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この件は、5年前に私がガイドしたMというインド人の兄一家で、弟に紹介されて個人的に頼んできたものだが、元日という特殊な日なので、報告書を作成してみた。

Aは現在50才くらいでCiscoというグローバル企業の営業マン。アメリカのSan Joseにインドから30年前に移住しし、その後奥さん(S)をインドのデリー近くの町から呼び寄せた。息子のAs(20)と娘N16)はアメリカで生まれたのでアメリカの国籍をもち、夫婦もアメリカ市民権を持つ。今回たまたまAの両親が結婚50周年のお祝いをするというのでクリスマス休暇を使って一家でインドに戻り、その帰り道に東京で1泊して元日と2日観光することになっていた。しかし間際になって朝7時にインドから成田に着いて、同じ元日の夜12時に羽田からサンフランシスコに向かうことになったとメイルが入った。娘の高校が1/2に始業するので娘が休みたくないと言っているらしい。やむを得ず、成田に着いたら電話をくれるように言っておいたら、元日の朝8時ころ携帯に電話が来た。成田に着いたので、とりあえず成田から羽田にバスで行ってアメリカへの便のチェックインをするというので、羽田の国際線出発ロビーで10時頃会うことした。

会えなかったら携帯で連絡を取り合うことにしていたが、国際線のロビーに着くと目の前の椅子に荷物を並べて一休みしているインド人家族らしい4人がいたので、声をかけるとA一家だった。

一行はムスリムで豚などがダメ、機内食も合わなかったようで、子供たちは空腹だという。2人を連れて国際線ロビー4階のレストラン街に行き、インド料理のナンにカレーのルウをつけて食べるのに付き合って話す。血縁ではインド人だが2人ともアメリカ生まれアメリカ育ちなので、きれいなアメリカ英語を話す。兄のAsは医師を目指して大学在学中、妹のNの高校は玉川学園と姉妹校なのだそうで日本にも交換留学で来たかったらしいがまだ実現してない。食事を終えてロビーへ戻ると今夜の飛行機チェックインはAがほぼ済ませている。しかし2階のCitiBankATMで必要な日本円を引き出し、元旦の1日観光へ向かうときにはすでに11時を回っていた。

とりあえず、モノレールで浜松町へ。車内からは青空に富士がきれいに見えて皆感動。元日のためか車内もガラガラ。山手線と銀座線で浅草へ。浅草は初詣の人で大混雑。雷門の前に巾の広い長い列が出来て、交通規制をしていて門自体に簡単には入れない。門から浅草寺本堂までの参道は満員電車のすし詰め状態の人で動けない様子。この人波に入ったのでは本堂まで23時間はかかりそうなので、やはり混雑はしているが脇の道を本堂方向へ行き、やっと本堂と浅草神社の間に出る。本堂正面方向へは柵があり警官が見張っていて移動できないので、脇から説明し参拝。この状態も予測できたので、前もって参拝は無理かも...と言っておいたのだが、どうしても行きたいというので彼らも納得。そのまま二天門から隅田川方向へ歩く。スカイツリーが彼らの最大の関心のまと。最初にEメイルをもらったときにスカイツリーの展望を予約しようとしたが、正月でもあり売り切れだった。しかし外側からでいいから見たいというのでまず隅田川を挟んで写真を撮る。しかしやはり実際に行って見たいというので、歩いていくことにする。すぐ近くに立っているようだが、歩くと20分はかかる感じ。到着後当日券もチェックするが3時間待ちというので諦めて、ソラマチ屋上のベンチで彼らが持参したインドの「弁当」を広げる。インドから持ってきたナンを広げてその上にカレールウで絡めたジャガイモをの小片を置き、巻き込んで食べる。私もお相伴になったが、辛味の日本のカレーとほぼ同じ味で美味しかった。デザートは野菜を潰して作ったという甘いケーキ。たくさん食べたわけではないが満腹感がある。

もう歩いて戻るのはイヤだというので、一駅だが東武スカイツリー駅から電車で浅草へ。たまたま特急に乗れるキャンペーン期間中で、普通乗車券で贅沢な感じを経験。たった5分だが、彼らは「新幹線もこんな具合か?」と聞くくらい。

若い2人が秋葉原に興味をしめしたので、銀座線に乗り換え末広町から秋葉原を歩く。しかしAは明治神宮へ行こうと盛んに言うので、あまり遅くならないうちにと思い、今度は明治神宮へ。ここも混雑を予想したが、予想以上だった。4時過ぎなのに、参道の第二の大鳥居を過ぎて50mくらい行ったところから参拝者の大渋滞。参道いっぱいの人波がほとんど動かない。脇にも柵があり警官が並ぶ。警官に聞くと本殿まで少なくとも1時間半はかかるだろうと言う。ここもそんなに待てないので、説明だけして戻ることにして、竹下通りへ。ここはいつもと同じ程度の混雑。2人の若者が100円ショップのDaisoに興味を持ち、時間をかけておみやげ漁り。外に出て暗くなってきた通りのカラフルなイルミネーションを楽しみながら歩く。表参道もいつもはない屋台が並び、お祭り気分だが、そのため歩道が狭くなり、混雑はひどい。でも見慣れない食べ物に彼らは興味津々。暗い道を5人がはぐれないように注意しながらやっと原宿駅へ戻る。少し混雑のおさまった駅から品川駅へ向かい、品川で京急のホームと羽田・国際線ターミナルへの帰り方を教えて別れる。

元旦はほとんどの庭園や博物館などが閉鎖されている上、レストランもあまり開いてないが、それに加えて初詣のものすごさを少し甘く見て失敗した。彼らにとってはクリスマス休暇の最後に過ぎないのだろうが、日本の年末年始の感じとのギャップを痛感した。

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元旦に案内したときにインド人家族の中心Aから頼まれて、彼の奥さんの両親を2日間ガイドした。元旦の時と同じ場所にも案内したが、前回の戦争のようなガイドとは違って、全く混雑もなく平和だった。インド、Jaipur在住の父親のP79才。現役時代は上水道敷設の技術者で、インドの200都市で上水道システムを築いた。退職して25年になるが、彼が開発した技術は今も語り草になっているそうだ。奥さんのU70才。16で彼と結婚し、結婚56年だが、子供は2人だけで、2人とも米国在住、サンフランシスコとサンノゼにいる。この7年間、両親は毎年半年をアメリカで、半年をインドでの生活で、今回もアメリカへ行く途中に日本に立ち寄った。アメリカにいる6か月のうち3か月は、私が元旦に案内したサンフランシスコの娘一家に世話になり、残りの3か月はサンノゼの息子夫婦の家に世話になっている。両方の都市とも子供の家はインド人が多く住む居住区にあり、近所の交流が盛んで、それに参加し退屈しないそうだ。

1/29()

Pとはメイルの交換ができないので、正月にガイドした義理の息子のAを挟んでの打ち合わせになった。とりあえず、29日の早朝540にインドから羽田に到着し、新宿のHiltonにチェックインするというので、10時にロビーで会って、その時の体調などを見ながら、行程を決めるということになっていた。天気も快晴で見晴しも良いと思えたので、とりあえず、近くの都庁展望台に上がった。富士山も真っ白にくっきりと見えて、真っ青の空の下の東京も遠くまで見晴らせて意外にきれい。今回はたまたま南展望台に上がったが、よく行く北展望台よりオープン・スペースも広く、窓も大きい感じがするし、Lost in Translationのパークハイアットも近くて迫力があり、面白いと思った。

例によって隣のNSビルの振り子時計のところを抜けて、新宿駅まで歩く。Pはかつて心臓の血管を取り換える手術を2度したそうだが、そのとき足のふくらはぎの血管と腕の血管を取り出して移植したとのことで、足と腕に大きな傷があり、歩くのが遅い。しかしとても辛抱強く、もちろん階段も自分で上がれるし、ゆっくりでもかなり長く歩くことができる。

新宿から原宿で降りて明治神宮へ。A一家の時と違って、広い砂利道も閑散としている。インドの社寺にも手水舎があるそうだが、冷たいので省略。どういうわけか今日は大安で晴天なのに本殿前も閑散として結婚式の行列にも出会わない。ヒンズー語で絵馬を書きたそうにも見えたが、500円だというとやめた。

帰りに参道わきの野外の休憩所で彼らが持ってきた弁当を広げる。インド人家族を案内するのは3度目だが、彼らはベジタリアンであることを自覚しているのか、必ずランチ持参だ。今回の主食はナンではなくて、硬いホットケーキのようなパラタ(paratha)と呼ばれるもの。それにマンゴーをカレーで煮詰めたような辛いものを少し付けて食べる。パラタはナンのように発酵はさせないで、練った小麦粉を平たくしてそのままオイルとバターで焼くのだそうだ。私もお相伴になったが、2枚も食べると満腹になる。デザートに甘いケーキをとり、食後は、必ずキルチャ(kircha)というミントと香辛料を混ぜたものを少量口に含んで口の中を爽やかにしておく。するとチュウインガムを噛んだあとのような感じになる。

そのあと一応竹下通りへ案内しダイソーなどで日本的なお土産も買ったが、他はあまり興味がなさそうだし、歩くのを少なくすることも考え、原宿へ戻って皇居へ向かう。東京駅を見てからPの足のことも考えてタクシーを拾う。二重橋に行くと東御苑までかなり歩くことになるので、二重橋は省略していきなり大手門へつけてもらう。しかし江戸城址まで行くには長い急坂があるので、見学は日本庭園だけにする。冬なので花は無理だが、一応池、滝もあり、茶室もあるので、ベンチでゆっくり一休みできて、記念撮影もできる。

疲れているようにも見えたが、さらに浅草にも行きたいと言う。大手町から日本橋経由で浅草へ。電車もシルバーシート付近に乗り、出来るだけ座る席を確保。そろそろ夕焼けも近くなった中で仲見世通りを本殿へ。参拝者が大きな香炉の周りに集まり煙をかぶろうとする習慣はインドの社寺でも全く同じようにあるそうで、仏教がインドから伝来したときに付属した慣習も一緒に伝わったようだ。しかし五重塔には仏舎利が祀られていることは知らないようで、ここは慣習が分かれるところかもしれない。

日本の酒に興味を示したので、六区の近くの安い赤ちょうちんに入り、熱燗を少し皆で味わった。やや気難しいPもこれは気に入ったようで、「こんなうまい飲み方がどうして世界に流行らないのだろう?」と言っていた。いい気持ちになったようだったので、そのまま新宿へ送ってその日は別れた。

1/30()

10時にまたヒルトンのロビーで会う。今日の深夜0時には羽田からアメリカへ発つというので、エネルギーを保存しておく意味もあり、今日はやや控えめにして、お台場の「自由の女神」を見て、上野国立博物館へ回り、銀座を見て終わりにしようということになる。

まず、ホテルのシャトルバスで新宿駅へ。山手線で新橋に出てゆりかもめに乗る。クルーズでレインボーブリッジの下を抜けた方が印象的だと提案してみるが、Pはクルーズが大嫌い。自動運転の電車にする。お台場海浜公園の人工の海岸を歩くのも面白い...と思ったが、足が十分でないPを考え、台場で降りて最短距離で行く。ニューヨークにある大きい女神像に上った経験もあるPは興味津々で何枚も写真を撮る。レインボーブリッジもサンフランシスコのGolden Gate Bridgeとイメージが重なるようで、興味を示す。しかしその他のフジテレビ・ビル、観覧車、ショッピング施設や文化(?)施設には一切関心がないので、しばらくゆっくりその場の空気を吸ってそのまま新橋へ戻る。次は上野へ。もう1時を回っていたので、上野公園の噴水のそばで例の弁当を広げる。またパラタに付き合うのもやや億劫なので、今日はおにぎりを3個用意していった。そしてベジタリアンでもOKの梅干し入りのおにぎりを彼らに勧めた。彼らも行きがかり上、しぶしぶ(?)半分ずつ付き合ってくれたが、今日は私は自分のおにぎりで済ませた。ただ、先方も気を利かせて、スコーンのようなパンやアマショクのようなお菓子、それにリンゴも用意していて、お相伴になった。

食事をしながらの話で、奥さんを含むインド人女性が眉間につけている赤い点について聞いてみた。私は知らなかったが、ビンディ(bindi)といって、丸い色のついたビニールに接着剤が塗られたもの。着るものに合わせて違う色を使う場合もあり、結婚後に付けるのが習慣だそうで、既婚女性のしるしだという。また、P氏も上水道敷設については自信をもっていて、いろいろ説明してくれた。インドは砂漠のような場所が多く、500mくらい掘らないと水が出ない場所も多い一方で、平原や丘の上の町もあり、臨機応変に種々の掘方を開発して貢献したという。地中からの水の集め方や浄水の仕方、配水網の整備などを200都市でやり、働きすぎて身体を壊したことは奥さんも認めていた。

博物館を見たいと言っていたが、皆70才以上でタダで入れるというので国立博物館にした。それでもなかなか熱心に見て、埴輪の目的、仏像の種類、陶器、絵画、刀剣類、漢字のお経と屏風に書かれた変体仮名などにも興味を示した。たまたま東洋館ではインドの石仏やカシミールの布地の展覧会もあり、そこでは逆にいろいろ説明してもらった。興味がないとダメだが、この博物館は疲れたころには椅子が置かれた休憩場所が現れて適当に休めるので、身体が悪い人や老人には具合が良い見学場所でもある。

博物館を出て、銀座線まで歩き、銀座に出る。デパ地下をちょっと見て、Starbucksでコーヒーを飲みながら少し談笑し、新宿でホテルへのシャトルバスへ乗せて別れた。<終り>

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