バルセロナ(スペイン人ガイド) サラゴサ ログロニョ(スペイン人宅) パンプローナ・サンセバスチャン フランス鉄道 南仏ブードワン ニース・トリオラ ジェノア(イタリア人宅へ)
今回は、私が東京でガイドした欧州の人たちにヨーロッパ案内をしていただく旅になった。特にスペインとイタリアでは自宅に招いていただき、家族ぐるみで大変な歓迎を受け、ヨーロッパの深い温情を感じた。スペインでは5日間も家族の一員として自宅だけでなく、家族旅行まで一緒に経験させてもらって、一生の思い出になった。フランスではベルギー人の紹介でプロバンス地方のひなびた素朴な生活を体験できた。これまでで一番変化に富んだ旅だったように思う。今回の旅も弟のOto(hiko)君同伴で、私はビデオ撮りに専念したので、彼の撮った写真をこのページでも大いに活用させてもらった。なお、最後に息子・浩の結婚式参列が目的でザルツブルグへ出たが、このことについてはここでは触れず、別のページを計画中。以下その日記をたどる。
4/10(土)
6時間寝たら頭はすっきり、体調は回復。時差ボケが何とか消えた。外は快晴。初春の冷たさを含んだ風も快い。24時間何時でも食べられるバイキングの食事サーバーから野菜や果物を中心にエネルギー源を補い外に出る。ガウディの建物へ向かう。ワンブロック歩くと妙な曲線美の建物が現れる。バトリョ邸(Casa Batllo)だ。階段の手すりから窓枠、ドアの模様まですべて滑らかな曲線で角がない世界。その窓から外を見ると妙な形に切り取られた枠からバルセロナの生活が観察される。ちょっと高い17ユーロの入場料にもかかわらず人気がある。さらに3ブロック進んだミラ邸(Casa Mira)は建物全体がディズニーの漫画映画にでも出てきそうな潰れかかったようなスタイル。しかし屋上のデザインも奇抜。何か大きくうねる砂丘の中に茶色の尖塔がニョキニョキでた幻想的な世界へ連れ込まれたよう。ガウディの建築が人に与える力を感じる。
午後1時ちょっと前にホテルの玄関に出てみると、もうTinaさんと娘のLaiaさんが来ている。早速外に出るとLaiaさんのボーイフレンドまで待っていて一緒に街を案内してくれるという。彼は歴史専攻で博物館の古い資料を整理する学芸員。まず近くのバルセロナ大学へ。古い15世紀ころの建物。週末なので入り口は閉まっていて入れない。しかし大学広場の前は観光客であふれていて、銀座通りのようだ。しかしさらにその先のRambler通りはまさに東京で言えば銀座通りか表参道。彼ら3人で次々にちょっと分かりにくい訛りのある英語で一生懸命にいろいろ説明してくれる。通りからちょっと入ったところにあるサン・ジュセップ市場はものすごい混雑。縦横に限りなく広がる色とりどりの野菜、果物、肉、乾物類の店店店。年末のアメ横をいくつもつないだような規模と混雑。スリに気をつけろと言われてもどうしていいか分からないくらい。今日は伝統のサッカー戦、バルセロナ・バルサとレアル・マドリードの一戦が夜10時からあるという。まだ勝ってもいないのに戦勝祝賀のお祭り騒ぎの準備が進行中。妙な格好で奇声をあげ踊りまくる若者、広い通りの歩行者専用の中央分離帯には屋台がならび、体中を緑や灰色、褐色にペンキで塗りたて、妙な格好で身動きしない姿を保つ「生きた銅像」があちこちで人目を引いている。近くの旧市街へ折れて、小さな路地を曲がったところにある古いレストランに案内される。その昔ガウディやピカソが集まって語り合ったという有名な店だという。Tinaさんは我々のために予約しておいてくれたので、良かったが、すべて満席状態。この辺ではめったに見かけることのない黒いスーツにネクタイのウェイターが折り目正しく動き回る。周りの壁にはこの地で活躍した画家たちの絵が何十枚も掛けられていて、上の方には狭いギャラリーもある。その狭い通路にも1列のテーブルと椅子が置かれ、食事中のお客が下から見える。何を注文するかいろいろ議論の末、私はバルセロナ特産のウサギの焼肉にした。郊外の牧場で食用に特別に飼育された種で、鶏肉より柔らかいし臭みもない。ここの人の好物であるという理由が良く分かる。Laiaさんの彼氏も同じものを注文してすばらしい料理だと感心していたので、私もラッキーだったと思った。
外に出て再び旧市街を歩く。中心となる大聖堂は時間が合わず入れない。しかし高い壁のような古い建物の間の谷間のような細い路地にいると気持ちはローマ時代へタイムスリップする。実際ローマ時代にはローマから海路で直接上陸出来るこの地はローマの分身のようで、いまだに当時の城壁がところどころに残っているし建物も大きなエンタシスの柱が何本も昔の位置で保存されている。
ガイドの3人は次々と連れまわしてくれる。市庁舎の上には旗が3本翻る。スペインの国旗の横にはカタロニア州とバルセロナの旗。カタロニアはスペインに統合される前には1つの国であったという。黄色の地に赤い4本の線が入るその旗は、内戦でカタロニアの武将が負傷し行きも絶え絶えのときに自分の手を傷口につっこみ、血で染まった4本の指をこするようにして旗につけた線だと言われているそうだ。統合された今でもカタロニア人の誇りは消えず、ここではカタロニア語(カタラン[Catalan]という)がスペイン語とともに使われている。彼らは名前を聞いただけでカタランかスパニッシュかすぐ分かるようで、現地の人とちょっと話していたと思ったら、「今はカタランを使ったのだよ」といった感じ。カタロニア出身の人が別の州の人と結婚して一時帰郷したら、故郷の言葉に接して涙を流したという。方言ではなく別の言語だと彼らは言い張る。
時間がないので、ピカソ美術館は通過して、別のサンタマリア・デルマール教会へ寄る。丁度結婚式が行われていた。祭壇上に白いウェディングドレスに身を固めた花嫁と真っ黒の花婿が牧師から祝福を受ける。両親に付き添われて壇上に並びカメラのフラッシュを浴びる。私もビデオを向けるとちゃんと笑顔を向けてくれる。あまり形式ばらず気さくで和やかな雰囲気がいい。カプルはそのまま教会の出口へ。そとで赤いドレスに身を包んだ友人と思われる女性たちが一斉に歓声を上げる。入り口の階段の上のカプルは手を振って答え、皆の前でキスをする。歓声があがる。真っ赤な花が投げられる。辺りは夕方になり少し寒さが感じられるけど、その集団の盛り上りは続いていた。
4/11(日)
予報に反して今日も雲ひとつない青空が広がる。先週までのぐずついた天候とは大変な違いだそうだ。9時半の約束だったので9:20ころフロントに行くとすでにTinaさんがロビーで待っている。You are really punctual.というとにっこり笑った。日曜日は店がすべて休みで街中も閑散としている。昨夜のサッカー戦、バルセロナ・バルサとレアル・マドリードは2-0でバルセロナが勝ったそうで、夜の繁華街は大変な盛り上がりだったそうだ。「まだ皆寝ているんだろう」とTinaさんは笑う。娘のLaiaさんと彼氏のMarc君はあとでサクラダ・ファミリアで落ち合う予定だといいながら、Tinaさんはカタリーナ音楽堂へ案内してくれる。前もって入場券も買ってくれていて実に丁寧な準備に驚く。割りに小さく見える音楽堂だが、独創的な建築への意気込みは並ではない。外壁の角には巨大なミューズの像が複雑に浮き出している。中も天井や側面にステンドグラスが細かくはめ込まれ、それを通した自然光が柔らかい光を投げかける。カザルス、バーレンボイム、カラヤンなどもここで指揮をしたそうで、その音響効果のすばらしさを絶賛しているとのこと。
たまたま公演が午後からというので、プログラムされたパイプオルガンの演奏を聞かせてくれた。NHKホールのオルガンなどより一回りも小さいのに、重厚な艶のある響きが耳を襲う。今回の旅は演奏会などを予定していないので、この経験はバルセロナのすばらしい印象を残してくれた。
地下鉄でサクラダ・ファミリアへ向かう。1回70セントの回数券10枚分を一枚の電子切符にしたものがあり、それを改札口のスロットに差し込んで引き出すとturnstileが1回だけ回り1人が通過できる仕組み。しかし降車駅では改札の前に立つだけで関所が開くので、どこから乗ったのかチェックすることは出来ないのが弱点のようにみえる。日曜でもあり、サクラダ・ファミリアの切符売り場は100メートル以上の行列が出来ている。Tinaさんはそれを知っていて前もって切符を買っておいてくれたので、難なく入場できた。彼女が気を利かせてくれなかったら、1時間は無駄な時間を使ったと思うとありがたい。写真ではよく見たが、近くで見ると意外に大きな建物で、四角い1メートルくらいの石を積んだだけの様に見える柱が斜めに外から本体を支えているように見える。どのようにしてこの建造物が昔の技術で可能だったのかと思う。エレベーターに乗って尖塔の一つにあがり更に狭い螺旋階段を上り詰めると直径2メートルくらいの狭い「展望台」に出る。バルセロナの街が外の柱の間から望まれる。Tinaさんが一生懸命に英語で説明してくれるけど、きちんとした英語ではないので、こちらでそれらしい内容を言ってみる。大抵はSi, Si(=Yes)と返事が返ってくる。見当をつけながら聞いてもよく分からないことがある。オーディオ・ガイドも借りてくれたが、会話しながらではそれを聞くこともほとんどできない。
LaiaさんとMarc君が、車で迎えに来て海岸のレストランへ案内してくれることになっていたが、Tinaさんが携帯で連絡していて、日曜の道路事情が悪く、効率が悪いことが分かったので、再び地下鉄で行くことになった。近くの地上Metro口からエスカレーターで地下へ。改札を通ると更にホームへ行くエレベーターがあり、待っていた人たちと一斉に乗り込む。すぐ後ろの太った色黒のインド人風の中年の女性に押し込まれるようにして入った。ちょっと身動きが出来ない。30秒くらいでまたドアが開き、一斉にはきだされたので、腰のポケットに入れたあった免許証入れが気になり、手で確かめたら、案の定ない。スリにあったかなと思いながら、出ると、前を行く人の間から私の黒い免許証入れが落ちた。さっきの女性とその仲間と思われるインド人風の男性が急いで走り去った。後で考えると、2人はグルで、すった財布を男性が急いで女性に渡そうとして落としてしまったようだった。金銭はほとんど入っていないものだったが、免許証がなくなるとレンタカーを借りるのに困ったことになるので、本当に幸運だった。ホームに出て、警備員のような人がいたので、Tinaさんが「届けたらどうか」と言ったが、実害が全くないし、時間が惜しいので、やめにした。
Tinaさんは、ヨットがぎっしりと係留されている港のすぐ近くのレストランに予約をしていてくれた。雲1つない青空と青い海に面した波止場にレストランが並び、屋外にもテーブルと椅子を並べている。携帯で連絡を取っていたと思ったら、Laiaさんと彼氏のMarc君がどこからともなく現れた。サッカーファンのMarc君は、昨夜のバルセロナ・マドリード戦勝利の興奮がまだ冷め遣らぬようで、すこぶる機嫌がいい。パエリアを注文。それに話題のCarmenさんが住むリオハのワインを頼む。パエリアはスペインのお米を生のまま鍋に直接入れて作るそうだが、柔らかい。海老や肉厚のイカ、ムール貝などがふんだんに入っている22ユーロの豪華版。やっとの思いで食べきるほどの分量だが、その上デザートも必ず注文する。Tinaさんも1週間に1度はパエリアを作るそうだが、日本のカレーライスのように、それぞれの家庭に独特のパエリアがあり、自慢しあうそうだ。
Marc君は仲間のバンドでドラムをたたいているようで、そのあと仲間との練習が組まれているといって、そこで別れ、Laiaさんが車を運転して、近くの丘、Monjuicに案内してくれる。緑に囲まれた美しい丘からはバルセロナ一帯が見下ろせる。1992年のバルセロナ・オリンピックの会場にもなり、そのメイン・スタジアムとともに回りには植物園や庭園も作られている。そこで爽やかな空気を吸ったあと、市内北部のParc Guellへ。ここもガウディの創作公園。園内の自動車道の下を例の曲がりくねった柱をデザインして独特の遊歩道を作っている。先ほどまで刺すように強かった日差しが少し弱くなったかと思ったら、今度は冷たい風が皮膚を刺激する。回りの人たちが一斉にコートを身に着け始める。スペインの人たちの気性ようにここの気象も変化が激しい。
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