1ヶ月前に依頼があってほとんど応募がなかったようすの1件です。そのころのメイルの打ち合わせでは普通の東京の観光をということだったのが、前日の10/21日に連絡が来てきて、「旅行を依頼したAgentが、22日の鎌倉までの往復切符と鎌倉・江ノ島のフリー切符だけを用意してくれていたので、東京観光は午前の半日だけにしてくれないか?」とメイルがあり、ホテルに電話して話し合った。その結果、鎌倉・江ノ島は午後の半日だけでは無理があるので、いっそのこと私が午前中から鎌倉・江ノ島をガイドしようか提案し、そうすることになった。 汐留のビル街の中にあるホテルの16階、レインボーブリッジが見渡せる広々としたロビーのソファで待つと2人は時間通りに現れた。退職した彼らはすでに1ヶ月半前に英国を出て、南米のチリ、ペルー、太平洋のイースター島、タヒチ島、ニュージーランドを回って最後の訪問国・日本に21日に到着しこれから9日かけて京都、高山、白川郷などを回るという。退職したといってもカナダ国籍の彼女は56才、イギリス人の夫Brianさんは63才で、元々小児科医だった2人はカナダのトロントで研修中に出会い、結婚してロンドンの郊外に住んでいる。Brianさんは勤務医で長年過ごし、Lindaさんは薬学もやっていたので、製薬業の規制機関の仕事に移り、日本のその方面の人とも仕事をしたという。 ラッシュの混雑がイヤということでグリーン車に乗る。グリーン車はダブルデッカーだが背の高いBrianさんも丁度天井に頭がつく程度なので、うまくデザインされていると彼も感心する。2人は話好きだ。彼らは健脚で随分危険なところも歩き回ったようだが、南米ではどこでも野生の犬が、歩く旅行者の前後を走り回り、親しみを表してくれて慰められたそうだ。タヒチではCNNテレビがなく、ロムニー支持のFOXテレビだけなので、オバマ大統領は悪者になっているとも言う。その他英国で起きている教育や政治の崩壊、経済の衰退に伴うモラルの低下などの具体的な例をあげて日本はどうか...と聞くが、不思議なほどみな一致している。原発や尖閣の問題も彼らの関心事。30年までに原発ゼロを目指すというが、本当に日本人はエネルギーが大丈夫と考えているのか? と聞く。「尖閣日本は危ないから止せ」と言われたイタリア人の話をすると、今度は彼らが「えっ」と驚く。 鎌倉で江ノ電に乗り換え、長谷から大仏へ。青空を背景にに大仏が映えて壮観。しかし彼らは大仏の鋳造法、鎌倉の歴史、天皇との関係など質問攻め。像の内部に入ると銅像の銅の厚みまで聞くが分からない。帰りの道端にある看板を見て、今度は日本語の質問。縦書きのときの数字の書き方や切れ目のない日本文の区切り方など好奇心旺盛。卍とswastika の違いも。 続いて長谷寺に行く。鎌倉はガイドはタダで寺社に入れるので気が楽だ。無数の水子地蔵が並ぶところを見ると皆が不思議がる。お釈迦様に水をかけて、更に上へ。鐘楼と墓地のところでは除夜の鐘や葬式の習慣の話。まもなく京都に向かう彼らなので仏像は適当に。売店前の壁に大きく書かれた般若心経に興味を示したので、仏教のLord's Prayerだと言って読んで聞かせる。外へ出ると少しかすんだ青い太平洋が下の長谷・鎌倉の町並みの向うに広がり、しばしゆっくり眺める。トビが悠々と青空を舞う。背の高いBrianには気の毒だったが、弁天洞窟にも寄る。Lindaさんは壁面に彫り込まれた石像の写真をフラッシュを使って撮りまくる。 江ノ電のフリーパスがあるので、長谷から江ノ島へ向かう。これから階段の島を登るので腹ごしらえをする。刺し身などの生ものはダメだというので、江ノ島大橋手前の店で天ぷらを注文。ウィークデーのせいか店はガラガラ。箸を試すが、結局ナイフとフォークで天ぷらを口へ。ご飯も醤油などをかけずにフォークで全部平らげる。 さてエネルギーの充填が出来たので、「日本のモンサンミシェル」へ行こうと宣言して、弁天橋の歩道を進む。階段がかなりあり、覚悟して...と言ったが、野外エスカレータの「エスカー」がある。しかし350円だと告げたら、私のことを気にしてくれながらも、「歩く」と言う。私も付き合って歩く。たかが標高60mの小さな岩山とは言っても、ほとんど全部階段なので250段くらいはある感じで、年寄りには結構きつい。休みなしに上まで登ると汗もかき、さすがに息が切れた。前もって、頂上には明治維新のイギリス貿易商Samuel Cockingの別荘と温室の跡があると言っておいたので、彼らは江ノ島に親しみを持ち興味を示していた。実際、標高100mの灯台を兼ねた展望塔に上がると、海の上から飛行機で湘南を展望しているような360度のパノラマが広がっていて、ここに来た甲斐があったと彼らは喜ぶ。降りて色とりどりの庭園や基礎のレンガが残る温室跡をゆっくり散策。歩きながら、南側の岩場まで降りて洞窟を見て、船で江ノ電の駅方面へ戻るのも提案してみたが、もう1度鎌倉へ戻って八幡宮や小町通なども見たいというので、時間を考えてそのままもと来た道を戻ることにする。 鎌倉駅に戻ると、たまたまみどりの窓口が開いている。そこで待ち時間なしで、JRパスを見せて、明日からの京都・高山方面の旅程中の切符や指定券をすべて発行してもらう。若宮大路を段葛にも入りながら、八幡宮へ向かう。たまたま着物姿の女性たちがすれ違ったと思ったら、途中の舞殿の舞台の上で結婚式が進行中。雅楽が流れる中で、彼らは懸命に写真を撮る。かなりの観客が囲んでいるせいか、新郎は緊張気味なのを見て、「結婚式なのに、なぜ新郎は不機嫌な顔をしているのか?」と聞く。新婦も無表情なので、彼らには妙な結婚式に見えたようだ。暗くなりかけた石段を本殿まで進む。巨大な切り株だけが残る大イチョウの伝説には興味を示し、どこかで読んだという。。帰りは小町通りを戻る。途中喫茶店で一服、談笑し、時間も遅くなたので、上りの混雑はないと考えて普通車に乗る。案の定ガラガラでゆっくり座れる。そのまま新橋まで来て、駅で帰り道の方向を教えて別れた。
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2人とも香港から北西方向約100kmのところにある中国・広州市番禺区で英語教師をしている。カリフォルニアの大学で特殊教育を専攻して卒業後、Webで見つけた現在の職についてまだ6ヶ月のSarahさん(24才)、とカナダ・オンタリオの大学を出て、更に教職のための1年間のコースを終えて中国で同じ学校で芸術と地理を教えることになったShannonさん(25才)。彼女らが海外で英語を教える職につくのも、経験が2〜5年はないと難しいらしく、自分たちはラッキーだったという。仲間の先生方はみな世帯もちなのに2人だけは独身なので、2人で意気投合しよく旅行するようになったらしい。 今回はたまたま中国の国慶節の間の1週間の休暇で日本に来た。この時期は中国国内は旅行者であふれ、動きがとれないので日本に決めたようだが、尖閣問題で中国からの飛行便がキャンセルになり、香港に出てインド航空の便でやっと関西空港にたどり着き、京都に2泊して前日の夜遅く新幹線で東京へ。新宿のAce Innというのはカプセルホテル。女性が泊れるカプセルホテルはあまりなく、友人の紹介でやっと探したという。男女兼用の1室にカプセルを14個を配置した窮屈な宿泊が1泊3000円。 約束の9時に現れた2人と早速都庁の展望台へ。新宿とはいってもホテルは曙橋近くで、歩くと都庁までは30分はゆうにかかる距離なので、都営地下鉄新宿線と大江戸線を乗り継ぐ。台風一過で空気は澄んでいて遠くまですっきりと展望が利くが、富士山は見えない。しかし2人はすっかり気に入ったようで、今夜夜景を見にもう1度必ず来るという。 となりのNSビルのアトリウムにある巨大な振子時計を経由して、歩いて新宿駅へ。山手線で原宿へ移動。まず明治神宮。友引だったが、婚礼の行列には会えない。彼女たちは日本の歴史などにはあまり興味を示さず、種々の言葉で書かれた絵馬を読んで面白がる。たまたま正式訪問中のスリランカ高僧の一行が黄色の僧衣で神官に案内されている場面にぶっつかり興味を引く。 原宿駅へ戻り、例によって竹下通りへ入る。Shannonさんが姪のためにセーラームーンの人形が買いたいというのだが、どこで聞いても置いていない。百円ショップでちょっとしたおみやげを買う。途中ハムバーグステーキを食べさせる店の看板をみて、「これが中国ではなかなか見つからないのよ」と懐かしそうにこぼす。魚類中心の料理が多く、肉食に慣れた2人にはなかなか馴染めないそうだ。 原宿通りへ。普通だとデザイン・フェスタで一休みするのだが、彼らは若いので写真だけ撮ってウラからそのまま出て観光を続ける。表参道ヒルズ、新装のキディランドなどを見て、表参道の喫茶店でコーヒーブレイク。ShannonさんがiPhoneに取り込んで来た中国の写真を見せてくれる。中国は汚いところが多いのは確かだというが、2人が住んでいるところは特別地域のようだ。1人住まいなのに近代的なデザインのホテルのような部屋を幾つか与えられていて寝室以外に居間や書斎もある。窓からの風景も緑が広がり、学校もすぐ側にある。つまり裕福な人たちが住むように仕切られた一画の中で、そこには寄宿制の私立の小学校があり、エリートを養成、将来はアメリカやカナダへ留学することが約束されている子女を教育するために2人は雇われているという。従ってSarahさんは小学校3年生に英語を教える以外にも算数なども英語で教え、Shannonさんは美術を教える以外に、地理も英語で教える。1単位40分〜45分の授業を午前3単位、午後3単位教えるのでかなり忙しいらしい。寄宿舎で生活する幼い生徒は週末にしか両親に会えないので、寂しいらしく、先生に抱きついてくることが多く、母親代わりにもなっている。カナダなどでは先生が生徒に触れることは一切ご法度なので、戸惑うけどかわいいともいう。実際、生徒が描いた絵を写真で見せてくれたが、カラフルな天真爛漫な表現はどこも同じだ。 再び原宿駅へ戻り、今度は東京駅へ。昔の姿へ復元された駅舎の中や周りはウィークデイなのに日本人の観光客でいっぱい。すぐ前の中央郵便局もほとんど完成しているようで、みながカメラを手にシャッターを切りまくっている風景に、「ここは日本人の観光地なのね」と不思議そう。その中をかき分けながら皇居へ向かう。東御苑に行き、日本庭園を歩く。サルスベリの赤い花以外ほとんど緑一色。サルスベリの英語が出てこない。「日本ではmonkey-slipping treeと言われている」とごまかす。しかし池を悠然と泳ぐ太った緋鯉にはビックリ。 お腹がすいたと言われ、時計を見るともう2時近い。北桔梗門から出て坂を下り、パレスサイドビルの地下の食堂街へ。中国では魚料理ばかりで、なかなか肉にありつけないとかで、肉料理が良いというが、豚はダメとのこと。刺し身も天ぷらもあまり好きでないようだ。10軒くらいある店を片っ端からみるが、どれも気に入らないようだったのが、最後に見つけたインド料理の店で、チキン料理だと言うと、やっとOKが出た。大きなインドのナンを赤いスープに浸して食べる。しかしこれはすっかり気に入ったようで、あっという間に全部ペロッと平らげた。私も早食いの方だが話をしながらだし、とても追いつかない。 食事をしながらの話では、中国の彼女らの地域でも尖閣デモはかなりひどかったようで写真も見せてくれた。規制は厳しいらしい。インターネットの規制も厳しく、FacebookやYouTubeなども普通ではつながらないようになっているが、一方でそれへうまくリンク出来るソフトも出回っていて半数の人はそれを使って不自由なくネットを利用している。だから彼女たちもそれを利用して、Facebookでアメリカやカナダの友人と交流し、Skypeで家族と話しているという。一方で、約半数の中国人は「愛国的」(?)で政府のお達しを守り、制限の中で暮らしているそうだ。また空気の汚染もひどく、学校の校舎は立派でも、授業中に妙な臭気が教室に充満することもよくあるという。 すっかり腹ごしらえが出来てエネルギー源を作ったので、そのまま地下鉄で浅草へ。明後日には帰るというので、仲見世でおみやげをあさるのに時間がかかる。京都で社寺は充分見たというので、浅草寺はそこそこにして、隅田川の土手にあがる。途中でみかんを買って頬張り、スカイツリーを見ながら写真を撮る。すでに陽は落ちかかって人物像が暗く難儀をする。
そのあと上野と秋葉原も予定していたが、2人はかなり疲れた様子で、再度都庁の展望台に行く予定もあり、ホテルに戻ることにする。そのまま都営地下鉄に乗り、曙橋で彼らは降り、私はそのまま新宿へ向かう形で別れた。 |