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4/18() San SebastianMontpellier

10日にも渡ったスペイン滞在も今日で終わり、6日間もお世話になったCarmen, Carlosさん一家ともお別れだ。朝食を皆で取った後、ホテルでお別れをして、駅までCarlosさんとDaiel君が送ってきてくれるSan SebasitianとフランスのHendayeという国境の駅を30分で結ぶEusko-trenというローカル線だ。まだ朝早いので駅にはあまり人影がないが、棒を持った2人ずれの男がうろうろしている。Carlosさんが駅のガードマンだという。駅は犯罪の起こりやすいところで常に警戒が必要のようだ。電車は時間通り到着。2人に別れを告げて、電車に乗り込む。通勤電車だが、日曜日のせいか、ガラガラ。車窓にはバスク地方独特の大きな屋根の四角い家が飛んでいく。スペインの北東端とフランスの国境の向うまでの地方は真ん中に国境を挟んではいるが、同じバスク民族が住む。スペインの他の地方と同じように別の言語を使い生活様式も違うらしい。このあたりは冬は寒いので、その大きな家の1階部分は大雪などのときに家畜を避難させる場所にも使っているとCarlosさんは言っていた。

電車は終点のHendaye駅に着く。一歩出るとすべてがフランス語に変わっていた。あいさつもBuenos Diasだったのが、急にBonjourに。隣接しているフランス国鉄(SNCF)の駅(Gare)に行くと、何となくあたりの様子が変なのに気がついた。切符売り場のガラス張りのコーナーはカギが掛けられ、暗くなっていて誰もいない。ホームにも、改札口付近にも駅員らしい人もいない。待合室には10人くらいのバックパッカーがたむろしている。その中に1人だけ私服でコソコソと何か説明している人が目に付いた。どうも駅関係者のようなので、しばらく順番を待って聞いてみる。予約しておいた南仏モンペリエ行きの切符を見ながら、「今日は午前中ストで、この切符の列車も運行中止だ。モンペリエに行くのなら、パリ行きに乗って、ボルドーで乗り換えなさい。しかし今日中に着けるかどうかは分からない。しかもこれは換金できない切符なので...」と言うだけ。アイスランドで大噴火があり、昨日はほとんどの飛行機が飛ばなかったと聞いていたので、最初はその影響かと思っていたが、全くの見当違い。しかも今はまだ10時前なのにパリ行きは1357分と17182本だけ。駅前のAvisレンタカーの事務所へ行ってみても、ストのせいか、「今日は乗れる車を確保できません」と張り紙があるだけで、ここもカギがかかって人がいない。あとで別の駅員に聞くと、何とこの1週間ずっと午前中ストが続いてきたという。もう少し詳しく調べてくれば良かったと後悔しても後の祭り。しかしみなスト慣れしていて、特に怒っている人もいない。

出発の1時間位前にはパリ行きの長い列車が到着。でも出発15分前までは乗車させてくれない。しかもこの列車すべて指定席。「振り替え乗車」(?)した我々のような客は空いている席にとりあえず座る。そしてその席の指定券を持った人が来ると、また別の空いている席へ移動。まるで渡り鳥。でも1日に2本しかない列車ではとてもさばききれず、2等車では次第に座れない人が出てくる。車内の通路やつなぎ目などには座り込んでいる人でトイレに行くのも大変。我々はたまたま1等車だったが、座った席を2度追い出されて、2度目は離れたところにやっと1つ席を見つけて座り込んだ。いつもは空いている外国の列車でこんな日本のお盆のような混雑を経験したのは初めてだった。

列車がボルドーに到着すると、すぐにホームへ飛び出した。コンコースで4分後に出るマルセイユ行きの列車表示を見つけて、駅員にモンペリエを通ることを確かめた後、急いで乗車。運が良かった。パリ行きとは反対の下り列車だったので、先ほどの列車ほどの混雑はない。これで夜の9時過ぎだが今日中にモンペリエに着ける。ホッと胸をなでおろす。ヨーロッパの列車はあてにならないと外人によく聞かされていたが、ストも経験しないとピンと来ない。

横の席にいたマルセイユ大学に通うフランス人の学生が話しかけてきた。英語はあまり得意でないようだが、何とか通じる。話しているうちにWhat do you think French weakness is?(フランスの弱点って何だと思う?)と聞いてきたので、思わず「スト(Strike)だよ」と英語で言ったが通じない。話しているうちに分かったがフランス語ではGreveというとのこと。政治学専攻の大学生とでもこういうレベルの話にしかならない。

4/19() Montpellier→Bedoin

今日はAvisのレンタカーを借りる予定。気まぐれな列車のストに振り回されずに済むと考えるとホッとする。実際、モンペリエの駅の電光掲示には「ストでTGVなどのダイヤが大幅に乱れています」と出ているし、列車の出発掲示板にも長距離列車は1時間遅れとか1h30遅れの表示が出ている。しかしレンタカーは比較的時間がかからずに借りられた。SEAT社の Ibizaというスペイン製、黒のディーゼル車だ。でも加速は悪くないし、音も思ったより静かで燃費も安い。左ハンドルの上、マニュアル車なので右手で変速機を操作する。例によって、方向指示器も右手なのに、左手がつい出る癖がついていて、乗り始めは雨でもないのにうっかりワイパーを動かしてしまう。

まずアビニオン郊外の、水道橋(Pont du Gard)へ。2000年以上前に造られたローマ時代の水道橋がほとんどそのままの姿でGardon河にかかる。あたりはほとんど民家もない広々とした岩と緑と青い空の中にそびえる威容。JJルソーがこの橋を見て、「自分はどうしてローマ人に生まれなかったのか」と嘆いたほど感動したと伝えられているが、近くに立っているだけで、何か不思議な高揚感がある。ローマ人が築いた建築物の中で一番高いのがローマのコロシアムだそうだが、それより2m低いだけだという。やや楔形になった分厚い石を組み合わせてうまくアーチを作っていき、それを3重に積み重ねて地上約50mのところに300m近い水路を造った。それがそのまま嵐や洪水に2000年以上も耐えているのだから、驚くべき世界遺産だ。近づいて見るとアーチを作る大きな石の角は風化して欠け落ちているところもあるが、下層の橋は実際毎日何千という観光客が渡るのを支える。あまりの高揚感からか橋の真ん中から下に飛び込む人もいるらしいが、橋の下は風が渦を巻いていて、まともに飛び込めず水面に腹を打ってひどい目にあったり時には即死だとか...。もっとも右岸ではライフガードもいて水泳も許可されている。

幸か不幸か我々はtoo old to jumpなので、対岸のお城のようなレストランで昼食にする。野外の河の傍の絶壁のふちにテーブルと椅子を置いて大きなパラソルで日陰を作ってある。しかし崖の傍の良い景色を望めるテーブルの1つにはパラソルがなく、欧州人は太陽光線に弱いので、お客がいなかった。我々はその席を取った。太陽がやや暑く感じるが、微風も受けて快い。下の川面では緑と黄色のカヌーに乗った若者のペアがオールを振り上げて進むのが小さく見える。対岸の岩場では子供たちが水遊び。食事がなくても実に爽快な気分。車だから今日はワインはご法度にしたが、水がうまい。でも食事も焼肉に面白い野菜が添えられていて、それなりにおいしかった。

今度はアビニオンの南10kmくらいのところにあるレ・ボー(Les Baux)へ向う。アールピー(Allpilles)山脈のある岩山全体に城壁を築いてその中に造った中世の村だ。岩山の下の道に駐車して駐車券の買える機械を探していたら、後ろで車を発進させようとしていた女性の声。自分の使った駐車券にまだ十分時間が残っているので使ってくれと言う。親切に甘えて使わせてもらう。

そそり立つ岩山の岸壁がそのまま家の壁になっていて小さな窓らしい穴が切り込まれている。さらにオーバーハングした岩の上にも時計台のある石壁の建物。外から上っていくと鉄でがっちり補強された小さなくぐり戸に出る。ここが唯一の村への出入り口のようだ。マウンテンバイクもこれ以上は無理のようで、そばに立てかけてある。薄茶色の石壁からはクラシックな街灯が突き出す。場内は小さな町になっていて、迷路のような石畳の坂道が縦横に走り、小さなカラフルな店が並ぶ。一番上には教会もあり、プロヴァンス地方の美しい風景が眼下に広がる。この天然の要塞を利用した町を支配したボー(Baux)の領主は11世紀にはこの辺り一帯を支配し、バルセロナと張り合うほどの力を持っていたらしい。周りから捕らえてきた囚人から身代金が取れないと崖からどんどん突き落として殺したそうだ。

再びそのままアルビオンの町の混雑をやっとの思いで抜けると、ブードワン(Bedoin)の町へ。ここはベルギーの友人Debastさんがかつて自分の休暇で家族と1ヶ月過ごした場所だ。我々は、彼の薦めもあり、更に4kmほどMt. Ventouxの方向に行ったSainte Colombeという村のLa Garance(アカネ)という小さな民宿をネットで予約していた。車で着くと、玄関で、かつては山奥の山小屋を経営していたというFelixNatalie夫婦が日本からの我々を入口で待っていて出迎えてくれた。物静かで上品な感じの老夫婦で、早速部屋へ案内し、庭に出て草花を説明してくれる。6つくらい部屋のある民宿だが、今のところ我々が唯一のお客のようだ。周り1面に果樹園が広がり、少し離れたところにレストランと村の教会が見える。反対側も果樹園のはるかかなたに雪をかぶったMt. Ventouxが青空の下にそびえ、光っている。1晩1室61ユーロ。夕食はすぐ隣の小さなレストランへ。フランス語しか通じないのでちょっと手こずったが、安くてうまい料理とワイン。上機嫌でホテルへ戻るとドアがうまく開かない。大家さんはどこか近くの自宅に帰っていていない。よく開け方を習っておいたはずなんだが...。ホテルの他の窓に明かりも見えないし、物音一つせず、恐ろしいくらい静か。その暗い一角でしばらくガチャガチャやっていたがどうにもならなかった。仕方がないので、携帯で大家さんの自宅に電話しようとしているときに、そのドアがスーッとあいて、一人の男が出てきた。偶然にも一人だけ他に宿泊客がいて、物音を聞きつけて内側から開けてくれたのだった。欧州ではよくカギを同じ方向に2回転させないと開かないのは承知していたが、ここは3回転させるシステムだった。難しい。ベルギーから毎年ここにやってくる常連で、勝手が分かっている人だった。翌朝、彼と朝食で顔を合せた。昨日の「救世主」は大家さんの前で手柄話をして皆で笑った<このページ上部へ移動>

 

4/20() Bedoin

宿の主人Felixさんが付近の細かい地図を用意してくれて、ハイキングコースを詳しく説明してくれる。はるか向うに白い雪を頂くベントー山はまだ雪が深くて頂上は無理だろうという。でも車で行ける所まで行ってみようと出かける。広々とした果樹園が消えて、森林地帯に入る。舗装されているけど中心線もない狭い道。しかし連れ違う車はほとんどいない。ときどきバックパックを背負った自転車の若者が急な坂をギアを落としてゆっくり上がっていく。緑の林の中をヘアピン・カーブが続く。やがて急に展望が開けたと思ったら、回りは雪の世界。雪をかぶったなだらかな峰が波打つ。1m2mの雪の壁の間にグレイの除雪された道が切り込んでいく。その雪に太陽が当たり、まぶしく光を反射する。向うの山の稜線の一番高いところにアンテナの付いた観測所のような四角い建物が見えてくる。所々岩場が露出しているが、ほとんど一面雪に覆われて、道の方向を示す黄色と黒の縞模様のポールが道に沿ってきれいに並ぶ。片方は大きなナイフで切り取った断面のような垂直な雪の壁。反対側は風紋を付けた白い砂漠のような下りスロープの大雪原。ところどころに避難小屋のような石室。風は意外に弱いが寒い。同宿の61才のベルギー人も自転車でこっちへ向っているはず。果たしてこんなに登れるのかと思う。

何とか頂上に到着。1910mと書かれたベントー山頂の看板の前で、雪の上に立って記念撮影。雪の稜線の向うには雪のない青い低地の小さな山々がうねっている。更にその向うにはプロバンスの平野が広がる。

再び同じ道を引き返す。下に行くにつれて雪の中から針葉樹が三角形の頭を出す。と、まもなく見慣れた緑の平野が現れる。タンポポのような花が緑の中に星のように点在する。サクランボの真っ白な花を付けた木々が通り過ぎる。低い幹だけが並ぶブドウ園。オレンジ色の壁と屋根の家が緑の中に納まってきれい。

やがて小さなブードワン村に到着。青い空の下、黒味がかったベージュ色のまだらな瓦屋根の上には傘のついた四角い煙突が突き出す。その下に柔らかいベージュの壁には白枠の窓。その窓には青やエンジの両開きの雨戸。壁が長年雨に打たれてそぎ落とされ、中の茶色の石がゴツゴツと飛び出しているのもある。崩れかかった泥の壁の隙間からは勢いよく植物の緑が飛び出す。そんな壁にも、日当たりの良いところには洗濯物。通りの名前を書いたプレートはきちんとはめ込まれて、旅行者にはありがたい。でも狭い石畳の通りは暗い影になり、人影がほとんどない。通り抜けると同じようなベージュの壁、屋根、の家々が続く。ところどころに鋭く天に伸びる糸杉(cypres)。まるでゴッホの絵だ。比較的広い通りへ出る。教会の鐘がほとんど人影がない町の中に響き渡る。道路わきに立っているだけで、横断するのかと勘違いして、車が止まってくれる。ここは街中なのだろうが、スーパーもコンビニもない。ときたま小さなレストランの店頭にメニュの黒板が見える。街中なのに鳥の鳴き声が響く。4月でも日向は暑い。

午後からは宿の主人、ご推薦のハイキング・コースを歩く。静かに太陽だけが照りつける昼下がり、廃墟のような教会の脇の農道を進む。道端に小さな道祖神がある。1m位の白い石造りの三角屋根のミニミニ教会の上には小さな十字架。中にはかわいい(?)マリア像が格子の間から見える。例によってT字やY字形の幹だけのブドウが傾斜した土地にずっと向うまで真っ直ぐな列を作って一面に広がる。木と木の間はワイヤーで結ばれていて、枝がそれに沿って横向きに成長するようになっている。ここではサクランボやブドウなどの果樹園は人の身長の高さ以上にはならないようにコントロールして、日当たりや収穫、剪定などの管理をしやすくする工夫が徹底している。しかも果樹園全体は緑の草で覆われているところも多く、そこでは一面に例の黄色いタンポポが点在して、牧歌的な雰囲気をかもし出す。果樹園の淵には石と泥で作ったような丸い小さな室や小屋がある。中は井戸になっていて、果樹園の水源だった。

青空に白い雲。鳥の声の中を歩く。コースは途中大きな道を横切って山に入る。大きな廃墟を抜ける。赤土の土壌は穀物栽培には無理でも、ブドウには適しているようで、他方レンガ造りの家の材料にもなっている。食と住で人の生活を間近で支えているようだ。この低い山の稜線からは美しい平野が望めるからか、山の中にも家がある。そういう場所ではさすがに犬を飼っていて、そばを通るだけで吠え掛かる。巨大な松かさが落ちている。鱗片がまるで厚い舌のようで、ソフトボールくらいはある。

山から出ると、また強い日差し。少し疲れたので、道端の青い草に寝転ぶ。草の匂い。すぐ目の前に黄色のタンポポ(?)が群生している。と、まもなく突然大きな犬の足が目の前の草の上を横切った。縄を付けずに近所の人が犬を散歩させていたらしい。また車が1台かなりのスピードで通過する音。歩いていると平和で静かだが、定点で寝てみると生活が感じられる。

近くの家で瓦の取替えの工事が進行中。そばを通ると、職人が屋根の上から手を上げて、笑顔を見せる。このあたりでは日本人も珍しいらしい。遠くに今朝登ったベントー山の白い頂きを見ながら、ホテルに戻る。

4/21() Bedoin→Nice

ブードワン(Bedoin)の北10kくらいのところにヴェゾン・ラ・ロメーヌ(Vaison la Romaine)というローマ時代からの村がある。2000年も前にワインやオリーブ農家が中心のローマの植民地として栄えたが、当時の人口6000は、どういうわけか、その後減り続け、やっと最近6000に回復したという。ローマ時代に建てられた6000人収容可能の円形劇場を現在もそのまま使っている世界で唯一の村だ。しかし村の南側の断崖にそびえる巨大な城址は崩壊がひどく、周りから眺めるだけ。しかし外から見るとオーバーハングした崖の上に大きくそびえる城は崩れかかっていても美しいし迫力がある。城がある岩山全体が城壁に囲まれて、その内部に折り重なるように背の高い石の家が並ぶ。両側を石の壁に挟まれた谷間のような細い石畳の坂を上がっていくのは独特の趣がある。両側の家は時には石造りのアーチでつながれ、その下の「トンネル」を進む。小さなギャラリーがある。入口に「星の王子さま」の挿絵のような幻想的な多彩の絵が並べてある。雲の上の家に長いハシゴをかけて木を届ける人の絵がカラフルだ。入って若い女性の店主に聞いてみると夫と二人で全てを描いて売っているという。過去にタイムスリップしたような村だが、不思議に未来へスリップした絵(?)が似合う。ローマ時代や中世を引きずっている古い村は沢山あるが、ここは何かちょっと趣が違う。

アルビオンを抜けてニースへ向う。途中好奇心から、かつてOto10年前に街で強奪にあったという南フランスのAix-en Provenceという町へ寄って昼食。繁華街で9ユーロのピザを注文して二人で半分にして食べようとしたが、大きくてとても食べられない。結局1/4で十分だった。彼らのお腹はどうなっているのだろう? それにしても特に危険を感じる街でもなかったが...

れからはニースまでコート・ダジュールの海岸沿いを一直線。高級保養地の近くのせいか道路にはやたらに料金所がある。区間ごとに安いと2.6ユーロ、高いと16ユーロも取られた。大抵は自動支払い機に横付けして払うが、ぴったり寄せて車を止めても、機械の位置まで距離がある。現地語の指示を読みながら、手を伸ばしてやっとの思いで操作するのは楽ではない。人がいる料金所だとホッとする。それにニースの街入って夕方の交通渋滞に巻き込まれる。広い道でも一方通行の交通規制がかかり、ナビがあっても結構大変。ニース駅前にホテルを取ったが、地下に駅の駐車場があり、ホテルが特別契約をしていて1泊駐車5ユーロで助かった。<次ページへ>

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