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依頼者のAlbert52)はメルボルンへ留学経験があり、IT関係を専攻し、卒業後シンガポールで就職したマレーシア人。シンガポールの職場で同じIT技術者でマレーシア人女性Mung53)に会い27年前に結婚。当時IT関係の移民を受け入れていたオーストラリアへ移住することを決めてメルボルンに居を構え、現在はIT関係の会社をおこしてそのManagerで、オーストラリアの永住権(permanent residence)を持つ。娘が2人。長女は法律専攻で現在はロンドンの法律事務所で働いていて、次女Emily19)が今回は両親に同行。Emilyはメルボルンの医科大学の1年生だが神経科(Neurology)専攻の予定。両親は新婚旅行でも東京を訪れたことがあるそうだが、今回在学中のEmilyの大学の学期の切れ目に合わせて真冬の旅行になったという。しかし毎日晴天続きで、それほど寒くもなくこの時期を選んだのは正解だったと喜んでいた。

東新宿のホテルのフロントで9時少し前に確かめていたら、後ろから肩をたたかれ、振り返るとAlbertらしい人の元気な笑顔があった。青い野球帽をかぶっていくと言っておいたので、すぐに分かったらしい。傍には奥さんと娘さんがいた。

最初に高いところから全体を見たいというので、都庁の展望台へいくことにしたが、開室の930まで時間があるので、都庁まで歩く。東新宿のハングルであふれる韓国人町を抜けて、歌舞伎町や西新宿の歴史を話しながら摩天楼の中を都庁にたどり着くと丁度開館。午前中は富士山なども見えるかと思ったが、晴天にもかかわらず霞がかかったようで見通しが悪い。これはスモッグかというから懸命に否定。Albertは周りのビルの写真を懸命に撮る。特に彼らが感心を示すのは都庁と同じ丹下健三のPark Hyatt Hotel。ソフィア・コッポラのLost in Translationの影響は大きい。

次に彼らが新婚旅行でも行った皇居へ。二重橋前で27年前に立った同じ位置で2人だけの写真を撮る。東御苑に入り、日本庭園のベンチで小休止。山茶花や寒椿が少し残っていて静か。茶室付近の梅や植物の写真を撮りながら江戸城址へ。Mungが国立近代美術館にあとで自分で行きたいというので、北桔橋門から出てそのそばを通り位置を確認する。

そのまま地下鉄へもぐり竹橋から東西線と銀座線で浅草へ。190円の乗車券を買いながら、京都だと地下鉄の初乗りが200円からだったのに、東京では乗り換えて遠くまで乗るのに190円なのはなぜかと聞く。行政が建設・運営する事業の非能率を説明せざるを得ない。

1時近くになり、浅草見学の前に天ぷらを食べたいというので、雷門手前の「三定」へ入る。1350円の天丼を全員で取るがペチャっとした感じであまりうまくない。それでも彼らはうまいと言ってくれて沢庵も全部平らげた。

ウィークデイなので仲見世通りもかなり空いている感じだったが、彼らはそれでもその込み具合に驚く。少し前まではどこかが工事が続いた境内の建物も東側の二天門以外はすっかり覆いがとれて本堂も切妻の部分の装飾などけばけばしいくらい。そしてAlbertのカメラはその部分に連射。影向堂や薬師堂から戻り二天門を抜けて隅田川河岸に。スカイツリー全体の影がアサヒビールのビルの黄色の部分にそっくり入って写っていて面白い風景。それを観光客が次々にカメラに収める。

今回は水上バスに乗らず、地下鉄で末広町(秋葉原)へ。AlbertMungIT関係だから、秋葉原の裏通りの店に案内。細かい部品であふれるジャンク・ショップやDIYの店をのぞいたあと、Emilyの希望でアニメ関係の店へ。メイドカフェのビラ配りをかわしながら行くが、アニメイトやソフマップの商品でも外国語対応はほとんどゼロ。UDXビルのアニメセンターに行っても3/15まで臨時休業と張り紙。それでも40年前のままのラジオ部品の小さなキオスクが並ぶ一角には皆驚いた様子。Emilyがラップトップを探しているというのでヨドバシアキバへも行くが、気に入ったものがなく退散。

次に上野へ。美術館、博物館に興味があるというので、あとで自分たちで来れるように近くまで行って位置関係を説明。まだほとんど咲いていない桜並木を進むと1本だけ早咲きの桜が花をつけている。そのそばに桜色の着物に身を包んだ若い女性。彼らが一緒に写真を撮りたいというので、頼みに行って顔を上げたらどこかで見た感じの女性。何と品川SGGガイドのNさん。総会でお会いしたり報告書の写真などでお互いに記憶があり、びっくり。Albertのカメラで彼らと記撮影させてもらった。

Nさんに別れを告げてアメ横に行き、乾物やお茶などを物色。Emilyが抹茶に興味を示し、茶せんも買いたいと父にねだるが、父は「スプーンでかき回せばいいじゃないか」と抹茶だけを許可した。他のことでもEmilyの方が良く気が付くし神経も細かい。

かなり遅くなったので、御徒町からJRで帰路に着く。新宿からホテルまでの道はEmilyが案内するというので、2つ手前の私の乗り換え駅、高田馬場で別れた。

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今まではモバイルパソコンを持ち歩いていましたが、今回iPhone4を使い始めました。小さいのにとても便利で、もっと早くから使えばよかったと思いました。使っておられる方には蛇足ですが、GPSがついた地図に磁石が連動する機能があるので、地図が常に北を指し、iPhoneの方向を変えると地図の方向も変わります。だから経路を入力しておくと常にルートの方向を前にして進むだけで目的地に着きます。今回「明日ディズニーランドへ行きたいのだが何時開園なのか」と聞かれたときにも、iPhoneGoogleを出して「ディズニーランド」と(英語は受け入れてくれないので)日本語らしく声を出せばディズニーランドのサイトが検索されて、すぐに9002200とある画面が出て、私が見つける前に横からEmilyが見つけてくれました。その他日本円である額を入れると主要な外国通貨が時価で計算されて同時に表示されるので、値段が話題になった時には的確な数値が出て重宝しました。内蔵カメラにもズームがついているし、ワンタッチでハイビジョンカメラにもなり、iPhoneがスリープ状態でもタダのSkype電話がかかってくるとチャイムがなり、イヤフォンを使うとSkypeテレビ電話もできたのには驚きました。

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<第12010/12/29>オーストラリアの西海岸パースから10時間かけて今朝840に成田着したばかりで、一休みが必要だと思い、1時にロビーで会うことにした。52の夫Rob51の妻Lynneそれに大学生でComputer Science専攻のAlex、法律を専攻しようとしている弟Jordan、それに13才の妹Gabby5人家族。白馬でスキーを楽しむのが来日の目的だが、それを挟んで東京、京都、金沢、東京と回る計画で、今日から4日間(12/29-1/1)は東京に滞在するが、再び1/15に帰京し1/17まで滞在する予定。

定刻に父親のRobだけがロビーに降りてきて、男の子たちは昨夜一睡もしていないのでかなり疲れているという。先方には伝えてあったが、日本も12/29からは都庁展望台、浜離宮、東御苑などほとんど全ての都内の庭園や博物館、美術館は閉鎖されているし、とりあえず、周りを歩いて元気を出してもらいダメになったら考えようということで、不忍池から閉鎖されている「下町風俗資料館」を横目で見ながら、上野公園に上がり、大仏、寛永寺などを見学。東照宮で女性2人がおみくじを引いたら吉と大吉。ここは浅草と違って当たりくじ(?)が多いようだ。しかし開いても浅草のように英語の説明はない。細目は別にして象徴的な和歌を訳して説明、あとは休憩時間にということに。途中、庭の好きなLynneさんが「牡丹展」の広告を見つけたが、これも1/1からと分かりダメ。再度1/15に帰京した際に訪ねるかもしれない博物館、美術館などの配置を確認して、西洋美術館の脇の路上カフェで休もうとしたら、ここも閉店中。そのままアメ横へ。暮れの大混雑の雰囲気を経験してもらう。ひどい人ごみなので、「スリに気をつけて」というと「安全な日本にもスリがいるのか?」という。何とか御徒町まで抜けて、JRで秋葉原へ。RobSonyの小型一眼レフの200ミリ交換レンズを探しているのだが、人気商品らしく、どこへ行っても売り切れ。GabbyBlackberryのケースを探すが、これもうまくサイズが合わない。HDMI端子付きの7mコードを探していたAlexも該当製品がなく、何でもありそうなヨドバシアキバでもなかなか難しい。この辺りでAlexJordanの男性2人はかなり疲れがひどくなったようなので、一応ホテルに帰ることにする。ホテルが見えるところまできて、若い男性2名以外の3人が銀座に行きたいと言い出したので、2人に一旦別れを告げて3人を連れて銀座へ。Robがソニービルに興味を示すので、一応4階から下りながら、再度交換レンズを聞いてみるが、やはりダメ。女性2人はネオンの銀座の雰囲気にうっとり。そのまま4丁目まで行って、三越に入り、デパ地下を案内する。彼らもそろそろが疲れが見え始めたので、ホテルに戻って2人の息子を連れて、夕食の場所を探す。両親は日本食OKだが子供たちはシーフードが一切ダメというので、結局近くの焼き肉の店に入り、私も付き合わされて家族の情報などを交歓しながらの夕食になった。

夫のRobは毎月2度は中国に行って骨董品や宝石類を買い求め、妻のLynneが取り仕切るパース市内にある6店舗の宝石店で売る。Thomas Saboという銀細工の系列店も2つやっているらしい。自宅の写真もiPhoneで見せてくれたがパースの白砂青松(?)の海岸がすぐ近くに窓から見える豪邸で、猫も2匹いる裕福な家庭のようだ。オーストラリア中で一番気候が良いからパースに住むことにしたそうだが、もともとはタスマニアのスワンシーの出身で、たまたま私もスワンシーを訪れたことがあり懐かしい話ができた。

<第2 12/30

10時に待ち合わせ、まず地下鉄で浅草へ。やはり歳末はここも大混雑。小さな門松や飾り餅、酒樽なども目に付くので、新年の日本の習慣などを話しながら、一回りして、隅田川沿いに引き返す。彼らは隅田川のクルーズを望んでいたが、行き先の浜離宮は閉鎖されているし、お台場に出ることを考えたが、曇っていて寒い。浅草から乗るとお台場まで船だけで112201520円もするので、一旦新橋まで地下鉄で行き、ユリカモメの「お台場ぐるり切符」で行くことにした。これだと900円でユリカモメ全線と日の出桟橋〜お台場海浜公園の水上バスが乗り放題。新橋からユリカモメに乗って日の出で降り、桟橋へ。あいにく船は出たばかりだが、30分後に次のがでるというのでコーヒーコーナーで一服して乗船。ちょっと寒いけど皆甲板に出てベンチに腰を下ろす。周り中を埋め立て地にそびえるビル群に囲まれた水路なので独特の雰囲気がある上、レインボウブリッジの下を抜けるので皆興奮気味。中国に詳しいRobさんは周りにいた中国人の留学生たちと交歓。

お台場海浜公園から自由の女神像の周りを通ってアクア・シティへ。オーストラリアで店舗を経営する家族なので、モールの店には関心がある。またショッピング好きの家族でもあるので、特に衣類などは気に入ったものが見つかるまで徹底して探しまくる。気が付くともう2時前。とりあえず、イタリアン・レストランに入ってスナック。日差しも出てきて、目の前に広がる海とつり橋、その向うに本土(?)の町並みがきれいに広がる。昨日は12時間も眠ったそうで、皆今日は調子が良さそう。

更に丹下健三のフジテレビ・ビルを見ながら、台場駅から再度ユリカモメで青海に。駅前下の広場での妙なパフォーマンスにひっかかりながら、トヨタのMegaWebへ。試乗は予約が多すぎて無理。ドームを抜けたところにある観覧車にLynneが興味を示し、皆で乗ることになる。6人全員が1つのゴンドラに乗って一台3000円。16分で一回りする。「私は本来、高所恐怖症(acrophobia)だが、Ferris Wheelは大丈夫」と言うと、GabbyRobacrophobiaって何? と聞いていた。私は初めて乗ったが意外に快適で、天気も回復し展望もきれい。私も一家の一員になった感じ。最高点は115mにもなり十分高所からの展望を堪能したので、そのあと東京タワー行きを中止にする。観覧車というとすぐに思い出すのが「第3の男」かと思ったら誰も知らない。時代錯誤だった。しかしOrson WellesにはRobが反応した。

そのあとUniversal Design Showcaseの建物に移り、ロボットを見学。トランペットを吹くロボットも興味を引くが、奥のウェル・キャブと呼ばれる一人乗りの動く椅子には、大学で人間工学を専攻したLynneがデモをかぶりつきで見る。Robも試乗したがったが日本語が話せないとダメというので残念がっていた。

新橋へ戻るユリカモメは大混雑。暮れの休みで観光地も閉鎖されているので、多くの人たちがこちらに来たようだ。女性はやっと座れたが、男性たちは立ちっぱなし。しかし新橋からJRで原宿へ向うときには何とか席を見つけ、一休み。原宿に着いたら4時。丁度明治神宮の入口を閉鎖しているところだった。やむなく表参道側に行くと、目の前のGAPに全員が入る。男性は2階、女性は1階に分かれて物色。男性は途中で隣のスキー用品店へ。私が中継点になる。Gabbyが時間をかけてやっとジャケットのようなものを買った。男性は結局何も買わずじまい。

竹下通りも大混雑。一通り説明しながら原宿通りの裏道を抜けて表参道へ。明日明後日はガイドなしで、再びここに来たいというので、店の配置と来かたを一応説明。表参道のすべての街路樹を覆うイルミネーションに圧倒されてLynneはすっかり感動。でもそろそろ皆疲れたようなので、宿に戻って近くで食事しようということになり、私も断れずまたご相伴になることになった。今朝ホテルに来る途中で付近の食事場所のいくつかに目をつけておいたのだが、暮れの30日というのを深く考えなかったら、いざ行ってみるとどの店もほとんど満席。予約無しには無理だという。やむなく、ホテルのイタリア料理店へ。そこはやや高めのためかガラガラでゆっくりと気持ちのいい団欒が出来た。ちょうどその朝Alexの大学院の進級がインターネットで分かり、一家上機嫌でお祝いを兼ねた晩餐になtった。礼儀正しく、思いやりのある、明るい気持ちの良い一家だった。 <次ページへ>

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