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4/12() Zaragoza

11時にBarcelona Sants駅を出るスペインの新幹線AVGに乗るために早めにホテルを出る。地下鉄は次の電車が来るのを秒単位で知らせる表示板があるなど、気が利いている反面、下りのエスカレーターがないため、大きな荷物を持ち歩く旅行者には厄介だ。でも鉄道のターミナル駅はどこも雄大で豪華な建築物だ。X線の荷物検査のあとホームの入り口にゲートを設けて再度待合室を作り、切符の検査をするのは飛行場のやり方とそっくり。マドリッドとバルセロナは日本で言えば東京と大阪にあたり、その間に「新幹線」を走らせるのも同じ発想だと思われる。高架になっていないこととシートが4列の配置になっている以外は日本の新幹線と同じ感じで、時速表示もあり、270300キロ前後で走る。車内販売のトローリーが来ないのはありがたい。Zaragozaは日本で言えば名古屋にでもあたるのだろう。MadridBarcelonaの中間にあり、Barcelonaから1時間26分で特急だと最初の停車駅だ。平地を走っているようだが、意外にトンネルが多いのはスピードを重視して、無理に直線の軌道を確保するためだろう。

定刻どおり12時半まえにZaragoza駅に滑り込む。屋内野球場を思わせるほど天井が高く、広い。ホームの広さも並ではないのに、乗降客は多くはない。ホームの様子を写真に取っている間にすっかり回りには人がいなくなり、大きな空間に静寂が戻る。

Google mapStreet-viewで前もって駅前の様子を見ておいたので、初めてきたときの驚きはなく、なじんだ場所の親近感がある。予約したホテルの位置も手に取るように分かる。前もってかなりのことが分かることへの議論はあるだろうが、それを利用すると別の楽しみも増えるし、予想に裏切られることも少ない。実際、駅前のEurostars Plaza Deliciasというホテルはちょっと分かりにくい袋小路にあるので、Webでホテルへの評価を読むと「見つけるのにずいぶん時間がかかった」というものが多かった。だからGoogle Mapできちんと位置を確認しておいたことが大いに役に立ち時間の無駄が省けた。自分なりの地図を作って、明日ここに迎えに来てくれるCarmenさんに送っておいたら、ありがとうと返事が来た。Webを利用すると、スペインの地元のことを、東京にいても普通のスペイン人たち以上に細かく分かるのも事実だ。

4/13() Logrono

9:20窓の外を見ると車が見える。もうCarmenさんたちが迎えに来てくれたらしい。下に行くとCarlosさんと2人の笑顔が迎えてくれる。早速Zaragoza市内の見学へ。マドリード、バルセロナ、バレンシア、セビリアに次ぐ人口65万のスペイン5番目の大都市で、2008年にも万博が開かれたりしているが、日本ではあまり知られていない。東にバルセロナのあるカタルーニャ州を挟むだけで地中海につながる位置なので、古くから北アフリカのムーア人が侵入し、イスラムとの争いが絶えなかったようだ。我々が最初に案内されたLa Seo大聖堂も12世紀から16世紀にかけてモスクをつぶしてその上に建造されたという。今でも広い壁や尖塔の付け根には細かいモザイクが施され、イスラムの影響を感じさせる。しかしコルドバなどでの「モスクと大聖堂の同居」は見られず、内部はキリスト教の荘厳さを強調した大伽藍が広がる。ロマネスクの重厚で細やかな装飾を施された祭壇が中央の大きな会堂(nave)の周りに見事に並ぶ。スペイン内乱でこの大聖堂にも爆弾が3発落とされたが1発も爆発しなかったそうで、それはマリアの力だと信じて、未だにその内の2個の爆弾が後生大事に飾られている。一方、マリアの像の前の台座は毎年何千人もの信者が同じ部分に接吻をしていくので、500年も経過するうちに台座にかなりの凹みが出来た。「雨だれ(涓滴)が岩をうがつ」というのは聞いたことがあるが、人間のキスが石を凹ませるというのを実際に見たのは初めてだった。

ZaragozaからCarlosさんの運転で北方170キロ離れたLogronoに向う。彼らは朝早く起きてわざわざこんな距離を我々のために迎えに来てくれたのだ。途中、広々とした平野が広がる。遠くのちょっと高いところにはやたらに風車が目に付く。と言ってもドンキホーテが見間違えた白い塔の先に付いた大きな黒い羽の風車ではない。細い竹トンボのような3枚羽を付けたスマートな白い棒が電信柱のように1ヶ所に100本以上も林立して同じ方向を向いて立っている。スペインはEUの中では風力発電が最も発達している国だそうで、時のよっては国の必要量の40%を風力発電でまかなっていた時間が記録されているそうだ。ここではドンキホーテの時代から風車とは縁の切れない関係のようだ。

特に料金所などはなかったが、我々は有料道路を走っていた。広い道路なのに車はほとんど通らない。200m位右の方にこの道路と平行して走っている道路がある。一般道だという。そちらの交通量も多くはない。高速道の方が信号機もないので、気が楽だからという理由だけで利用しているという。その程度の動機で利用できる料金のようだ。Carmenさんはこの生まれも育ちもRioja州で、車は彼女が生まれたという町の近くを通過。まだ母親が生きていてがんばっているという。CarmenさんがCDをかけてくれる。静かな気持ちのいい音楽。しかしスペインの音楽ではなく、アメリカのフォークだという。この広々とした空間を進むのは、アメリカの中西部を行く感じにつながるものがある。

Logronoが近づくと郊外には工場が並ぶ。さすがLa Rioja州の州都だけあってかなり大きな都市だ。ピンク色の八重桜のようなサクラが街路や広場に燃える。一方四方八方に出る枝をハブのところでを短く剪定した太い樹木が目に付く。大木が無数のゲンコツまわりに突き出しているようだ。我々はその広場から脇の旧市街へ案内された。スペイン名物の立ち食いバーが目に付く。その通りで彼らの息子夫婦DanielLauraが待っていた。Daniel君は生まれたときに医師が腰の神経を誤って切断したために車椅子の生活だ。しかしかつて東京を訪ねたときと同じように実に敏捷に車椅子を操り動き回る。付近のバーの一つDonostiという店に入る。カウンター越しのガラスケースの中には揚げ物や串刺しの料理がずらりと並び、後ろの壁にはワインのビンが300本くらいは並んでいる。うまそうな料理の大きな写真つきのメニュ(?)。まずはワインで乾杯。カウンター沿いに立ち食いが出来る程度のスペースがあるだけの細長い店。面白いのは食べかす、使った紙ナプキンなどを全部足の下に散らかすことになっていることだ。確かに椅子やテーブルがない床だから種々のゴミを片付けるのも一括処理できて簡単かもしれない。彼らのやり方はこの立ち食いバーのハシゴだ。小さな一皿のつまみとワインを取ってワイワイやると外へ出て、また別の店に行き、別のものと別のワインを味わいながら談笑する。このようにランチを取って満腹になるとシエスタ(昼寝)なのだろう。

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Logronoの全体を見るためにEbro河の北にある丘に上がる。この都市はフランス全土から東のピレネー山脈を越えて集まる巡礼者のルートの中にある。だから途中郊外のひなびたルートの道に入るとバックパックを背負った巡礼者によく出会う。何の変哲もない田舎屋がチェックポイントの場所になっていて、彼らは通過証明をしてもらうためにたむろしている。しかし彼らのゴールであるSantiago de Compostelaはまだこの先800キロも西方にあり、歩いて1ヶ月はかかるという。

またこの地方はケルト人が紀元前15世紀、つまり最も古くから住み着いていたところで、丘の上にはケルト人の住居跡の石垣が今でも広く残っている。遠く南北にある山脈に囲まれた広大な盆地を見渡す小高い丘の上は今は何もない荒地になっているが、日本だったら不動産業者が争って再開発を進めるだろうな...と思う。近くに咲いていた野草をCarmenさんが取ってきた。鼻に近づけるといい香り。タイム(thyme)だという。

そろそろ夕方になり、Logronoの南15キロ位の郊外にあるCarlos, Carmen夫妻の邸宅に向う。緑の草原と、桃やサクランボの木果樹園が続くところをしばらく走る。突然白いサクランボの花の向うに地肌が露出した茶色のゴツゴツした岩山が現れる。ヨセミテの岩山のように垂直に伸び、キノコの頭のような頂上がぶっつかりあう。なかなか変化に富んだ地形の場所に彼らの住まいはある。狭い田舎道をゆっくり進んでいくと鉄格子の長い門の傍に到着。待ち構えたように白いラブラドール出てくる。良くしつけられていて吠えることもなく、人懐こく尻尾を振ってジャンプしながら近づいてくる。Carmenさんが興奮を静めようと懸命。

大きな家だ。Daniel君の車椅子に合せて、全てに段差がないバリアフリーで作られていて、ドアや入口も広く、部屋の間もほとんど仕切りがない。それに庭の広さは境界がよく分からないほどだ。台所も2つあり、庭には4方がガラス張りの工房がある。Carmenさんが趣味で陶芸をしているので、中には釜もある。しかし夫のCarlosさんの趣味は果樹園で、広い庭には何と450本もの多種多様の果樹が植えられている。計画ではこれを600本まで増やす予定とか。十分間隔をとって植えられているのに600本の果樹を植えられるだけの広さの庭を歩き回って、剪定し、肥料をやり、除草をして、灌漑用水路から水を引き込む。ちょっと紹介されたものだけでも、サクランボ、梅、桃、柿、シェリー、ビワ(日本種とスペイン種)、アーモンドそれにマドロニョという赤い実のなる木など。アーモンドなど白い花のガクの部分にすでに実が入っているのを、私がおみやげに持っていったハサミで、切って見せてくれる。Carlosさんもハサミの使い心地が良いのか、とてもご機嫌。

やがCarlosさん、庭でバーベキュの支度を始める。ブドウの実を収穫した後、大きな枝をほとんど切り落とすことには前に触れたが、その切った枝はバーベキュの薪になる。これで肉を焼くと独特のブドウの風味が肉にしみ込み、うまくなるというので、この枝は珍重され高価で取引される。新聞紙で火をつけると見る間に大きな炎が暗闇の庭を照らす。その中に焼き網をさらしてまず丁寧に「消毒」をして、子羊の肉を焼く。これらはすべて男の仕事。

部屋に入るとCarmenさんの友人たちが到着している。彼女の弟とフラメンコの教師をしているCharo Alvarezさん、その父でフラメンコ・ギターを弾くAurelio氏。それに彼のギターに合せて歌う歌手のPedroさん。我々を歓迎してフラメンコを実演してくれるためにCarmenさんがわざわざ手配してくれていたらしい。Carmenさんの1歳半の孫娘Joanaちゃんはテーブルで上機嫌。小さな手に大きなスプーンをもって、日頃の恩返しか、隣のパパの口に食べ物を運んで食べさせる。パパが喜ぶと本人、得意顔で歓声をあげる。Carlosさんが庭から焼きあがった子羊の肉を持ち込み、Carmenさんがハサミでソーセージを切り分ける。更に自家製のパンに包丁を入れる。地下室に眠っている特製のリオハ・ワインが開けられる。Carlosさんが「新しい皮袋に入った新しいワイン」を持ち出した。それを高く掲げ、細い口から飛び出す噴水のようなワインを口で受ける。出来るだけ長くて高いワインの噴水を作って、こぼさずに口で受け取る競争。ワインの国のワインの里の住民だけあって、皆離れ業をこなす。喝采。

そしてみんなのお腹が満たされたころ、そのCarmenさんの居間で「フラメンコの夕べ」が始まった。最初にAurelio氏のギター独奏。スペイン人の激しい情熱のリズムの中に何か憂いを帯びたEmigranteという名の曲。英語だとEmigrant(祖国を離れていく移民)。かつては世界中に植民地を構え、かの地へ向って祖国をあとにする人たちを送り出す惜別の情がにじむ。同じように世界を二分していたポルトガルの民謡、ファド(Fado)にも似た音楽。(www.aizawa.2y.net/Pt3.htm)  次にここで15年もフラメンコの教師をしているCharoさんが見事なカスタネットのリズムを披露。父親のAurelio氏のギターとうまく呼吸を合せながら両手でカスタネットを打ちながら何度も頭の上にきれいな弧を描く。ものすごい速さの連続音なのに1つ1つの音がハッキリと強く出るのがすごい。あとでこの本物のカスタネットをおみやげにもらったとき、実際に手にはめて指導してもらった。これは家内への贈り物ということで、帰国後に私が手ほどきするということだった。親指からカスタネットを吊るすように紐に2つの輪を作って親指を通し、あとの4本の指で引っかくように打つのだが、つい指に力が入ってしまって良い音が出ない。でも少し連続音が出来ると皆で喝采してくれた。

フラメンコの歌を歌うPedroさんは明日が63才の誕生日。大きな高い声を出すのはかなり大変のようだが、すごい音量と迫力。それに合せてCharoさんがつばの長い赤い帽子を振りながらフラメンコの真髄を披露。あるときは帽子を垂直にかざしてオレと声を出して突き出す。あるときは両手で持った大きな帽子で大きな円を描きグルリと回転、長いスカートが大きく広がる。指先の動きも実にしなやかで小さな花火のように変化する。笑顔の余裕の中で、バカでかい帽子と戯れているようで、きれいにポーズが決まる。さすがに年季の入ったダンスだ。

最後にAurelio氏が我々日本からの訪問者2人のために即興曲を作って演奏してくれた。よくリズムの効いている曲だが、やさしい美しい旋律。みなの手拍子に合せて、つめの先からほとばしり出る音色にしばし時を忘れ、うっとりと過ごしているうちに、もう真夜中の12時近くになっていた。Daniel君が私のところに来て、「あと5分で12時になったら、Feliz cumpleanos, Pedro!(誕生日おめでとう、ペドロ!)と叫んではどうか?」と言ってきた。知らぬ間にPedroの誕生日が近づいていた。Daniel君は気を利かせてPedroを驚かせてやろうと仕組んだのだ。私は何とかよく分からないスペイン語を発声した。皆が気がつき、歓声があがった。Pedro氏がうれしそうに笑顔を浮かべている。ふと見ると、1才半のJoanaちゃんも皆と一緒に起きて「歓声」をあげていた。

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