アメリカはネバダ州Renoからで、父Perry(41)と息子Justin(24)の2人だけの来日。母はカジノの中でレストランの1つを全て取り仕切っている仕事なので、自由に休暇がとれず、同行できなかったという。Perryはネバダ州のウォッショー郡(Washoe County)庁舎に勤める公務員で、庁舎のコンピュータ・システムの統括責任者。JustinはPerryが養子として家族にした子でデパートで配送や商品の管理をしている。彼はちょっと緊張するとドモるので、初めはことばが出にくかったが、だんだん慣れてきた。養父のPerryはちょっとかわった苗字だったので聞くと、祖先はイギリス、ウェールズの出身だそうだ。 「東京人の住まい、日常生活を体験したい」と希望し、食材の買い物の様子なども知りたいようだったので、拙宅へ来てもらい、買い物をしたり、周辺を案内しようかと提案したら喜んでくれ、彼らだけで私の最寄の駅まで来て、そこで落ち合うことになった。彼らはたまたま新宿のホテルに滞在していて、拙宅は西武新宿から20分程度で1本で来られるし、若い2人には何の問題もないようだった。 午前10時に田無駅の改札で会うことにして、西武新宿発9:36発の電車に乗るように指示していたら、きちんと10時ちょっと前にちゃんとウチワを持って現れた。とりあえず、すぐ近くの拙宅で少し涼をとり、畳の利点を説明しながら我が古屋の中を案内。Perryはちゃんとメモを取りながら聞いていた。風呂のダブも横長の型だが、「少し深みがあるのはどうしてか」などと細かい。仏壇の位牌の名前が戒名であるのも不思議そう。 とりあえず、近くのデパ地下兼スーパーへ出かける。野菜、果物の値段が高いことにまず驚く。Wallmart系のスーパーLivinではアメリカのものがそのまま随分入っているので、値段を比べるが、日本のものは量が少ないのに値段は高めのよう。アメリカでは売られていない日本向けのアメリカ産炭酸飲料なども見つける。豚肉などの棚ではアメリカ産のものが日本産の半分の値段で売られていて、「なぜ日本人は倍の値段を払って国産を買うのか?」と聞く。霜降りの牛肉が赤身の牛肉より高いのもアメリカと逆だという。チキンなども大き目のパックが、アメリカでは1羽丸ごと買える値段だね...とのこと。上は5階までデパートになっているが、衣類では女性のものばかりで、男性のものは片隅に寄せられている感じはアメリカも同じだとか...。家電のところではリング状の羽根のない扇風機に注目。アメリカでも人気だそうだ。 カンカン輝りの中、10分ほど歩いて東大農場へ到着。砂漠の中に緑と言えばセイジだけしか育たないというネバダの彼らにはきれいに見えるらしい。たまたま咲いている大賀ハスを説明したり、ダチョウがいた農園、ポプラ並木を見て、演習林という森へ。アメリカ産のセコイアや多種のモミジ、オオタカの来る松、ナンジャモンジャの木、ハンカチの木などを案内。小道を歩きながら、「落ち葉のクッションを踏む感じが良いね」と彼らは驚く。園内の「農場博物館」では常駐のボランティアのガイドが説明してくれる内容を通訳。エンジンつきのアメリカ製手押し鋤や脱穀機を日本に移入しようとしたら、想定された身長が日本人と合わず、操作が大変だった話。戦時中東南アジアに進出した日本が、日本の農業を現地に再現しようとして機具の開発に苦労した話などなど。やはりメモを取り出して聞いていた。 昼食にはラーメンが食べたいと言うので、拙宅近くの小さなラーメン屋に入った。チキンが入ったラーメンが食べたいと言ったが、それはなく、豚や牛は嫌だというので、野菜ラーメンになり、私もご馳走になった。 一旦拙宅にもどり、Perryが建物にも興味があるというので、今度は車で近くの「江戸東京たてもの園」に行くことに。拙宅から車で7分程度の都立小金井公園の中にある。コンパクト・カーのマーチに大男2人を乗せて出かける。Perryはホンダとトヨタを持っていて日本車には詳しく、私が知らない車種も見るとすぐに分かり、説明してくれる。 時間の関係もあり、博物館の部分は割愛して、裏庭に出て、まずは三井財閥総領家の三井八郎右衛門邸へ。障子や欄間のある和室の客間にもカーペットや椅子、テーブルの和洋折衷で、夫婦のベッドルームも別々になっているのを不思議がる。一方「仏間の床だけが少し高くなっているのは先祖に敬意を表したものか」などとPerryはよく気が付く。付属した3階建ての土蔵に入ると「地下室の匂いがする」という。 ワラ葺きの古い農家が3軒点在する。囲炉裏からの煙で、天井の煙抜き穴周辺がススで黒く守られているのに感心。かなり古く崩れかけたワラ屋根を見ながら、葺き替えは大変な作業で共同作業が必要になり、いやでも村の共同体意識が作られるので、村八分は厳しいことだったことを理解してもらう。 2・26事件で高橋是清が中で実際に殺された邸宅が移築復元されている。彼は騙されてアメリカで奴隷として生活し、生き延びて日本の首相にもなった人物なので説明し、興味を示すかと思ったが、また靴を脱ぐのがやっかいなのか、外見だけでいいという。写真だけとり、我々には懐かしい「都電」に乗り込み、都電が廃止された状況を説明。彼はサンフランシスコ生まれなので、例のケーブルカーとイメージが重なり、興味を示す。 右から左に横書きされた看板をかかえた古い店が並ぶ通りへ。建物全面を銅版で覆った店に来ると、「アメリカでこんな店を作ったら、一晩で銅版がはがされて、売られてしまう」という。昔の銭湯がある。男湯と女湯を見渡せる境目の高所に置かれた番台をenviable positionというと笑いながらメモをとり、両方の角度から写真を撮っていた。風呂場の壁には必ず富士山が描かれているが男湯に富士の本体があり、女湯に続いた部分は裾野の絵になっているのは当時の世相との違いを感じさせる。戸外の休憩所で一休み。カルピスソーダ飲んでいて、「カルピス」はもちろん英語にはないはずだがCow peesと聞こえたと言われたのには参った。 建築関係で思い出して、近くの田無住宅展示場のことを言うと非常に興味を示したので行ってみる。もう5時を回っていたので、閉まっている展示もあったが、いくつか実際に入ってみる。アメリカ人で建築に興味がある人だというと、他に客がいないと親切に案内してくれる。Perryは鉄骨や断熱材、軽量コンクリートなど頑丈に作られていることに感心。アメリカではほとんど木材だけで作り、カーペットを張るので、下の床材の質は出来るだけ落とし、壁も外材と内部が釘で荒くくっつけるだけなので、地震などでは剥がれてバラバラになりやすいし、窓周辺も手抜きで、隙間だらけなのに値段は日本の高級資材を用いたものと同じだと言う。2世帯住宅の屋上に上がったらバーベキュ道具があり、そこで「記念撮影」! 最後に「こういう場所なら1日中でも見学したいくらいだ」とのこと。 遅くなったので、そのまま拙宅へ直行し一休みして、駅まで送り、乗車ホームを教えて、別れた。 Tea Ceremonyを経験したいという要望を入れて、ホテル・オークラ「聴松庵」のTea Ceremony体験を中心にガイドをした。成田空港ではなく、成田(京成本線)のホテルに2泊滞在だけの日本見物で、旅の中心は東アジアのクルーズが目的のカプルだった。イギリス人と結婚しイギリスで30年以上も過ごし、夫と死別したJutta(ユッタ)さん(63)と、そのパートナーでアメリカ系の石油会社のイギリス支店にドイツから転勤し長年勤務の後10年前に退職したWernerさん(68)の二人は健脚で、パスポートの空白ページが全部ビザで埋まるほどの旅行好き。東京のあとはクルーズで函館、釜山、ウラジオストック、上海に立ち寄りそれぞれの町を1日で観光して、上海からロンドンへ空路帰国とのこと。もともと2人はドイツ生まれで、それぞれの妻夫と死別していて、たまたまインド旅行中に知り合い、カプルになった。死別前の相手がそれぞれ旅行嫌いだったのに旅行好きの人にめぐり合い、しかもドイツ出身でイギリス在住という共通の環境が縁だったようだ。実際、30年もイギリスにいるのに彼らの会話はときどきドイツ語になる。今度のロンドン・オリンピックの期間中の2週間もWernerの故郷フランクフルトに退避(?)するという。 |
本人のBrian(53)はすでに日本に来ているということが分かったので携帯電話に電話し、7/25に原宿の神宮橋の上で会うことにしたのがガイドの依頼を受けた7/22日。本人はNew
Jerseyの名門高校の英語教師で、教師の研修で6月から日本に滞在中。奥さんのAlexandra(54)は22日の午後に日本到着予定で、あまり足が丈夫ではないというので、せいぜい2〜3時間くらいしか歩けないという。少し原宿界隈を歩いて、昼食でもして話しましょうということになった。
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