日本は、いろいろな意味で、両極端が共存する国だと説明することがある。明治神宮と表参道も非常に対照的な日本を紹介するのに都合がいい。都心とは思えない鬱蒼とした静かな森とその中に埋まる古式ゆかしい神殿が、原宿駅を境に「竹下通り」のエキセントリックな雑踏と表参道の超モダンな高級ブランド店の奇抜なデザインの世界へと一転する。 |
戦災ですべてが失われた東京と違って、鎌倉は大仏や八幡宮の大銀杏など800年前の鎌倉幕府の面影が残る。だが、西欧の十字架やマリア像などの世界から見ると、120トンもある野外のブロンズ大仏はお化けに過ぎないかもしれない。この国宝像に対峙して拝んでいる日本人はほとんどいないが、タイやビルマの人はここで土下座をしていくという。永井路子氏によると、当時の北条氏が政敵であった三浦一族数百人をこの地で惨殺し、その罪滅ぼしに造立したのではないかというが、この像についても実際は何も分かっていないらしい。沢山のブツブツに見える大仏の頭髪に興味を持つ外人がいる。「螺髪」といって右巻きの小さな巻き毛が656個もあり、仏が悟りを開いたときに現れる「頭髪現象」とか言われているが、これもミステリーの1つ。もとは「大仏殿」があり、大仏もその中に鎮座していたらしいが、度重なる台風や洪水で破壊され流されて、重量のある銅像だけが残ったので、あきらめて青天井のままにした。銅像は下の参拝者の方を見る形なので、前にうつむきかげんに作られている。だから頭部の重心が前にあり、関東大震災などで首に亀裂が入ったのを修復したあとがある。 東京と違って、鎌倉の寺は、外人を連れて行くとガイドはタダで入れてくれる。私のガイド免許は35年も前に取ったもので、全く別人のような若いときの写真が付いたカードをおずおずと入口で提示することになる。外人に見せると実物との落差で大笑いになる。 大仏の近くの長谷寺も変化に富んでいて外人に人気がある。まず入口右の山門。真ん中に大きな提灯が下がっていて浅草の雷門を少し小さくしたような感じだが、門自体が太い松の陰にあり、古くひなびていてずっと趣がある。しかしその門は通らせてもらえない。人通りがないのでその前で写真を撮るのには好都合。無味乾燥な脇の駐車場から券売所を通って庭に入る。小さな日本庭園は水が豊富でアヤメなども風流だ。しかし階段を上がった途中にある無数の地蔵は大抵の外人を驚かす。石像にかかる赤いヨダレかけや赤ちゃん帽は何のタメ? という質問が必ず飛んでくる。そこで、まず、「日本では妊娠中絶は合法的なのです」と言って説明を始める。「中絶された赤ん坊や不幸にして死産になった赤ん坊への罪滅ぼしや供養の気持ちから小さな地蔵さんを奉げる習慣が生まれ、赤ん坊の身代わり地蔵だからヨダレかけや帽子も添えるのです」というと驚きと納得の表情になる。階段を上がると、すぐ鐘楼がある。東京ではなかなか見られない釣鐘を見せられるし、108の煩悩を除去する行事の「除夜の鐘」のことにも触れられる。頼朝が厄払いに作ったという阿弥陀堂の阿弥陀如来なども京都に行かない人たちには良い「仏像体験」にもなる。しかし何より良いのが展望台の眺望だ。太平洋が眼下に広がり、「ほら向こうにサンフランシスコが見えるよ!」と言うと、笑いながらも、アメリカ人は望郷の念に駆られる人もいる。 この辺は海岸が近い。外人向けの適当な食堂もないので、晴天時にはコンビニで食べたいものを選ばせて、海岸でピクニックというのもいい。だが海岸の汚さはひどいものだ。「道路や駅、電車の中などはチリ1つ落ちてない日本で、どうして海岸はこんなにゴミの山なのか?」と率直に疑問の声があがる。「ビーチが近い」と言うと、すぐに「行きたい」ということになるが、大抵はがっかりで声も出ない。しかし日本人はゴミと隣り合わせでも水着で結構楽しそうにしているのを見て不思議そうな様子。ヨーロッパなどの海岸とのイメージ落差はどうにもならない。
東京の日本人だと箱根といえばドライブということになるが、外人の個人旅行をガイドするときは普通公共交通機関を使う。しかしその方が変化に富んだ旅になる。小田急が「箱根フリーパス」という切符を割安に出していて、特急券を買い足せば新宿から「ロマンスカー」で箱根湯本まで1時間半弱で行くし、費用も新幹線で小田原へ行くよりずっと安い。スイッチバックの登山電車や空中ケーブルカーで雄大な景色を見下ろしている間に、大涌谷の活火山帯のど真ん中に着陸。都心から3時間程度で地球のマグマ活動が垣間見られる「地獄」(この一帯をBig Hellという)を体験することは、特に火山のない国から来た人たちには強烈な思い出になるようだ。火山ガスの硫黄の臭いや噴出するお湯で出来る黒卵なども印象的だが、もし雲がなければ姿を現す富士山の眺めは抜群。しかし観光シーズン中には富士山が姿を現す日はあまりない。雲に覆われて見ることが出来なかった不運な人たちの中には茶屋で富士山の絵葉書を買ってそれをビデオに収めていく人もいる。国に帰って「見てきたよ!」と報告するのだと、笑いながら言う。はるばる遠くから来たのにあわれだ。 更にフリーパスで空中を芦の湖畔へ降りる。子供だましの海賊船で対岸の元箱根付近へ。観光客の数が多いのに船が小さいので、甲板には椅子が全くない上に満員電車なみの混雑になることもある。晴天のときに船室の中に居たのでは新鮮な空気にも当れない。それに船室の天井が低く、外人には頭が当ってしまうので常に中腰で移動することになり大変。それでも甲板に立って緑に囲まれた真っ青な湖を走るのは爽快で、歓声をあげてカメラを撮りまくる。遠くの岸辺に箱根神社の小さな赤い鳥居が見える。ミニ厳島だ。これで富士山が背景に現れてくれれば彼らが描く日本のイメージが再現するのだが、富士山は日本人的で恥ずかしがりや。すぐどこかに隠れてしまう。 温泉を経験したいという外人もいる。日帰り温泉も多くなったので、同性だと湯船を共有することもある。水着をつけないで入る習慣や日本の湯の温度がかなり高いこともあり、違和感があるようだが、自然の雰囲気を取り入れた岩風呂や特に露天風呂は興味津々。風呂場にカメラを持ち込んで「記念撮影」になる。外国だとポリ容器の小さなバスタブがプールなどの側に置いてあるだけで、「温泉があります…」と宣伝しているモテルもあったので、かなりイメージの違いがある。 |