イスラエル人の50代の夫婦で、テルアビブからフランクフルト経由の長旅で3/10の朝8:35成田着。今回は到着初日の午後のガイド報告です。 到着してそのままホテル・オークラに来たので、早すぎてチェックインは出来ず、荷物を預けただけの状態で現れた。約束の1時少し前に広いロビーで待っていると、前もって写真を交換してあった人物に似たカプルが現れた。夫のH(55)はテルアビブで医療器具を販売する会社のCEO。特に良性の乳がんで「乳腺線維腺腫」(fibroadenomas)と呼ばれる腫瘍に細い針を使って超低温冷却剤を送り込んで直す新しい技術の特許を持っている。良性腫瘍とは言っても放っておくと大きくなり手術して取り出す人も多い中で、この方法は手術しないで腫瘍を殺すことで、アメリカではかなり普及していてオハイオに支社もあるという。しかし日本ではまだ調査段階で、今回は日本での普及に熱心な大学教授たちとの打ち合わせを兼ねての日本観光。奥さんのM(54)は30年間特殊学級(特別支援学校)で教えて退職し、テルアビブの大学で日本文化のコースの聴講を始めて日本に興味をもつようになり、今回の来日になった。Hはポーランド人、奥さんはルーマニア人の両親を持ち、親の代にイスラエルに移住してきた家族だが、2人とも生まれた時からヘブライ語を話し、今回も2人だけの会話は常にヘブライ語だ。 20分間隔で出る虎の門へのシャトルバスが来たので出発。虎の門駅でパスモの買い方を教えて2枚買い、私には普通の乗車券を買ってもらう。虎の門から表参道で乗り換えて明治神宮前へ。地下鉄から地上へ出ると、すごい砂嵐。突風が砂を高く舞い上げて、山手線を横切る参道の橋からも代々木体育館が霞んでしまうほど。それでもとにかく大鳥居をくぐって進む。写真どころではない。少し砂が静まったとき、例によって日本人のマスクのことを聞かれたので、花粉アレルギーの人が多いことを説明するが、砂嵐対策用のマスクがほしいほどの天気。彼らはよく日本のことも調べていて酒樽やブドウ酒が積み上げてあることも知っている。手水場を見て省略してもいいのですよと言っても、実際に手を洗いたいという。しかし洗うだけでなく、洗ったらそこで手を打ってお参りを始めたのにはビックリ。 3月の大安の日曜日とあって、境内ではあちこちで結婚式の行列や集合写真の撮影が行われていて、2人とも脇から懸命に写真を撮る。そのあと絵馬に願いを書きたいと言い出し、販売しているカウンターへ行って、ついでに3種類のお守りもお土産に買う。絵馬の板には2人で交互に「願い」をヘブライ語でしるし、サインをしてぶら下げる。ヘブライ語はアラビア語のように右から左方向へ妙な形の文字を連ねていくのが面白い。 奥さんの希望で竹下通りへ。日曜のせいか入口でコスプレまがいの若者たちがいるのでカメラの列。通りも満員電車なみでひどくゆっくりと人の動きに合わせて動くしかない。店の構えや建築にも興味があると言って、少し人通りが少なくなった原宿通りから表参道につながるファッションやブティックに奥さんは1つ1つにカメラを向ける。トイレに寄った表参道ヒルズの中のブティックでも1つ1つ綿密に見てカタログももらう。たまたま表参道沿いの小さなギャラリーで和紙のちぎり絵(押絵)の展覧をしていて入る。ピンクや白の和紙を細かくちぎって張り付けて大きな桜を1枚描くのに2か月もかかると聞いてビックリ。でも大きいものは80万円もするのも驚きだ。 オリエンタル・バザールへ。北斎の「浪間の富士」の浮世絵をお土産として息子に買う。それも故国の息子にその場でメイルで了解を取ってから決めた。一家は味噌汁が好きで、イスラエルの家でもよくガラス食器で飲んでいるとのこと。本来はお椀で飲むのだというと、木製のお椀を6つも買った。4人家族でしょう? というとお客用に2つプラスしたのだそうだ。 外に出ると寒さが急に出てきた。寒いのでコーヒーでもというわけで、近くの喫茶店へ駆け込む。コーヒーを飲みながらこれからの予定や家族のことなどを話す。イスラエルの高校では卒業時の1年前に全員で必ずアウシュビッツへ行く「修学旅行」が組み込まれているという。そして高校卒業後、男性は3年、女性は2年の兵役訓練を受けることが義務付けられていて、たまたま彼らの息子(22才)はすでに兵役を終え、娘(20才)は、この旅行の出発前に兵役終了して、そのお祝いをテルアビブの寿司屋に家族が集まって済ませたばかりだという。彼らの家はテルアビブの北で、ガザからのミサイルも飛んでこない場所だとか。 お寿司でも食べたいというので、原宿駅前のビルの2階で入った記憶のある回転寿司屋を探したが見つからない。しかし気温が急に下がり、時差ボケの疲れも見えて、奥さんが寒いというのでホテルへ引き返すことにした。山手線で新橋まで行き、虎の門方面への銀座線ホームで別れた。
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3/10に半日ガイドしたイスラエル人夫妻を3/13に再度ガイドした。今日は先方の希望で鎌倉に行くことになった。先日のホテル・オークラのロビーに約束の10分前に着いたがすでに2人はソファで待っていた。 すぐに虎の門へ歩く。今日も風がかなり強い。奥さんは昨日横山さんに勧められて買ったというマスクを付ける。先日の「報告書」にコメントされていたことを思い出してイスラエルには花粉症がないのかと聞いてみる。「そもそも『杉』そのものがないので花粉も飛ばないし、花粉症はまずない」とのこと。 地下鉄で新橋へ。JRの地下ホームからほとんど待ち時間なく横須賀線に乗る。乗車時、車内はまだ通勤客で混んでいて座席は取れなかったが、品川で3人とも座れる。車内の50分で今日の予定を打ち合わせ、鎌倉の地勢や歴史も一応話しておく。 江ノ電の1日フリー切符(580円)を買って、長谷で降りて北へ。街道沿いの小さな寺「収玄寺」に寄る。梅にまじって早咲きの桜が彼らの関心を呼ぶ。まだ桜が見られる時期ではないと諦めていたようすなので意外な気持ちと、色とりどりの小さな花が咲きみだれ、小さいながら静かで落ち着いた佇まいにうっとりしている様子。 さらに彼らの第1の希望の高徳院・大仏へ。青空に日差しも暖かで、快適。鎌倉時代の不安定な世相や度重なる蒙古襲来の不安の中で精神的な支えとしての大仏が作られ、何度も火災や津波で、像を覆っていた大仏殿が消滅しても仏像だけが生き残った状況を説明。胎内に入って、地震でヒビが入った首の付け根や層を積み上げていく鋳造法を確かめる。奥さんが前もって勉強していて、私が説明すると「ホラ私が言った通りでしょう?」と夫に一つ一つ確認する。 長谷寺へ。ここも池のまわりに種々雑多の花々が咲いていて、名前を聞かれて大変。iPhoneのノートに、よく忘れる植物名を入れてあるので、時々参照。モクレン(magnolia)、ボケ(Japanese quince)など助けられるが彼らも知らない。水子地蔵のところは神妙な顔つきで沈黙。鐘楼や墓地で日本の除夜の鐘のことや葬式などにも興味を示す。また観音堂や阿弥陀堂では「これは如来か菩薩か?」などと聞くほど勉強している。壁に貼られた大きな般若心経にも関心を示すほど。洞窟に入って壁に彫られた仏像を丹念に見る。奥の狭い穴の中に無数に並ぶ小さな弁財天には歓声を上げる。仏像は大きいものが多いので、指の先ほどのものは意外な発見という感じ。 そのあと江ノ電・長谷駅に戻り、江の島へ。人が親切に席を詰めて場所を作ってくれるのに感動。「イスラエルでは考えられない」とのこと。電車は家並みすれすれにゆっくり進みほどなく江の島へ。橋へ通じるレストランが並ぶ道で昼食場所を探す。紀伊国屋という旅館を兼ねた天麩羅屋に入り、彼は丼寿司、彼女は天ぷらを注文。2人ともご飯は少し残したがあとは全部ペロリ。椅子席で食事を済ませて一服しているとき、店の奥に畳にテーブルを置いたコーナーもあることを彼女が発見。「あそこへ座ってみたい」と言い出し、土間に靴下で立ちながら靴を脱いで2人並んで不器用に座ってご満悦。 外へ出ると強風が吹き荒れている。日照りはあるので、とにかく行ってみようと江の島へ向かう。彼は熱心に行きたがったが、彼女が寒さを訴え始め、ちょっと無理そうだったので、橋の途中で引き返すことにして、江ノ電で鎌倉に戻る 若宮大通りを鶴岡八幡宮へ。まだ桜は全然ダメ。舞殿にまつわる頼朝、義経、静御前などの話も彼女は知っている様子。先日の明治神宮と同じ酒樽の壁を見て懐かしそうに写真を撮る。実朝の死を見た大イチョウを確認後、こま犬の話のとき、狐も使われると彼女が言い出したので本殿脇の稲荷神社へ。 やや疲れた様子でコーヒーでも...ということで、小町通りのモダンなカフェに入る。話しているうちに、北鎌倉の円覚寺と東慶寺に行きたいというが、もう4時近い。ネットで閉館時間を見ると円覚寺は4時で東慶寺は5時。では東慶寺に行こう...ということになり、JRで北鎌倉へ。有名人が多数埋葬されている墓苑も有名だが、女性が平等に扱われなかった時代のdivorce templeとしての歴史の方が彼らには興味がある。しかしたまに鳥のさえずりが遠くに響くだけの、閉門間際の静けさも彼らの関心を呼ぶ。 遅くなったので、東京へ帰ろうと北鎌倉駅へ。しかし今日は強風の影響でダイヤが乱れているとのこと。来た電車はラッシュ時間のように込み合っている。やむなく次の大船で、根岸線に乗り換える。ここでもダイヤが混乱して遅延していたが始発駅なので、席は確保。そのまま新橋へ向かう。車中では雑談。イスラエルでは金曜の夜から土曜が週末だそうで、その間の安息日(Sabbath)には働くことが一切禁止されるそうだ。エレベータのボタンを押すのも労働なので、安息日の期間はボタンを触れずに使用できるようにエレベータは各階に止まる自動運転にセットされて、乗り降りするのにものすごく時間がかかるそうだ。逆にイスラエルの日曜日は他の世界の月曜日で仕事の第1日目。国際的な仕事の場合は外国が休日なので調整が大変だとか。 彼は2つの携帯を持ち歩く。一つは小さなアルファベットのボタンが付いてメイル専用に使っているノキアの端末。もう1つはサムソン製のスマホだ。WiFi機能が付いているというので、電車の中でまた私のiPhoneをルーターに使って彼のスマホでSkypeを試してみた。今度はすぐにつながってイスラエルの大学にいる息子と話が通じた。イスラエルは今とても暑いとのこと。ただ、彼はイスラエル出発時に「日本用のSIM」というのを求めていて、それをスマホに差すと、日本・イスラエル間の電話が1分50セントで使えるのだそうだ。 新橋にやっと着いて、お礼にご馳走したいとのこと。日本食のことも知りたい様子でもあったので、好意にあまえることにした。駅近くのおでん屋「一平」の前を通りかかったら「ここが良さそう」と言うので入った。おでん、天ぷらと焼き鳥を取って皆でシェアして食べた。天ぷらはお昼も食べたが、今度はビールを飲みながら、おでんのダシ、中身の説明をしながら楽しいときだった。焼き鳥も選ばれた部位によって食感や形が違うことが発見でもあったようだ。隣の席で背広の男が飲みながら契約書らしいのを取り交わしているのを見て不思議そうだったが、アルコールがここでは人間関係の潤滑油にもなっているのだというと、うなづいていた。彼らが泊まっているホテル・オークラから遠くないので、また個人で来たいというので、料理などをメモし、名刺などももらって出た。 外に出るとネオンがきれい。「私は今本当に日本に居るのだわ。日本に自分がいるのが信じられない」とやや興奮気味の彼女と、それを笑顔で見つめる彼を新橋へ送り、そこで別れた。 <次ページへ>
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