高知・室戸・徳島・香川・しまなみ海道へ (←クリックすると飛びます)
四国は本州に寄り添ってその一部のようでもあるが、やっぱり島だ。今でこそ3本も橋が出来て感覚的には地続きだが、最近まで江戸・東京とは陸続きではなかった。幕府や中央政府に反逆しても、すぐには取り締まれない位置にある。台湾が中国の脅迫(?)にもかかわらず、一応「独立」出来ているのも「島」であるが故だし、シンガポールも島であるため独立国を維持できるのだろう。四国も島であるがゆえに、ジョン万次郎、坂本竜馬、岩崎弥太郎、板垣退助などの独立独歩の精神が育った。夏目漱石も四国に赴任しなかったら、反骨精神を備え自由闊達な「坊ちゃん」は書けなかっただろう。古いたたずまいを残す、和蝋で栄えた内子。四万十川周辺や特に南方の辺境である土佐、足摺岬や室戸岬も本州にはない自然の景観を湛える。大して大きくもないようで、いざ回るとかなりの広がりもある不思議な地域だ。例によって格安航空(LCC)で松山に飛び、淡路やしまなみ海道の一部も含んで、9日間かけてすみずみまでレンタカーで回ってみた。以下お遍路嫌いの四国巡り・老人旅日記である。
5/20(火)
国内線だが成田発11時のオーストラリアの格安航空Jetstarに乗るべく、日暮里発9;25のスカイライナーに乗る。それにしても日暮里・成田間36分2,472円の料金の方が成田・松山間の飛行機代2,450円より高い。しかもこのJetstarのLCC便が日本航空の定期便と共同運行とのこと。多分「正規」料金ではJAL一機分には程遠い数の乗客しか集まらなかった日航が自機をキャンセルして、LCC料金より高いディスカウント料金で同じルートのLCCに送り込んできた客が加わって空席なしの状況。
途中、初めはやや雲が多かったが 日本アルプスの雪をかぶる山々が下に見え始めたと思ったら、やがて瀬戸内海の吊橋でつながれた島々が綺麗に展開する。80分で松山に着くとのことだったが、離陸して上昇し水平飛行に移ったかと思われる頃から、もう着陸体制に入る。やがて海に突っ込むのではないかと心配になるほど海面すれすれに飛行したと思ったら滑走路が見えてきて車輪が滑走路に接触した。
松山は雨だった、レンタカーの会社に連絡する。イツモという小さな会社だが8日借りて29,000円だった。しかし、もしもの軽微な事故や損傷の際も負担をゼロにする免責を入れて36,000円になった。
松山特に道後は坊ちゃんの夏目漱石や正岡子規で有名だが、その子規の記念館近くのメルパルクへ泊まる。近くに坊ちゃんで有名な道後温泉の本館があるというので、出かける。50年前にも同じ温泉に入ったが、すっかり忘れて新しい体験のようだ。。400円で漱石が入ったという木造文化財温泉に入る。普通富士山の大きな絵が描かれている浴槽脇の壁にはタイルの上に水墨画風の松や石の絵がある。湯船はあまり長く使いすぎたせいか、全部石材がむき出しの表面がザラザラしていて、湯船の中のステップも狭く、浴槽もやや深め。壁の一角には漱石の小説に出てくる「坊ちゃん泳ぐべからず」という看板もある。浴室は男性用が2室もあるのに、女性用は1室で、今と逆の明治時代の男尊女卑の名残りかと懐かしくなる。今では市営の温泉で、松山市民なら65才以上は半額、80歳以上はタダ。でもその表示はなく、市民以外は一切のシニア割引はない。
「ふるさとや親すこやかに酢(すし)の味」という子規の句を掲げた大きな看板看板が子規記念館の前にある。彼の体の弱さとはうらはらに随分堅牢な建物だ。今夜の宿、メルパルク松山では讃岐うどんも出る。「坊ちゃん温泉」よりホテルの湯船の方がよっぽど豪華で広いが、源泉は坊ちゃん温泉と同じ本館から引いているという。こちらの温泉の方がリラックス出来て、知らぬ間に3度も入っていた。
5/21(水)
昨日と違って朝から青空で太陽がまばゆい。朝食はバイキングなので、つい食べ過ぎてしまう。
まずはすぐ近くの子規記念館。子規のこの郷土での生い立ちから35歳でこの世を去るまでが、郷土の誇りとして丁寧に資料とともに展示されている。彼が叔父を頼って東京へ出てきて、府立一高つまり東大へ入学し、落語や寄席が縁で漱石などと知己となる。当時、東大に居たアメリカ人教師が日本に紹介した野球に興味を持ち、熱中するあまり、落第になり、たまたま肺病を患い吐血した。先が短いことを自覚した彼は退学して日本新聞社に叔父のツテで入社する。しかし結核を押して従軍記者を志望し、中国戦線に出かけて帰国途中、大吐血で倒れる過程がよく分かる。意外に人間くささの残る面が強調された展示なので印象に残る。
次にここからあまり遠くないはずの松山城へ。カーナビに入れて進むがカーナビのデータが古いようで、なかなかたどり着けない。30分くらい迷ってやっと天守閣近くに通じるケーブルカーの駅へ。ところがケーブルカーと並行して、スキー場にあるようなリフトが走っていて、うっかりそれに乗る。家内は最初怖がっていたが、自然のすがすがしい空気に慣れて、さらにウグイスなどの美しいサエズリの中ですっかりいい気持ちの様子に変化。天守閣へ通じる道を登る途中で外国人の夫婦に出会う。チェコから来た旅行ガイドであることが分かり意気投合。しばらくお互いの訪問国の情報交換のあと名刺を交換して再会を約す。城址からの眺めも絶景。瀬戸内海、松山市、その向こうの山々が青空の下に広がり、すぐ横では青空に天守閣が突き立つ。子規も「松山や秋より高き天守閣」と歌う。
帰りのゴンドラで老夫婦の旅人に会う。レンタカーでお遍路さんをやっていると言う。四国と言えば「88カ所巡り」と相場が決まっているようだ。しかし相場に従うだけの人が多いので、そういう場所だけが過密になる。日本人は一般に自分で考えて旅程を組むことは少ないようで、旅行と言えば団体旅行で、他人がお膳立てしてくれたところへ行くというのは海外旅行だけではないようだ。
今度は古い街並みを残す内子町へ。カーナビがどういいうわけかうまく働かない。道に迷って、農協の集積所のような場所へ迷い込む。止むを得ず、そこでおにぎりのランチ。見渡すと民家の屋根が多くは瓦葺でしかも肉厚の重厚な瓦を敷き詰めて威厳のある入母屋風ばかり。焼物が簡単にできる地域にいるからかもしれないが、緑の木々や畑の中に堂々とした風格の屋根が並ぶ佇まいは気持ちがいい。そのあと、1時間もドライブしてやっと内子町へ。ここは妻籠・馬籠のような江戸時代風の町並みが温存されている。昔ここはハゼの木が生い茂る一帯で、そのハゼを潰してロウをとり、ロウソクや口紅などを作っては輸出して大儲けをした上芳我(カミハガ)一家が出資してこの一帯を保存するのに貢献したそうだ。今でもその家は公開されていて、ロウの製造過程がみられるようになっている。と同時に実際に作られ、輸出された製品も展示されている。単にロウソクだけでなく、口紅、ヘアクリーム、クレヨン、CD、カーボン紙、さらに相撲力士のチョンマゲの整髪料など和蝋から作られる製品は意外に多い。ここでも外国人の数人のグループがビジターセンターからその町並みの見学に来ていた。一方日本人の観光客はお遍路に忙しいようで、めったに会わない。
やや時間が遅くなったので、今日はこのくらいにして、今日の宿泊地、成川保養センターへ向かう。宇和島のちょっと先、四万十川の上流の温泉地、鬱蒼とした国有林の中にある。四万十川を脇に見ながら森の中に、どこまでも曲がりくねった道が続く。やっと山奥にロッジのような建物が見えてきて到着。聞くと今日の宿泊者は我々2人だけとのこと。それでもキジのマリネ、カモ鍋など珍しい料理で歓待された。お風呂も併設された温泉で、そこには地元の老人や農家、森林従事者などが沢山入浴を楽しむ。聞くと、地元の人たちには160円で利用できる制度があって、自分の家の風呂に入るのが嫌になるそうだ。入り口には「サルが入るので入り口はきちんと閉めてください」という看板がかかる。水温は労働者の疲れを取るためかやや高温。全身を沈めるのに苦労する。しかも首まではいると3分と入っておれない。今日はトイレが部屋になく、ちょっと不便。でもこの広いロッジが我々だけの占有物になっている。静かだ。
5/22(木)
今日も快晴。でもこの地は、森林の中でやや高度が高く、寒い。丁度7時に、1人だけ昨夜から泊まっていた管理人が朝食を出してくれる。温泉卵や随分硬い豆腐など、またお吸い物も青ノリなどが入り、地方色豊か。8時過ぎには出発。四万十川沿いに車のほとんど通らない舗装された山道をゆっくり下る。
やがて宇和島へ。ちょっと変わった多賀神社へ行ってみる。朝早いせいか、我々以外に誰もいない。大木の幹をそのまま男根の形に彫り抜いた「神」が祀られている。奥にはその道の展示場が見える。家内は躊躇しているので、止むを得ず私が代表して見学。世界中から集めた性画、性具、彫刻、彫像、玩具、写真、浮世絵。1階から3階まで周囲を取り巻く高い棚にぎっしりと詰まっている。さすがにこの道は国境がないようだ。800円の入場料はかなり高めだが、これだけの蒐集は滅多にないのだろう。特に興味を引いたのは仏像。千手観音が抱き合った姿勢で座る像。世界中から、子宝に恵まれたかったり、同種の悩みに苦しむ人達が、神頼みに訪れたのか、献上された世界風俗の人形が祠の中に並べられている。
次に足摺岬へ向かう。海岸に沿った広い道を行くつもりが、内陸の四万十川沿いの道に入ってしまう。途中、道が極端に狭くなる場所が何度か出てくる。1台の車がやっと通れる幅の山道で対向車があるとピンチだ。でもほとんど車の往き来がない田舎道なので、ハラハラしながらも何とか切り抜ける。宿毛から土佐清水の山道は特に大変で、1本しかない道なのにほとんど一方通行状態で、自動センサーが細い道の入り口に設置されて、先の区間に居車が居る場合は知らせて、一方通行の切替に使われていた。
竜串へ出る。ここは文字通り竜のようなギザギザが串状に突き出し、奇岩が続く海岸線。その海岸に海底展望塔を設置し、900円で海底に潜ったときの景色を見せてくれる。螺旋状になった65段の階段をおりて行く。船室の丸い窓を思わせる覗き窓から海中、海底を覗く。すぐ近くでかなり大きな魚が草を突つくのが見える。見学者へのサービスか、熱帯魚もかなり放してある。黄色やブルーの縞の入った鮮やかな魚も混じる。でも客はほとんどいない。入口で入館者を扱う若者は「今朝から6時間も開いているのにやっと20人の客だ」という。確かにやや新鮮味に欠け、何か一工夫するともっと人気が出るような気もする。何かもっとスリルや好奇心をそそる仕掛けを入れて、ここの海中体験を生かせないものか。この不思議な岩盤ももっと利用出来そうだ。
そのあと家内もかなり疲れたようすなので、ホテルへ。今日は「足摺パシフィックホテル花椿」というホテル。ネットで見ていてホテルからの景色が飛び抜けて素晴らしいので、ここに決めていた。ただ、高級ホテルなので、素泊まりにして外食することにして費用を安くした。それでも2人で15,000円。実際、部屋に案内されると目の前に木々が輝く後方に太平洋が広がり、雄大な景色。温泉も古いが素晴らしいロケーション。特に露天風呂は下に緑がひろがり、その先に太平洋がいちめんに広がるので、角度によっては太平洋から続く風呂に入っているような錯覚を覚える。夜に入るとまた格別だ。空には大きく輝く星の周りに微細な星屑が散らばり、時に航空機の点滅が音もなく通り過ぎる。遠くの海には大型船の灯りがゆっくりと進む。爽やかな風が温泉で温められた皮膚を撫ぜる。心地よい時間が過ぎて行く。ホテルのロビーに行くと、ここは皇室のお気に入りの場所でもあったことが分かる。この辺境の地にも拘らず、昭和天皇の行幸の写真。若き平成天皇も新婚時代にここへ来て、玄関前で写真を撮られている。その他の皇族の来訪写真もある。どうもわれわれも皇室が利用した同じ露天風呂を体験したようだ。
<次ページへ>
|