●ここをクリックするとこの旅行の1頁目に戻ります。


4/20(
)

  オーランドを出てフリーウェイを南へマイアミの方向を目指す。フリーウェイ沿いにはガソリンスタンド(gas station)もなく、トイレもできないので、2時間も運転するとフリーウェイから降りて、その近くの町でWalmartスーパーを見つけてトイレを使わせてもらう。脇に大きくて丸い艶々したグレープフルーツが山のように積まれている。199¢。あとで道路ワキの休憩所(rest area)のテーブルで食べたら、やわらかく、ジューシーで淡いピンク色の実が口の中でとろけるようだった。切るときもナイフの刃より先にひとりでに切れる感じで、外皮もピンと張っている。やはり栽培地の味はこんなにも違うものかと感嘆。あとで知ったことだが、このIndian River Countyと呼ばれるあたりのグレープフルーツが最高のものらしく、本場フロリダも他の地域のものはもっと小さくて外皮も汚いし、このうまみはなかった。

 アメリカのスーパーは日本より安いせいか、いつもアメリカ人の買い物の量には驚く。カートも日本の4倍くらいあるものを使うからかもしれないが、まるで食料品店でも始めるのかと思うくらい1度に大量に買い込む。食べる量も我々の2倍くらいにはなるので、彼らには当然の量なのだろう。でも、タコがスカートをはいたような格好の女性や、太いタイヤを2本くらいお腹に巻いたような男が珍しくないのは、「安い→大量買い→大食い」のパタンに乗せられている生活の結果のようだ。実際、どのレストランでも我々には食べきれない量の料理がでるので、我々は1人分をとって、取り皿だけ2枚もらって、半分ずつ食べたが、満腹になった。我々が日本で見る1斤のトースト用のパンはどこにもない。食パンはどれも長い30枚か50枚位の袋だけだ。しかたなく、ホットドッグ用の6つ入ったものを買う。ハムなどは皮肉なことに、95%脂肪を抜いたものなどを売っている。それを買って野菜など一緒にホットドッグ用のパンに挟むと即席のランチになった。

 スーパーのお客用の掲示板に面白い広告を見つけた。地元の小学校か中学校の現職の教師が、自宅で放課後か夏休みに金を取って、個人指導かグループ指導をしたいというものだ。平日も330530までと決めて、1時間に20ドル(2,160)で大学準備校(prep)への代数や国語を教えるらしい。特に7年生の成績はPrepへ進む際の入学判定に使われる。だからその準備が必要で、彼らをターゲットにしているようにも見える。受験熱はここにもあるが、日本の教師には考えられないこんなことも許されているのだ。

 もう1つの広告は、生まれた犬の子供を売りたいというもの。私の家で飼っている「柴犬」と同じShiba-inuは英語に入っていて、185,000円もするのにびっくり。日本で高い値がつく小型のペット犬は逆に35,000円程度であった。帰国して改めて我が愚犬を見直した次第。

車は、高級別荘が続くWest Palm Beachに近づく。時速35マイルに制限された道路に沿って閑静な別荘が並ぶところをゆっくりと進んでみる。両側に美しい海が続く、細長い半島の真ん中に道路が走り、道路の両側には文字通りヤシの木(palm)が風にたなびく。ヤシの根元にも色とりどりの花が植えられ、広い緑のスペースがきれいだ。その緑に沿って、黄色の塀や生垣があり、ところどころにいかめしい門が立つ。囲いの中は熱帯樹に囲まれたスマートな白い建物がある。この近くにはケネディ家やロックフェラーの別荘もあるはず。別荘のウラの方は海になっていて、そこには、寝泊りが出来るような豪華なボートが必ずつながれている。はずれの方には分譲マンション(condominium)もかなり建てられていて、避寒地の人気を示す。実際、今朝のテレビニュースにはSurprise Snowという見出しが出て、シカゴ付近では春の雪が5,6cm積もったと報じていた。だが、こちらでは30度近い気温で、浜辺では海水浴客が肌を焼いている。

実際、海岸で肌を焼く趣味はアメリカ人の強い関心事のようだ。だから海岸近くのホテルは人気があり、値段も高い上に週末は予約が必要だ。道路に接した狭い海岸でも、近くの平凡なホテルで1部屋150~180ドルが最低だと付近の人は言う。実際いくつか海岸沿いのホテルを当たってみたが、週末のせいかどこも満員であった。仕方がないから、少し内陸に入ってHoliday Inn Expressというところに決めたが、そこでも1部屋129ドル(14,000)であった。

4/21()
  朝通勤の時間帯にマイアミを通り抜けた。市内を抜ける大通りは東京と変わらないノロノロ運転。面白いのは朝9時まで「カープール専用レーン」(写真の左レーン))があることだ。ロス付近にもあったが、通勤に相乗りでくる車だけが通れるレーンだ。つまり2台の車に1人ずつ乗る代わりに、2人を1台で運んで渋滞を半分に減らそうというキャンペーンだ。我々も2人だから、そのレーンに便乗させてもらった。ちゃんと警官がところどころにいて、1人運転の車を見ると捕まえている。実際、そのレーンはスイスイと進み、気分がよかった。となりのレーンを見るとほとんどの車は1人運転だ。

 マイアミを抜けると、南下する国道1号線のバイパスもFlorida Cityまでガラガラで、快適なドライブ。そこからはフロリダ半島の南3分の1に広がる大湿地帯に入る。その大自然の中を1本の対面通行の道路が半島南端のFlamingoという地点まで延びている。エバーグレイド国立公園 (Everglades National Park)だ。この9336号という道に入ると対向車もほとんどなくなり、大自然の中を一人進む感じだ。近くのマイアミの混雑は何だったのだろうと思う。

 それでも道路の両側には最初のうちは、かぼちゃなどの野菜畑が広がっていた。それがやがてヒノキ(cypress)の林になり、知らぬ間にマングローブらしい木々に代わっていた。車を止めて外に出ると強い日差しを全身に浴びながら、鳥の声だけが響いてくる。たまに車がビューンという音を立てて通り過ぎる。このあたり一帯は湿地帯なので、この道沿いに無数の湖があるらしく、わき道が多い。そのうちの1つNine-Mile Pondと書かれた標識のところに入ってみる。人っ子一人いない静かな湖畔で、赤頭の黒い鶏のような鳥、ハゲワシ(vulture)が数羽たむろしている。近づいても怖がらないので、湖水の方へ進みながらビデオを回す。ふとビデオのファインダーから目を離すと、3メートルくらい先の水辺に顔と背中だけを水面に出したワニが目をむいている。襲い掛かってきたら逃げられるかな、などと考えながらビデオを回す。それにしても、人けのない大自然の中でワニやハゲワシと直接対面することになるなどとは思いもかけなかった。

 フロリダ半島南端のフラミンゴの生息地でもあるFlamingoは、国立公園の中のせいか、かなり大きなロッジが1つだけある場所だ。スパニッシュ・モス(Spanish Moss)と呼ばれるボロボロの黒いカーテンのような寄生生物が大木の枝から不気味に垂れ下がる下が駐車場所になっている。人家は1軒もない。この雰囲気が気に入ったので、ここに1泊することにして、ロッジの事務所に行く。管理もボランティアがやっているようで、親切・丁寧で感じがいい。海が見渡せる部屋が2人で78ドル(8,400)というから随分良心的だ。食堂もここのロッジのものが1つあるだけで、観光ボートもロッジの経営。だから滞在者用のカードを発行して、それを見せれば現金の受け渡しなしに処理されて、チェックアウト時にクレジットカードで処理される仕組みがある。

 湿地帯にはマングローブが密生した1万もの「島」があるという。その間が曲がりくねった水路(canal)になり、そこを英語ガイドつきのボート(Pelican)でゆっくり見学するツアーに乗る。118ドルで2時間の旅だ。アメリカ人の夫婦や家族連れが6,7人の他は日本人の我々だけ。ガイドの英語はやたらに母音を引っ張る南部訛り(Southern drawl)があり、聞きにくい。茶色がかった緑の水面をボートは低いエンジンの音をたてながら、狭い水路に沿ってゆっくり進む。マングローブの幹から下にせり出した無数の根っこが、水面上にせりあがっている。ところどころに“No wake”(波を立てるな)の小さな看板がある。マングローブを保護するためだろう。マングローブは根が出ていても安定していて、ハリケーンの強風にも充分耐えられるそうだ。その根っこのワキにはワニが何匹も寝ている。ワニは英語ではalligator(アメリカ産のワニ)とcrocodile(アフリカ産のワニ)の2種類があるとよく言われるが、ここでは世界で1ヶ所だけ両方が共存しているそうだ。2つ簡単な見分け方はalligatorの尾が細身なのに比べて、crocodileは胴体とほとんど同じ太さの尾があることだと説明がある。誰かが「ワニはどのくらい水の外にでていられるのか?」と聞く。「半日くらいは大丈夫だが、オーバーヒートしそうになるとダイビングする」という。大きな鳥が目立つ。白サギ(egret)も多いが、サギ(heron)も茶色がかったのや青いものなどいろいろ。トキ(white ibis)やハゲワシ(vulture)も点在する。ここの鳥は全部大きい。木にとまっていても、小鳥のように姿を隠すことはない。木のてっぺんや外から見える枝に堂々ととまって見下ろす。遠くから見ると黒や白のラグビーボールが木に引っかかっているように見える。猛禽なので、天敵もいないのか、見渡せるところで獲物をねらうのが便利なのもしれない。それらが一斉に飛び立つときは実に壮観な眺めだ。

 狭い水路は切れて、突然大きな湖に出る。ボートはスピードを上げて、風をきって突っ走る。水しぶきが上がり、ボートは大きく揺れながら快走する。対岸に着くと、また細い水路に入り込み、マングローブの間をゆっくり進む。ここは本当にアメリカかと思う。アマゾンの河口を走っているのではないかと錯覚してもおかしくない。マングローブの「島」の奥をのぞいて見ても、陸地らしいのが見えないときも多い。陸が水面下にあり、マングローブだけが水面上に出ているので、島であることが分る。マングローブだけでなく、マホガニーや猛毒の木なども自生しているそうだ。

 隣の太ったアメリカ人がニコンの一眼レフ・デジカメでさかんに鳥を撮っている。ハゲワシが魚を口にくわえたまま高い木のてっぺんから見下ろしている。彼はそれを望遠レンズで撮って、自慢そうに私に見せた。ボートのまわりにワニが目に付くようになったなと思ったら、出発地点に戻っていた。あっという間の2時間であった。

 夕食は唯一のレストランで例によって野菜スープを2つとり、ビーフ・ストロガノフを1人前とって2人で食べる。満腹になったが二人で10ドルしかかからない。ウェイターもよく分かっていて、笑顔でお皿だけ2枚もってくる。レストランの窓からは夕暮れのフロリダ湾が静かに広がる。レストランの奥の半分は、外の景色が見えるように1メートルくらい床が持ち上げられている。景色も皆で楽しめるような配慮がすばらしい。食事を終えて外に出ると、スコールが来た。屋根のある2階の通路でフロリダ湾を眺めて雨を避けていると、遠くの浅瀬に無数の鳥が降りて海の中に島が出来たように見える。彼らもスコールの中で夕食をとっているようだ。すぐ上の屋根の上では、ラグビーボールを縦に置いたようなハゲワシが豪雨の中で我々を見下ろしている。

4/2()
  昨日、「Eco Pondという静かな湖があるので是非いってごらん」と言われていたので、朝食前に行ってみることにした。5分のドライブだ。静かな小さな湖だが、朽ちかかった木の展望台が作られている。誰もいない。ときどき鳥のさえずりが聞こえてくる以外は静寂そのもの。対岸の水面近くでは、背の高い葦に似た草が黒い影を湖面に写す。その先端の赤茶色の帯が緑の中で際立つ。白いサギやトキが群れを成して飛び回っている。やがて彼らが対岸の岩のいたるところに降り立つと、その白いかげが水面の対称的なところにも写り、幻想的な風景になる。気が付くと、顔や首の周りに小さな蚊が集団で襲ってきた。夢中で手を振り回し、自分の顔をたたくが、簡単には退散しない。早朝や雨のあとは蚊の奇襲に気をつけるように言われていたことを思い出す。急いで車に戻り、車内に入り込んできた蚊をやっつける。この蚊のせいもあって、ここのロッジはあと数日後の5月から夏が終るまでは閉鎖される。

 ロッジへ戻る途中、前方の真っ黒い森を浮き立たせるかのように、その上の空が朝焼けに輝く。さらに上に目を移すと、朝なのに青空が広がっている。朱色の朝焼け空が上に行くにしたがって青に変わる広がりがきれいだ。海が見えるところでは、薄暗い朝焼けを写す海で、黒い島々が静かな水面にその影を落とし、島陰からすべるように小さな船が出てくる。一筋の波がそのあとにきれいな線を描く。これも幻想的な風景だ。

 今日はこれから合衆国最南端キー・ウェスト(Key West)へ向かう。フロリダ半島の南端からさらにキューバの首都ハバナの方向に伸びている100以上の島から成り立つ列島がある。その列島の最南端の島がKey Westと呼ばれる島だ。フロリダ半島の最南端から国道1号線が島伝いに42の橋を架けて、170キロほど伸びているので、車をとばせば2時間あまりで着く。その中ほどにはセブン・マイル・ブリッジ(7-milde bridge)と呼ばれる長さが11キロの長い橋が海上の島を結ぶ。映画「キー・ラーゴ(Key Largo)」などに見られるように、ここはハリケーンの通り道で、1935年には時速320キロ(秒速90m)という猛烈なハリケーンが襲って、列車や橋を吹き飛ばし、このあたりを壊滅させた歴史もある。キー・ラーゴのように、ここの島には全部名前に、スペイン語で「島」を意味する「キー」をつけて呼ぶ。キューバに行くのもアメリカ本土に行くのも同じくらいの距離になるキーウェストには、キューバのカストロ時代以前から大きな海軍基地がある。実際、トルーマン大統領などはここにホワイトハウスの別館を建てて、冬の間はここで暖かく執務をとったようだ。ケネディ大統領も、ソ連がキューバにミサイル基地を築こうとしたときに、ソ連船を海上封鎖するためにここを利用した。

 車はFlorida Keysと呼ばれる列島の最初の島、キー・ラーゴに入る手前の橋に来た。とたんに車が止まった。見ていると橋の中央が、勝鬨橋のように開き、ヨットが帆を上げたまま何艘も通り過ぎるのが見える。そのまま5分くらい開いていて、閉じたときには長い車の列が出来ていた。島に入ると、ヤシの木がいっぱい。家も白やブルーのものが目立ち、生垣もブーゲンビリアの赤がおおっている。道の両側が海だ。左は大西洋だが右はフロリダ湾。しかし両方ともコバルト・ブルーというのか、熱帯の海の明るい青。橋のたもとの駐車スペースの1m先まで海が来ていて、岸のすぐ近くは透明な水だが、10m先は明るい青になり、ずっと沖は深い青に変わる。その上はうす青い空になるから、見渡す限り、青の世界。目を近くへ移すと、ポイ捨ては罰金200ドルとある。道理でゴミもない。

 180キロというと東京―静岡間だから、その区間に列島があって、ずっと天草五橋のように橋でつながっていると思えば、ここのイメージに近い。その中間にある11キロの橋、7マイル・ブリッジにさしかかる。手前のカーブしているところから見ると向こうの島の方に橋桁が延々と続く。もともと今の橋のところには鉄道の鉄橋があったのが、1935年の秒速90mのハリケーンで全路線の3分の1が破壊されて、復旧不可能になった。その後結局、州が権利を買い取って道路を作ったのだった。今、アメリカ大陸側に平行して走る古い橋は、トラックが2台すれ違えない狭さで、新しい橋の完成とともに、釣り人に解放された。船を通すために、ところどころで橋桁がはずされているが、釣り人で賑わっているのが見える。新しい橋も、船を通すために、中央付近で山のように盛り上げて作られている。高所から海に突っ込む道路とでもいうのか、その頂上からの眺めは絶景だ。我々がKey Westを出発して帰ろうとした土曜の朝、この橋を走って渡るマラソン大会があって、この橋は通行止めになった。だから我々は2時間遅らせて出発した。この橋の起点はマラソン・キーという島だが、毎年この11キロを走って渡る行事が伝統になっているようだ。記録保持者は、上りと下りで少し差があるが、30分台で走破するという。

 やっとキーウェストに着く。今日は週末なので、ここはInternetで日本から予約を入れておいた。町の中心、旧市街の近くの古いB&BBed and Breakfast)だ。アメリカのB&Bはイギリスなどと違って、やや骨董的な古い家を開放して、懐古趣味を満足させる方式が多い。だから安宿ではなく、ぜい沢な経験になる。私が予約したPopular House BBという所も、100年前に建てられた地区の文化財。木造3階建ての気品のある優雅な家だが、度重なるハリケーンを生き延びてきたツワモノでもある。100年前の床はきちんと手入れされている分厚い板だが、磨り減って穴があきかかった所もある。しかし、建築はしっかりしている。カギは旧式だが、ドアや窓は一応きちんと閉まる。

何よりも目立つのは装飾品だ。私達の部屋だけでも、壁1面に巨大なゴーギャンの油絵「タヒチの女」の油絵模写やさまざまの明るい抽象画が数枚かけられ、ドアの上の壁までヤシの木を抽象した模様がある。まるで美術館にベッドを置いたような感じだ。洗面や風呂の蛇口までクラシック。天井から釣り下がった大きな扇風機のファンがゆっくり回り、絵の雰囲気と一緒になり、タヒチでくつろいでいるのかと錯覚する。

細かい彫刻を施された白ペンキの柱が支える広い2階のベランダ。そこにかかるカラフルなハンモック。入り口の重々しい木彫りのドア。入口から2階へ続く階段の黒い踏み板と、その下を支える白い垂直の板のコントラスト。昔のガス灯を引き継いだようなろうそく型の電灯。居間の白い棚にも何枚も絵が並べられ、上の3段ほどには様々の色の糸や毛糸が数十本も置かれている。聞くとここの主人Jerryの母が趣味として織物を織ったのだという。そう言えば居間の一角に織機が置かれていた。Jerryが母と自分の作品をいくつか出して見せてくれる。ソフトな肌触りの生地だ。同宿のフランスから来たという女性も織物には目を輝かせていた。

B&Bだから朝食がつく。庭の熱帯植物の下にテーブルが並べてあり、外での食事。Jerryが自分で焼いたというパンを持ってくる。セサミ入り、クルミ入り、ドライフルーツ入り、チーズ入りなど種類が豊富。その中に、この全部を入れ込んだというパンもあった。それを食べた。調和がとれた味。果物も豊富。りんご、グレープフルーツ、ブドウ、バナナ、パパイア、マンゴ、梨などをきれいに切って並べてある。BBなので宿泊客も10人程度。家庭的だ。これでも1泊朝食付き、2人で99ドル。1人当たり5,000円程度なので高くはない。

Key WestErnest HemingwayTennessee Williamsなどの作家の居住した場所としても有名だ。明るい太陽とエメラルド色の海に囲まれ、南国情緒たっぷりの自然はロマンチックな雰囲気を作り、作家の想像力を刺激したに違いない。作家ドス・パソスの招きで2番目の妻Pauline1920年代にここを訪れたHemingway1931年に8,000ドルでここに家を買った。昔風の家が残るOld Townの一角にHemingway Houseとして一般に公開されている。11ドル払って入ると、用意された日本語のパンフレットまで渡される。ハイビスカスやランが咲き乱れ、熱帯植物が生い茂る広い庭に囲まれた、スペイン風のスマートな邸宅だ。中に入ると上がアーチの、床まで届く大きな窓や、しっかりしたフローリングは本当に150年以上前の建築かと思わせるほど。妻Paulineは浪費癖のある女で、天井から下がっていた扇風機を全部取り除いて、世界から集めたシャンデリアを取り付けた。台所や風呂場までシャンデリアが下がっている。挙句の果て、彼女はヘミングウェイが従軍記者でスペインにいる留守に、Key West最初の大きなプールを庭に作った。帰ってきて、プールに20,000ドルが使われたことを知ったヘミングウェイは、彼女に1セント硬貨を渡しながら、「これがお前にやる最後の金だよ」と言って離婚したそうだ。その1セント硬貨がプールの端にセメントで埋め込まれているのを観光客は見せられる。

母屋の2階にも彼の書斎があるが、彼は中庭の別棟の2階に孤立した静かな部屋を設けて、そこで午前中執筆したらしい。彼が愛用したタイプライター、椅子、テーブルを見ていると彼がそこで「武器よさらば」「持てるもの持たざる者」「誰がために鐘はなる」などの作品を書いている様子が目に浮かぶようだ。傍には、疲れたときに横になったはずの長椅子や、趣味に描いていた油絵のキャンバスもそのままある。ピカソがネコの像を贈ったほど彼はネコ好きでもあった。今でもこの家にはネコが60匹もいる。彼が飼っていたネコの子孫だという。だから、男性用の便器を改良したネコ専用の水飲み場まである。彼の猫は有名なので、最初からネコの餌持参で来る観光客もいるほどだ。

一方、Duncan St. 1431にある劇作家テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams)の家は、あまり観光客が行かない。私自身はヘミングウェイの「老人と海」(The Old Man and the Sea)より、テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」(The Glass Menagerie)などの方が好きなので、彼の家が公開されていないのは残念だった。ヘミングウェイの家がKey Westの中心にあるのに、ウィリアムズの家は町のはずれの貧民層(?)の区域にあり、狭い場所に建てられている。でも、ブーゲンビリアが咲き誇る垣根に囲まれた、赤い窓枠の白壁の家はどこか異国風で、アメリカ的ではない。彼は40年以上ここを本拠として、世界中を飛び回りながら脚本を書いた。1983年に彼が死んだあと、ここを記念館にする案もあったらしいが、結局一般の人が買って、リフォームしてしまった。

Key Westの銀座通りはデュバル通り(Duval Street)だ。赤、黄色、水色などの壁で出来た店がウィンドゥを並べて、ケバケバしい絵画や工芸品、貝細工、宝石などを売る。一方、万国旗がはためく通りでは、コロニアル風のレストランや、ロックのボリュームを上げて流すホールやバーが客を集める。ニューオーリアンズのラテン・クォーターを思い出す雰囲気だ。ニューオーリアンズを好んだウィリアムズがここを本拠地とした気持ちが分るような気もする。

この通りから少し進むと、ホワイトハウスの別館(Truman Annex)になり、その先は大西洋だ。そこでたまたま夕焼けと日没を見た。まぶしかった太陽が半分沈み、空が朱色に輝く。やがて、太陽が小さくなるにつれて、空の色が赤みを失って紫色にゆっくりと変わっていく。この夕日を見に、タクシーで駆けつける人もいる。トルーマン大統領は、毎日この夕日を見るために、「ホワイトハウス」を移したのだろうか。(クリックして次へ)

●このページの一番上に移動(この文字をクリックしてください)  ●ここをクリックすると1頁目に戻ります。