碧の空と海が広がって、平和な静けさがあった。当時ここにいた日本人たちは、その緊迫した情勢の中で、怯えながら、どんな気持ちで、この同じ青い空を仰ぎ、真っ白に光る雲を眺め、目にしみる緑に向かい合ったのかと、考えてしまう。
司令部の背後は断崖が上に高く広く伸びて、自然の防護壁に守られた位置にある。しかしこの上はsuicide cliff(自決の崖)と呼ばれていて、この上250mからは追い詰められた何千人もの日本人が飛び降りて自害した場所として有名である。どういう様子か見たくて、車を崖の上まで走らせてみる。さすがに今では頑丈な柵が作られていて誰も飛び込んだりはできないが、遥かに太平洋を一面に見渡すところで、下に目を向けると道路が細い線になっていて、小さな車が這うように動いている。
崖の上には慰霊碑のようなものがかなりあり、中でも、キリスト教の十字架を背に仏陀の像が同じハスの花の中に置かれた碑が、宗教を超えた鎮魂の気持ちを表現しているように見えた。しかし1つ気になったものがあった。それはサイパンから生還したある日本の元海軍兵が戦後23年も経ってここに建てた石碑で、写真のように、何か大きなハンマーのようなもので大きく破壊され下のほうの字がやっと読める状態であった。その下の方の英字を拾うと…to the honor of those who lost their lives during the WWII…(第2次大戦中に命を失った人たちの栄誉に….)と見えた。日本人だけのことを頭に描いて建てたのではないにしても、他人の国へ土足で踏み込む以上のことをして、「栄誉を讃える」とは….と土地の人が憤りを感じることくらい分からないのだろうかと、その日本人の軽率な行為に腹が立った。しかも元ここにいた日本海軍兵であるという身分と自分の名前を彫りこんで、のことである。勘ぐると、どの世界でもよくあるように、多くの人が正直に生きて死んでいったのを見て、自分は何かよっぽど巧みに生き延びて、帰ってから悪夢に悩まされて、罪滅ぼしのつもりで20年も以上も経ってから自分のためにやったのかなと想像してしまうほど、他人に対する配慮のない無残な碑であった。
サイパンは熱帯にあるから、熱帯特有の珍しい動植物に出会うのが楽しい。ホテルにいてもイモリのようなトカゲのような生き物が何となくどこからか入り込んでくる。窓から外をボーッと見ていても、上が平らになった熱帯特有の木々が強烈な太陽を浴びて輝いている。その細い枝からは、真っ黒な薄いキュウリのような果実(?)がぶら下がっているし、下の緑の中には、12月なのに真っ赤な花が点在する。
次にサイパンにある熱帯植物園と動物園で興味を引いたものを少し陳列してみたい。日本に持ち込まれているものも多いが、自然の中で育っている状態はかなり違うものもあり、おもしろい。
この花は熱帯らしく鮮やかで
印象に残ったが名前は不明 |
バナナの先には大きな
花のようなものがある。 |
バナナの木の茎の断面
--年輪のような層がどぎ
つい印象。 |
日本で見るポインセチアと違って
ほとんど緑。 |
最初見たとき置物だと思った
のに動き出したのでビックリ。、 |
モンシロチョウならぬ
モン青チョウ(?) |
タコの足に似ているので
「タコの木」。大きな実が。 |
女の子がお気に入りのイグアナ
を触らせてくれた。鰐皮のよう |
アボカドの木。実はよく
見えないのが残念。 |
「パンの木」サツマイモの
ような実がつく。
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センダンは二葉より芳し、
の栴檀(センダン)。 |
葉の付け根に蓄えられた水を
旅人が飲んだという「旅人の木」
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シナモンの木。樹皮に独特の
芳香があるというのに
葉の匂いをかいでしまった |
パピルス。この茎を紙の
原料にするとはすごい発見。 |
Cup-leafという名の通り
そのままコップに使えそう。 |
日本のベンジャミンは
ツタを絡ませたものだが
これは1本で真っ直ぐ。 |
◎ビデオをご覧になるにはWindowsMediaが必要です。ない場合はインストールするか聞いてきますので、お入れください。ビデオはADSL対象で全部見ると35分かかります。
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