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ホテルの部屋の窓の向こうに、突然巨大な白い貨物船が通る。目の前の真っ青な海を真っ直ぐ北の港へ向かう。右の奥に見える沖縄空港の滑走路へ着陸する飛行機も見える。しかし部屋の中だとサイレント映画を見ているように音は聞こえない。

レンタカーの配車がタダだというので、9時にホテルに回してもらうように頼んでおいたら、定刻15分前には、マツダのデミオに乗った人が玄関に現れて、すばやくその場で手続きを済ませる。実に能率的で無駄がない、外国のレンタカーを借りる際の非能率に悩まされてきたので、これが日本の良さだと実感する。カーナビの使い方を教わって直ぐに首里城へ。意外に「都心」の道路は混んでいて渋滞。ノロノロ進む車窓からは、泡盛の店、カラフルな南国衣装の店が並ぶ国際通りの混雑が伺える。通勤時のこの時間でさえ、観光客があふれている。

首里城の守礼門は修理中。すっぽり覆いがかかっていて残念。しかし見回すとあたりの明るい茶色の四角とカマボコ型の瓦が漆喰の網の目で固めてあるデザインがやたらに目に付く。異国的で、どこか地中海の島々のカサブランカ(白い家)の屋根を思い出させる。南国の太陽は11月でもまばゆいばかりで、照り輝く太陽の下、風物が空の青を背景に美しく映える。首里城本殿は第二次世界大戦で全てが焼失したそうだが、入念に当時の状態に復元してある。800円払って内部も見学。しかし内地とは違う中国風のデザインや装飾、漆を何層にも塗った派手な色使いなどが印象的。それにしても修学旅行生の多さ。かつては引率した身だから何とも言えないが...

太陽の国沖縄は案内人も守衛も、人種が違うように肌が茶色。でも口からは日本語がとび出てくるのでホッとする。そして内地の人より丁寧で親切でやさしく人懐っこい。

さとうきびの畑が両側に広がる大地に真っ直ぐ伸びる道路を「摩文仁の丘」のある平和祈念公園へ。首里城と違って、ここに来ると閑散としてあまり人に会わない。休憩所もガランとして人影がないし、駐車場もタダで広々したスペースに空きが目立つ。第二次世界大戦では全国から招集された日本人がここで6万も戦死したという。だから摩文仁の丘にある戦没者墓苑も県ごとに区画わけされて、全国ほとんどすべての県が、それぞれの碑を建ててその下に遺骨を納めてある。それぞれの碑は、多くの人が崖っぷちに追い詰められて自決や飛び降りたとされる絶壁に沿うように、紺碧の太平洋を見下ろす地にそびえている。見回すと近くの池に純白のツルが飛び降りてきた。そして彫像になったかのように静止して立ち続ける。あたりには小さな赤いトランペットのような花が分厚い緑の葉の間に点在する。11月なのにハイビスカスも咲いている。

沖縄で20万人が地上戦で殺されたという事実を忘れないために建てられたという六角形の高い塔「平和祈念堂」へ入ってみる。20枚前後の絵が壁にかかってはいるが、仏像があって平和を祈るだけのためのホールなのにどういうわけか450円も「入場料」を取られるのは奇妙。暗いホールの正面には鎌倉大仏と同じ大きさの仏像が暗い中で目の前の空間を見下ろす。修学旅行の征服の中学生らしい団体300人くらいが、戦争体験者の老人と思われる人の経験談を聞いている。話が終わると、関係者と学校側が仕組んだ儀式が始まり、生徒代表が壇上に出て型通りのお礼を述べ、記念品を贈る。そして生徒が先生の指示で一斉に整然と消える。暗いホールに静寂が戻る。

基地の沖縄も興味があるので、次に嘉手納基地が見渡せるという「嘉手納道の駅」へ向かう。1年前に植えたというサトウキビを収穫している畑の中の道を戻って、やっと高速道路に乗り、ナビの指示に従っていると意外に早く目的地へ導いてくれた。昼食に天丼を注文したら値段は安いのに、浅草の天ぷら屋の倍のボリュームの丼が出てきた。うまかったがとても食べきれない。道の駅の建物の4階屋上に上る。嘉手納基地の展望を売り物にして観光客を集めている。しかし実際には頻繁に離着陸があるわけではない。でもたまに来るF15戦闘機や大型輸送機のC5が離着陸する轟音はものすごく、電話などはもちろん会話も不可能になる。それでも三脚を構えた「ファン」が待機しシャッターチャンスをねらう。でも横田基地の展望や羽田空港などに比べると地方の飛行場という感じ。

中部西海岸の景勝地、万座毛に向かう。狭い駐車場しかないのに待つこともなく車をとめられる。大海へ真っ直ぐに落ち込む高さ200mも直角に切り立つアイルランドの有名な絶壁モハーを思わせる絶壁だ。ここも修学旅行生のメッカ。カラフルな短いスカートにハイヒールの高校生が修学旅行という名の下に動き回る。絶壁に沿った遊歩道は彼らに占領されてその中に入ると身動きが取れない。遊歩道に沿って育つ背の低いヤシやソテツ、見慣れない肉厚の葉を持つ亜熱帯の植物。それに地面の上にタコが足を広げて立っているような根元の別れた樹木。自然の景観だとはいえ、ここも全く無料。

すでに3時をずっと回っていたので、名護のホテル「喜瀬ビーチパレス」へ。トルコ石のように真っ青な太平洋に面して建つ真っ白な10階建てのビル。部屋から突き出たベランダに出ると、目の前には気持ちが洗われるような一面の海と白い砂浜。ハワイのようだが、ずっと静か。まだ泳げそうに暖かいのに視界には人ひとり入らない。ずっと向こうの左から突き出す細い半島にもホテルらしい建物が見える。右には遠くの本部半島が伸びているが距離があるので灰色にかすむ。その向こうから強い太陽が輝く。白いカモメが海面スレスレに飛びまわる。浜辺に沿って並ぶシュロの長い葉が風に揺れる。この展望で2食付いて17,500円。

海岸を歩いてみる。細かい珊瑚の小枝が打ち上げられて、堆積し波打ち際に小さな土手を作る。見上げるとホテルの丸いバルコニーがきれいに並ぶ。やはり異国の雰囲気。夏はダイビングやサーフィンの名所のようで、ホテルで用具も売っている。夜になっても締め切った窓越しにザーッという波の寄せる音が聞こえてくる。

夕食はシャブシャブ御膳。気のせいか太陽の国の肉は柔らかい。沖縄は太陽が強く家畜の肉まで柔らかくなるとウェイターは笑いながら言う。ここでも下の階は修学旅行生でいっぱいのようだったが、食堂は別で落ち着いた雰囲気。それも23組くらいの客だけだ。やや食べ過ぎたが明日のエネルギーの蓄積に必要と正当化する。天気予報では本土の気温が今年最低を記録したとテレビが言っているが、こちらは毛布1枚でも暑くて仕方がない。夏の寝苦しさが続いている。

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朝食は10階の展望をおかずに楽しむ。郷土の野菜やモズク、それに南国の果物がうまい。

「ネオパーク沖縄」という南国の鳥たちの楽園に行く。真ん中に池にがある森林ごとスッポリ大きなネットをかぶせて鳥を飼い、その中に人をいれて見せる動物園。でも温室ではないので、亜熱帯の沖縄で初めて実現できる環境だ。ネットの中に入ると、針のような「金髪」の冠ホウジロヅルやオレンジ色のショウジョウトキの群れが人懐こく次々に寄って来る。人の胸の高さくらいはある大きさなので、長いくちばしでこちらが突かれるのではと心配になるくらい。かつてフロリダの湿地帯で木々の高所にかたまりになってとまっていた白鷺の群れを思い出す。緑の木々の中で真紅のトキが羽ばたき赤い点を作るのは大きなリンゴを実らせた巨木のようだ。沖縄にしかいないヤンバルクイナを見たくてここに来たのだが、それは最後に姿を現わすとのこと。それにしてもここは大鳥の王国。人間が近づいても道をあけるどころか、声をあげて唸る。家内は恐れをなして数歩退散して通り抜ける機会を待つ。七面鳥に似たヒクイドリのオスが一番図々しい。大きな図体でクチバシを長い鼻から出して威嚇する。池の底を抜けるガラス張りの水中トンネルを歩くと奇妙な大魚が次々にガラス窓に迫ってくる。大きくても優しい顔つきの老魚(?)もあれば、強面のヤクザのような恐ろしい顔も近づいてくる。ガジュマル、ソテツはもちろん、「星の王子」で有名なバオバブなど森の植物も目を引く。アロエもアメリカ並みの大きさのもあるし、太くて生き生きしている。強い太陽の力をもらう南洋の植物は、葉も肉厚で、緑の輝きが違うし、形も大胆で大型だ。動物もオーストラリアのエミュやクジャク、エマ、ラクダなどよくこれだけのものを集めたものだ。しかも区画された檻など作らず、それらと直接ふれることができる自然な場面に配置されているのが良い。

最後に沖縄 のヤンバルクイナのいる一角へ。ここは300円追加料金を取られるが、絶滅危惧種を育てる苦労を考えると当然かもしれない。やはりニュージーランドの絶滅危惧種、キーウィに似て尾羽がなく、小心者で飛べない比較的小さな鳥だ。

そこを出て沖縄海洋博の跡地へ向かう。今は国営記念公園になっている施設の駐車場で隣に駐車して客待ちしていた運転手に、その一角ににあるはずの「おきなわ郷土村」の場所を聞く。するとわざわざ車から出て見通しが聞く場所まで来て実に丁寧に教えてくれる。昔からの民家とその暮らしを実際に見ることができる場所とのこと。その集落の入口に近い庄屋風の家に寄る。中にいる年老いた女性がお茶と黒砂糖を勧めてくれる。これもタダなのが沖縄らしいもてなし。雨戸が開かれたあとの広い縁側と障子との間は外からのお客をもてなす社交の場だ。となりの和室の障子と雨戸も開け放されて中を風が抜け、この温暖な気候の中での開放的な暮らしが分かる。面白いことに土壁は一切なく、その部分は全部板張り。ガラス窓も一枚もない。つまり文字通り木と紙と畳だけの家だ。片隅には蛇の皮で作る沖縄三味線がいくつか置かれて地元の人が手にとって感触を確かめている。仏壇にも仏像はない。聞けば「自然崇拝」だからだという。「仏壇」には、まるで会社の出勤時に裏返す木札のような板が位牌の代りにぶら下がっているだけだ。戒名という制度もなく、実名をこの札に書くだけ。この質素で人間味のある環境で生きる人たちが長寿になる理由がよく分かるような気がする。

次に普天間基地が見える場所に行ってみることにする。那覇の直ぐ北の宜野湾市にある嘉数(かかじ)高台公園をナビで探して直行。郷土村のある本部半島の突端からだと高速道路分の57キロを含んで1時間半はかかる。どこにでもありそうな町中の小さな公園には40段くらいの石段で登る高台がありその上に小さな3階建ての展望台がある。そこからは普天間の街を挟んで飛行場が展望できる。展望台のすぐ上を巨大な米軍輸送機が低空でかすめ、着陸していく。遠くの駐機場には軍用機が並び、手前には今騒ぎになっているオスプレイが並んでいる。こちらの頭上をかすめて行く飛行機ばかりを気にしていたら、いつの間にか飛行場の上空にオスプレイが1機飛び上がった。いろいろ物議を醸してはいるが、確かに長い滑走路が無用のこの新鋭機は画期的な発明だ。そしてこの展望台もこのトラブルがもとで人を集める観光スポットになっている。階段を真ん中まで降りたところの脇に、戦時中に作戦計画を練った壕があった。入口は狭いが、中は随分奥まで掘り進められた地下壕だ。一見楽園に見える沖縄だが、戦争の傷跡があちこちに残る。

厳しい歴史の変化を乗り越えて、独特の文化を保存し、気候の上で恵まれた環境が生み出す変化に飛んだ動植物とともに生きる沖縄の人たちの生活が新鮮な印象を残してくれた。格安航空券は、この日本でないような日本をより身近なものにしてくれて、その良さがもっと知られる機会になればと思う。
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