●ここをクリックすると1頁目に戻ります。

1日目: 羽田が国際化されてすぐの10/30()午後1250の中国国際航空の定期便で北京からの到着だった。自宅を出る前にInternetでチェックしたときには到着時刻が1240に変更されていたが、たまたま台風の最中の到着になり、少し遅れて定刻どおり1250に着陸した。その後約30分でそれらしい4人が到着ロビーに姿を現した。それでも機内でDisembarkation Cardなどの配布がなく、Immigrationのところで書類を書かされて10分は余計にかかったとSlavisaさん(38)は言った。

頻繁に出ている新橋直通の京急線などを薦めたが、台風の最中でもあり、400円あまりの差ならリムジンバスが良いというので、11,100円の全日空ホテルへ直通のリムジンに乗り込む。約40分でホテル到着。4人が1室に泊れる唯一のホテルだったのでここに決めたという。食事なしで113,000円とか。ちょっと変わった部屋の使い方のためチェックインに時間がかかり、かなり待たされる。

今日はお台場で「自由の女神」とトヨタの「MegaWeb」を訪れたいとの希望。できれば予定されていた「よさこい祭り」も見たいとのことだったが、海に面する「台場」で降りると、台風が最も東京に接近している時間で、横殴りの激しい冷たい雨がたたきつけてお祭りどころではない。それでもびしょぬれになりながら、憑かれたようにSlavisaさんは暗くなりかけた中に突き立つ「自由の女神」にカメラを向けて近づいては撮り、離れては撮る。その間、奥さんのJasminaさん(37)2人の子供はアクア・シティの廊下でただ観戦!  12才のDavid6年生のはずなのに、頭が良く、飛び級で7年生だそうだ。兄Daniel君は14才なのに185cmもの長身。二人とも口数は少ないが英語を理解し話す。

やっと戻ってきたSlavisaさんと再度ユリカモメに乗り、青海のトヨタMegaWebへ。ここでは奥さんも陳列された車の前でポーズをとりご主人のカメラに応える。子供たちは意外に興味を示さない。車の試乗や運転のシミュレーションをやってみないかと言っても返事は「ナイ(No)」の一言。父親のSlavisaさんも写真だけが趣味のようだ。写真を撮れば終りという感じで、じっくり見ることもない。父親が簡単にスウェーデン語で言うことを聞く以外は妻と子供はくっついて歩くだけ。父親の趣味に家族全体がつき合わされている感じ。「今までにガイドした大抵の家族は奥さんがイニシャティブを取るケースが多かったが、この家族はむしろ例外だね」というとDavidが「我々はslaveなんです」と苦笑。一方CommanderSlavisaさんも「部下」を統率するのがうまくいかないと盛んにこぼす。

そのあと、ロボットがトランペットを持って吹く「ユニバーサル・デザイン・ショーケース」の建物へ移動する短い通路を通る間も雨ざらしでびしょぬれになるほど。ロボットや椅子型の自動車には少し興味を示すが、展示の係りの人が車の小さな模型を作らないかと言っても「ナイ」で、係員も不思議そう。

この頃になったら皆かなり空腹になり、パレットタウンにマクドナルドがあるのを見つけて入り込む。この家族で一番奇異に感じることは、子供たちが「マクドナルド」以外は食べないことだ。これはE-Mailでの打ち合わせ中にも言ってきたことだったので、旅行中の食事を単純にして安く上げるつもりなのかと思っていたら、かなり深刻な偏食の状況だった。飛行機で出る食事はほとんど食べられず、旅行中もマクドナルドを常に気にしていて、見つけると歓声が上がり急に元気が出る。ピザやケバブも興味があるというが、いざ店のメニュに近づいて見るとソースがダメとか卵がダメとかで結局ダメになる。でも、両親にそれほどの深刻さはなく、不便だけど、同じような子供がスウェーデンには結構いるし、マックを食べて元気だし、食べさせようとしても他のものは食べないのだから仕方がないと言う。両親がトイレに立った間に、戦後食糧難の時代にサツマイモの葉の茎を食べて生き延びた話を子供たちにしてやったが、苦笑いだった。とりあえず、この日もマックにありつき、必ず同時に注文するコカコーラとともに胃に収まり、私も久しぶりにマックをご相伴になって無事夕食を終えた。

Slavisaさんはもともとセルビア人で、スウェーデンが労働力不足で移民を多く受け入れていたころ両親が当時のユーゴスラビアから移住し、スウェーデンで生まれたという。その後一時セルビアに戻っていた時期に、故郷の親戚の寄り合いで現在の妻Jasminaさんに会って結婚し、妻をスウェーデンに呼び寄せて共働きをしている。夫は冷凍食品のパッキングをする機械のオペレーターで、妻も同種の仕事。交代で、とちらかが家に居るようにして、子育てをしてきた。成人してセルビアから来たJasminaさんは英語もスウェーデン語も出来ないが、何とか周りの人に助けてもらって仕事を続けているという。そんな状況からCommander Slavisaが生まれ、マック生活が始まったのかも知れない。

2日目(10/31()): 

9時にホテルロビーで再会。若い人たちは歩くのを気にしないので、国会議事堂などを見ながら官庁街の端を歩いて国会議事堂前まで歩き、地下鉄で日比谷へ。Slavisaさんは来る前にInternetで東京見物に関する記事をプリントアウトして100枚くらい常に持ち歩いているくらいなので、かなり表面的な予備知識はある。しかし例によってゆっくりすることはなく、二重橋前も写真を撮ったらすぐに移動。降ったり止んだりの小雨の中を東御苑の日本庭園を回る。更に江戸城址で見渡し説明したあと、北桔橋門から近代美術館の脇を抜けて竹橋から再び地下鉄で日本橋経由で浅草へ。写真のフレームを探すが、売られているものは彼のイメージと合わない。

どういうわけかおみくじには興味を示し、400円出して4人全員が試みる。吉が3つと凶が1つ。余計なことだが、その凶も私が引き出しを開けて凶の字が私の目に入るともう1度やってごらんと言って吉を出させた。でもDavidは「吉」でも書いてあることが気に入らないらしく針金に結び付けていた。

次に地下鉄で神宮前に移動し、明治神宮へ。設立90周年の祝いとかで、入口に青森のネブタ舞台が出来ていて全国各地のの伝承舞踊を披露している。これもタイミングよくカメラの対象。また中の鳥居のところの特設舞台でも彼はひっかかり、秋の大祭の菊花展も絶好の背景になった。ここでも絵馬に興味が集まり、年下のDavidはスウェーデン語で「バスケの選手になれますように」と書いて吊るし写真を撮る。そして本殿前をあとにし、砂利道をかなり戻ったころになって兄のDanielが自分も書きたかったという。それならというわけで、また戻って500円の絵馬板を再度買い、今度はセルビア語のキリル文字で母親と相談しながら「サッカーの選手になれるように...」と書いたら、やっと落ち着いた。

こうして竹下通りの入口に来たころには2時を回っていて、入口の近くにマクドナルドがあったので、さあ入ろうという段になって、父のSlavisaが友人に薦められたところがあると言って紙を取り出した。Barbacoaというブラジル料理の店のメモ。マック専門のはずが、新婚旅行にブラジルへ行ったときの味を思い出したようで、ひょっとして息子たちの口に合う料理もあるかも...という。とにかくこだわるので、とりあえず、表参道の通りで出て聞きまくるが、誰も知らない。しかしそのあと表参道ヒルズの先を左に入った通りを歩いていると偶然にもその店の前に出た。早速中に入るが、やはり息子の食べられるものではなく、値段も最低12200円ということもあって断念。また竹下通りに戻り、ロッテリアのハンバーガーで妥協した。それもDavidは肉とパンだけでソースをそぎ落として食べていた。マックのビッグマックに当たるものもロッテリアのは小さいという不満も兄と母から出た。

そのあと、新宿に出て都庁から夕暮れの東京を眺め、NSビルの振り子時計を見て、新宿に戻り、銀座のネオンを撮りたいと銀座へ。ソニービルの8階でしばらくパソコンに触れた。子供たちはこのときが一番元気になり、「東京を出るまでずっとここに居てもいいの?」と聞くくらい。その後4階から下のショールームでも何度も引っかかりながら出て、銀座4丁目交差点へ。台風のあとのせいかネオンがきれい。三越のデパ地下へ寄ったあと、銀座線で溜池山王へ案内し帰り道を確認して別れる。

今回はお金に細かい人だったので、東京メトロにしか乗れない710円の1日乗車券だけで、すべてを回った。だから原宿から新宿へでるのも、神宮前--(副都心線)--新宿3丁目--(丸の内線)--新宿 と乗り継いだ。でも日曜日だったせいか、ほとんど5人全員が座って移動できた

<このページ上部へ移動>

Yasirさんから9/18にメイルの依頼を受けてApplication Formを送っても返信がないので、キャンセルだと思っていたら、ガイド予定の前日夜9時ころになって拙宅に電話があり、「明日ガイドしてもらえないか?」という。断ろうかと思ったのだが、英語がやや聞き取りにくいので一応「至急Application」を送れ...と言って切った。電話は緊急のためにというので最初のApplication請求のメイルに書いてあった。10時頃になってApplicationが届いた。しかしこれは会員の方に回すには遅すぎると思い、私が引き受けることにして「明日(21日)930にホテルロビーで会おう」というメイルをした。

宿泊場所は外人のBackpacker相手の少しましなカプセルホテルといった感じだが、ロビーは広く、大きなソファーもある。寝室は個室ではないので内線電話もなく、カウンターの男に2階に上がって本人と連絡をとってもらいソファで待つが25分経っても姿を現さない。アラブ人は時間を守らないとは聞いていたが、少しイライラ。そのうち黒い笑顔が現れ、「昨日と一昨日ほとんど寝ていないので...」という。でも人は良さそうで、憎めない感じにイライラしていた気持ちもどこかへ消えてしまう。脇に小さな調理場があり、彼が紅茶を飲みながら菓子パンで簡単な朝食をしている間に打ち合わせていると、たまたま広島から夜行バスで着いた2人の若いドイツ人が話に加わり、これから訪ねる場所を話しているうちに興味を示したので「では一緒にガイドしようか?」ということになった。

スーダンにもいたことのあるアラブ人のYasir君はドバイでアフリカの民芸品の卸をしている若者。Jasper君とSimon君はミュンヘン出身の22才の学生。オランダの大学で国際関係を専攻し、在学中にソウルの大学へ行き、ここでも国際関係を研究中で、来年にはオランダへ戻るそうだ。今韓国では感謝祭で大学は秋休み、その期間9日をフルに利用して釜山から船で福岡に着き、夜行バスを利用して広島、東京と来て、このあとバスで京都、福岡経由で船で韓国へ戻るという。

宿を出るとすぐに、アサヒビールのジョッキまがいの社屋脇にある妙な形のオブジェが目の前に迫る。早速「あれは何?」とくる。フランスのデザイナーが作ったオブジェで...と言ってもその名前が出てこない。Jasper君はデザイナーの名前を挙げてくれるがどれもピンとこない。社屋ジョッキのアワが吹き飛んだのかな...と逃げる。

浅草にいる以上まず雷門から...と仲見世を通って浅草寺へ。おみくじで出てきた「吉」の英文を皆で読む。不満だったら針金に結わえるように言っても持ち帰るという。長い間工事中だった本殿も覆いがすっかり取れて垢抜けした感じ。そして古ぼけて見えていた脇の古い二天門もすっかり修復されて生まれ変わったようだ。

そこを抜けて隅田川沿いに船着場へ。彼岸花が咲き誇り、彼らは珍しがる。red spider lilyがうろ覚えでspider flowersと言ってしまう。船で浜離宮へ行こうとして15分ほど待ち時間があったので、船内での昼食用に近くのKFCでチキンを買いに行く。ドイツ人は問題なかったのだが、イスラム教徒のYasir君、「チキンは首をカットされたものか?」と盛んに気にする。しかしそれは日本では誰にも分からないというと、ためらいながらも一応買って結局は船内で食べた。残酷に首をカットされたものは食べられないというのかと思ったら、逆で、イスラムでは首をカットして血を抜く儀式(?)を済ませたものは食べるのが許されているという。首をカットして血を抜かない鶏は汚いと考えられて食べるのを許されないのだそうだ。以前別のアラブ人を案内したときにサンドイッチに入った豚肉の切れ端を見つけて、急に食べるのをやめた人のことを思い出した。豚はダメだが鶏はOKとのことだったが、やはり複雑だ。ついでながら、「1日に5回お祈りをするのは?」と聞くと、旅行中は半分の23回で良いのだそうだ。「今朝起きたときにお祈りしたので、帰ってからまたやれば許される」とのことだった。

浜離宮庭園を散策しphoto spotsで写真を撮り、感動していたが、さすがに強行日程の上にこの暑さで、さすがに休憩所の腰掛台の上でゴロリ。シエスタが必要だった。庭園の東側の門を出て築地市場の方へ行く前に、遠くに見える黒川紀章の中銀カプセルタワービルを説明したら是非近くまで行って見たいという。アイディアは面白いがとにかく40年も前の建築なので、近くに行くとかなり汚い。しかし彼らは懸命に写真を撮る。

築地市場駅から大江戸線で都庁前へ。暗い地下からそのまま都庁の下に入り45階に抜けると急に大きなパノラマが開けるので、彼らはびっくりする。そのあと隣のNSビルの大空間を抜けて、地上の摩天楼の中を新宿駅へ。そこでドイツ人達があす京都へ向う夜行バスの切符を購入したいという。西口のターミナルでは全て売り切れで、高島屋地下のJRバス売り場でやっと手に入れた。京都まで片道5000円は確かに外国人用のJRパスより安い。夜1150東京発のバスは翌日の812に京都に着く。お金をかけないこともあるが夜も無駄にしない動き方に若さを感じる。

バスデポまでの行き方を教えながら、国電に戻り、原宿へ。明治神宮ではやや遅い時間だったせいか結婚式の行列には会わない。でもYasir君がメイドカフェ的な衣装を着けた外国人女性を見つけて話したり一緒に写真を撮ったり、絵馬を読んだり...。アラビア語の絵馬を見つけた彼は自分も書きたいという。ただここでもイスラム教がちょっと気になる。「絵馬をかくのは正式の宗教的な儀式ではないのか?」と聞く。イスラム教徒が他の宗教に本格的に関わるのは良くないようだ。「そんなに深い意味はないと思う」というと500円払って木札を買い、アラビア語で右から左に流れるような文字を書き始めた。家族の健康、繁栄などを希望したという。ドイツ人たちも見ていて、アラビア語って世界で一番きれいな字だね...という。

少し空腹になったようで、スナックが食べたいという。明治神宮参道途中の休憩所でそばをとる。ドイツ人たちは天ぷらそばだが、天ぷらに動物が入っていることもあり、Yasir君はザルそば。彼は私にもおごってくれる。韓国にいるせいかドイツ人たちは箸の使い方にも慣れていてサラッと平らげるが、Yasir君は箸で悪戦苦闘。私もゆっくりと教えるのだが、すぐにくずれてしまう。指で食べることに慣れているようで、「指はいつもきれいにしておくようにしていて、清潔なんだよ」といいながら、黒い手の甲の裏側の白い部分を見せた。指で食べてもいいんだよと言っても、箸をフォークのように使いスパゲッティを巻くようなやり方で、汁にもつけずに何とか食べあげた。しかし我々がアフリカに行くとこれと逆のことが起こるのだろう。

お腹もできたので、竹下通りを進む。100円ショップ・ダイソーではYasir君はとても興味を示すが、ドイツ人はほとんど無関心。Yasir君は明日もう1度くるという。原宿通りでは逆にドイツ人がTシャツ屋につかまった。気に入って試着までしたが、4700円の値段は夜行バスの値段と同じくらいだと思ったのか、断念した。Yasir君は断念した。Simon君に試着したシャツは「お前にぴったりだよ。今着ているシャツは全然似合わないよ。どこかの借り物だろう?」とYasir君にからかわれたSimon君は、皮肉にThank you very much!とかわしていた。例によってDesign Festaで休憩。どういうわけか彼らも雰囲気が気に入り、動かない。ドイツのビールが並ぶケースを見て、「日本のビールは?」というので探すとエビス・ビールがあった。しかしドイツ人には合わないようだった。そのまま裏口からDesign Festaを出て、Oriental Bazaarでみやげ物を少し物色し、表参道から浅草への銀座線に乗せて別れた。
<次ページへ>


●このページの一番上に移動(この文字をクリックしてください)  ●ここをクリックすると1頁目に戻ります。