●クリックして次のページへどうぞ!
イオニア海の島々
「外人」待遇?!
遺跡とホテル
空港周辺のホテル探し
チューリッヒ
ビデオ(1時間42分)WindowsMedia9
地中海に太いクサビを打ち込んだように突き出したバルカン半島の突端のギリシャ。その西に広がるイオニア海でギリシャに寄りかかるように小さなそら豆のような形をした島がある。それが佐渡ケ島の半分の大きさもないレフカダ(Lefkada)島だ。実際、島といっても本土とは約50メートルの海峡を隔てているだけなので、その間はエンジン付の浮橋でつながれていて、ヨットが来ても、そのエンジンを使って橋自体が脇へ移動する仕掛けになっている。その「橋」を渡ったところが、その島の中心地であるレフカダ市である。4月から11月までは雲ひとつない真っ青な空が広がると言われるその島には、色とりどりのヨットが浮かぶ紺碧の海が続く静かな海岸が多い。その「太陽がいっぱい」の島でLafcadio Hearn(小泉八雲)は1850年6月27日に、ちょうどその時イギリスから派遣されていたアイルランド出身の父とこの島の女性との間に生まれた。彼の名前Lafcadioは「Lefkada出身の」という意味のギリシャ語をそのまま使っている。
世界遺産の類の突出したものはないからか、日本の旅行社が企画しているツアーにはレフカダ島などを含めたものは皆無だが、イオニア海の島々は天候、地勢、人間と三拍子そろったすばらしさの上にホメロスの大ロマン、「イリアス」や「オデュッセイア」の背景となった旅情あふれるところだ。
先ほどの浮橋を渡ったところが芝生をひいた公園のようになっていて、そこに2つの銅像があり、その一方がハーンのものだ。死後100年にもなるのに、地元でも「名誉市民」のような尊敬を受けていることがうかがわれる。広場の向こう側に並んでいるホテルの裏側の通りはみやげ物屋がひしめき合っているが、その中に小さな旅行案内所があった。そこでハーンの生家を聞くとギリシャ人女性が丁寧に教えてくれた。そのみやげ物屋の通りを少し進んだところに広場があり、その奥に続く狭い通りが「ハーン通り」だという。実際、その通りはすぐに見つかった。覚えたばかりのことを書かせていただくと、ギリシャ語では「通り」をO△OΣと書き「オゾース」と読む。また英語のHの音はギリシャ語ではXで、RはPで表されるのでHearnはXEPN(ヘルン)と表される。だから、「ハーン通り」の看板には「O△OΣ XEPN」とある。「これだ、これだ! ついに見つけたぞ」というわけで、ビデオやデジカメを動かす。その通りの中ほどに、ギリシャ語で刻み込まれたプレートのついた彼の生家はあった。狭い通りなので、バックして生家全体を撮ることが不可能だ。今は誰が住んでいるのか分からない。二階のベランダには無造作に葉っぱだけが生い茂った鉢植えが並んでいた。3軒先のうす汚いドアが開いて、でっぷり太った年配の女性が現れ、戸口の横にわたした針金に洗濯物をつるして消えた。決して豊かとはいえない下町長屋の一角であった。
レフカダ島は全体が1つの県(prefecture)になっていて、その中心が北の端の本土と浮橋でつながっているレフカダ市(municipality)で、その海岸沿いに白い石で作られた市庁舎がある。1階は郷土の歴史博物館になっていて、ギリシャ的な洗練された雰囲気を持つ土器や昔の機織の器具などが展示され、3ユーロの入場料を取って見せていた。その1階の入り口にある事務所で、観光案内所で聞いてきたのだがと言って、ラフカディオ・ハーンに関する資料があるとのことなので、見せてほしいと言ってみるが、要領を得ない。仕方がないので、もう1度観光案内所に戻って事情を説明すると、ハーンの関係は歴史博物館の2階にある市庁舎の1室にあることが分かり、もう1度市庁舎に行く。今度はやっとその担当者の名前を教えてもらい、会うことが出来た。ハーンの写真や、ギリシャ語や英語版の著書、日本で発行された雑誌などを持ち出してくれ、それを見ていると、「市長室にもう少しあるから来てごらん」という。そこで隣の市長室へ通され、市長のMelas氏に紹介され握手。市長室の両側の壁にはハーンの写真や、日本から贈られたと思われる書の入った大きな掛け軸、浮世絵、それに姉妹都市を提携している新宿区との提携書などがぎっしりと掲げられていた。人口2万を超えるレフカダ島の中心都市だが、市役所といっても博物館の2階の小さな3部屋くらいで市長を含めて職員は5〜6人しかいない。それでも階下の博物館の職員が2階にハーンの資料があることを知らないのは、それを聞いた観光案内所の人も苦笑していたが、万国共通のお役人気質なのだろうか。もともと市長さんと会えるとは思っていなかったし、おみやげなどは持っていかなかったのに、帰りにはレフカダの地図やイオニア海を紹介したビデオまでもらった。もっともビデオはヨーロッパの録画形式だったので日本で再生することはできなかったが。
ハーンはこの島に2歳までしかいなかった。しかしその間、母は彼をよく周りのいろいろなところへ連れて行った。この青い空と紺碧の海に囲まれた、白い砂と透き通るような水の静かな島の印象は三つ子の魂として、彼の脳裏に刻み込まれていて、ふとした拍子によみがえってきて彼に刺激を与えたようだ。実際、アメリカにいる間も内陸を抜け出し、明るい西インド諸島に出かけて、島から島へ放浪しつつ2年間も過したことがあった。また松江に来てから隠岐の島へ長旅をしたのも、海と空と島の世遠くの山のうねりを見ていて思い出した。彼がよく使うvapory(ボーッとした)という言葉の感じは、たぶんイオニア海諸島の遠くの山々のうす青く霞んださまの記憶が元になっているようにも思う。
ハーンが日本に来てまもなく神奈川県の江の島を訪れている。江の島は本州と橋でつながった小さな島だが、レフカダ島がギリシャ本土に浮橋でつながっている状況と似ていなくもない。江の島の小高い丘の上での次の描写
Perched upon the verge of the cliff are pretty tea-houses, all widely open
to the sea wind, so that, looking through them, over their matted floors
and lacquered bal-conies one sees the ocean as in a picture-frame, and
the pale clear horizon specked with snowy sails, and a faint blue-peaked shape also, like a phantom island, the far vapory silhouette of Oshima. (Glimpses of Unfamiliar Japan)
(海から吹く風を受けるようにすっかり窓が開け放たれて、崖っぷちに大きな鳥が止まっているかのようにして茶店がある。だから、それらの茶店の畳が敷かれた床の部分とニスの塗られた露台の柱の向こうに、額縁の中に入れたようにして、海を見渡すことが出来る。白い帆影が点在する青白く、くっきりした水平線、そしてボーッと幽霊のような島に見える、霞んで青くとがった形のもの、つまり「大島」のおぼろげな遠景までも見える。)
は、そのまま、快い海風を受けて眺める、ギリシャの島の小高い丘にポツンと建てられた小さなホテルの窓枠を額縁にして眺める光景と重なる。そして、「江の島」に対して
There is a charm indefinable about the place---of numberless subtle sensations and ideas inter-woven and interblended: the sweet sharp scents of grove and sea; the blood-brightening, vivifying touch of the free wind; the dumb appeal of ancient mystic mossy things; vague reverence evoked by knowledge of treading soil called holy for a thousand years; and a sense of sympathy, as a human duty, compelled by the vision of steps of rock worn down into shapelessness by the pilgrim feet of vanished generations.(Glimpses of
Unfamiliar Japan)
(この場所には何とも言いようのない魅力がある。それは混然と混じりあい、織りなす糸のように絡み合う無数の何ともいえない感情や思いから成り立っていて、具体的には、海や木立から来る快い、刺激的な香りでもあり、血を沸かし、気持ちを生き生きとさせてくれる豊かな海風の感触でもあり、ずっと昔の神秘的な苔むした遺物が黙って訴えかけるものでもあり、1千年もの間、神聖な場所とされてきたところに今自分が立っていることを認識することで喚起される何となく「もったいない」という気持ち、過去の多くの世代の巡礼者の足に、形が分からなくなるまで踏まれて朽ちかかった石段を見て、人間の当然の気持ちとして、いやでも引き起こされる共感の思いなどである。)
とまで言ってのける。しかし、これも私たちが、例えばギリシャのデルフィなどの神殿に立って抱く感情そのものでもある。彼がギリシャの地で、知らず知らずに身につけた感情が、生誕の島に似た環境を与えられて、思わず噴き出してきたような気さえするのだ。
彼は日本の田舎道に見られる地蔵や庚申塚などにも異常なほどの愛着と興味を示した。しかし、おもしろいことに、今回の旅で、ギリシャの道端にも「地蔵様」が置かれていることを発見した。50cm四方くらいの小さな石造りのミニ教会のようなものが、その小さな切妻屋根の端に小さな十字架をつけて、道端のいたるところで、何気なく我々を見守っているのである。つまり道端に祠を置く共通の習慣が彼に親近感を覚えさせた結果ではなかったのか。
彼は幼いときに事故で片目の視力を失った。しかし残った1つの眼での観察力は並外れたものである。日本人の精神的な土壌を知りたい好奇心から、その観察眼を日本中の神社仏閣に向けた。しかし社寺を訪れたとき彼の興味のまなざしは、仏像などに向けられる以外に、屋根の下の欄間の部分や屋内の格子状の天井の桟に囲まれた四角の奥に描かれた絵とか、入り口の左右にかまえる獅子像(狛犬)などにも向けられ、その細かい描写に驚かされる。
ギリシャ正教では十字架もあるが、それ以上にイコン(聖人の図像)が信仰の対象媒体で、巡礼者は礼拝のとき一人ずつイコンに口づけをして行く。日本でもハーンは図像に異常なほどの関心を示したことを思い出す。日本の社寺の欄間の浮き彫りに当たるのが、friezeと呼ばれる神殿などの柱と屋根の間の狭い壁の部分の彫像や浮き彫りで、西洋ではかなり関心を持たれている部分だ。ハーンも著作の中で、日本の欄間のようなところをfriezeと呼んで細かい描写を繰り返している。日本の格子状の垂木に囲まれた奥にある天井板(彼はcaissonと呼ぶ)に描かれた画像は、ギリシャなどの丸天井の内面に描かれたフレスコ画などを連想させるのか、非常な興味を引き起こすのもうなずける。また、沖縄のシーサーのように、イオニア諸島では民家の門柱の上に狛犬のような像が置かれている。ミケーネの遺跡でアガメムノンの墓へ通じる巨大な門の上にも大きな2頭の獅子像が置かれている。これらは、その形といい、配置の仕方といい、我が国の神社の狛犬像を思い起こさせ、ハーンがそれらに興味を示す素地がギリシャで作られていたような気がした。それにレフカダ島のNidriという町からは、入江の向こうに富士山に似た山が遠くにそびえているのが見える。近くには那智の滝に似た日本的な滝まである。彼の三つ子の魂の中にこれらの情景の印象が残っていて、無意識のうちに日本に来たときに目にしたものに強い親近感を持つようになったのではなかろうか。
さらに、彼の言葉に関して付け加えれば、彼は著書で海や空の青をblueと言わずにazure(紺碧の)、turquoise(青緑色),
emerald(深緑色) などということが多い。あの地中海の鮮やかな深い青色はblueという語からは連想しにくいことは、あの目の覚めるような青の世界を一目見れば納得がいく。また偶然目に付いたことだが、もともとがギリシャ語でハーンの好きなmetamorphosis (μεταμορφωσι?)「変身」などという難解な語が普通に田舎町の看板に出ていたりして、ハーンがすぐに哲学的(?)になる土壌が出来上がっていたことが想像できる。島には美容院もあったが、そのギリシャ語の看板に、英語(仏語)でCoiffure「髪結い」とあった。彼もhairstyleなどとは書かずに必ずこの語を用いていたのを思い出して、これもこの地に根付いていた言葉だったのかと改めて気がついた。
しかし、今ではレフカダ島は多くのギリシャ人やヨーロッパ人にとってバカンスの島だ。この美しい海岸にヨットを浮かべてクルーズしたり、時には頭だけ水上に出して仲間と沖まで一緒に泳いだり、海岸に寝そべったりしながら、時にはタベルナ(カフェ兼食堂)で1杯のウゾ(地酒)を何時間もかけて飲んで、ゆっくりした至福の時を過ごす。東海岸にあるニドリという町の海岸沿いは、路上にいっぱい、カラフルな椅子とテーブルを持ち出したタベルナが並び、そのような休暇を過ごす人々であふれている。その岸壁からイサカ(イタキ)島へ行くフェリーがでるというので、その近くのOscarというホテルに泊まった。素泊まりだと2人で35ユーロ(4800円)だというそこの主人は「Hearnの国からようこそ」と言って英語で迎えてくれたので、「Hearnに興味があるのか」というと「ある」という。そこで「ハーンの原作を5冊ほど英語で読めるページを作ったのでよかったらアクセスしてください」と言って名刺を渡した。市庁舎のハーン資料室をはじめ、この旅行でかなりのギリシャ人や他の国の人たちに「ハーンのページ」を案内したが、私のサーバーにあまりアクセスはないようだ。レフカダを世界に知らせたハーンに多少の恩義と誇りは感じても、やっぱり本物を読もうとする人は少ないような気がする。
|